第9話「分水嶺」③
■□■
「わはー、広いねえ」
「そうだな」
グロリアとティエンは広大な農園を前にしていた。
今日の仕事は、この農園を周回している機兵の調整だ。機兵といっても、戦闘用ではない。見た目は大型の荷車で、決まった道を周回し作物や小作人を載せて走る。今も遠くで人の身長の倍ほどもある車両がゆっくりと走行しているのが見えた。
農園は収穫の都合で畑の場所を変えたり農地を休めるため、行路修正が定期的に必要になってくる。だが農園主はその定期整備を行っていた業者に逃げられたらしく、いくつかの紹介を経由してグロリアのところへ持ち込まれたのだ。
「早く済ませて帰るぞ」
「あー、まあ、そうしたいところだけど、まずはいろいろと見て回らないとね」
だがティエンは早くしろとせっつく。いつもはここまで我を通そうとはしないのだが、これもグロリアの身を案じてのことだった。
農園に入る前、ここの管理者と会い詳細をつめていた。
基本は綿花畑だが、他にも煙草や砂糖、麻など、さまざまな農作物を生産している。なので地図を見ながら新たな行路の指示を受ける。
だが管理者である中年男性は、やたらとグロリアに触れようと手を伸ばしてくる。そのたびにティエンが物理的に間に入るのだが、それでもやめようとしない。なのでティエンの方がしびれを切らして袖の中から薄くて鋭い刃物をのぞかせてしまう。
さすがに依頼者を切るのはよろしくないということで、グロリアは概要は理解しました、と勢いよく席を立ち、うなり声を上げそうなティエンの首根っこをつかんで走って出てきたのだった。
「情報屋の言っていた通りだ。あの人間は、女と見れば見境ない」
グロリアに近づくやつは斬る、と両手どころか足の先まで刃物に変えて遠くの屋敷をにらみつけるティエンを落ち着かせる。
「うれしいけど、ひとまずお仕事しようね」
「─それに、やつはスコルハを奴隷として扱っている」
グロリアは肯定こそしなかったが、それは事実だ。
今はどの国もスコルハを奴隷として所有することを禁じているが、現在も表だって売買が行われていないだけで奴隷制度はまだ生きている。スコルハは奴隷から小作人へと名前を変えただけで、立ち位置は何ひとつ変わらないのだ。
むしろ、これまで最低限とはいえ与えられていた衣類や食料を少ない給料でまかなう必要が出てきた。さらに、収穫量が減ればそれも給与に響く。小作人となったスコルハは、表面上だけの自由の代わりに奴隷よりも厳しい環境に置かれてしまう。
それでも逃げ出さないのは、奴隷として連れてこられた彼らの多くは帰る部族を失っているから。生まれた子供らも親と同じ生き方しか知らない。
結局、給料だけでは生きてはいけないと農園主から生活費を前借りすることで借金が積み重なり、生涯農園に縛りつけられるのだ。
しかも、奴隷の中にも序列がある。
この農園は邸内にも多くのスコルハがいたが、明らかに「混血」ばかりだった。彼らは肌の色も白く、髪は赤というより茶色で、一見すると出自はわからない。
農園主は、見た目が自分たちに近い混血者を選んで優遇している。
邸内にいるのは待遇のいい奴隷。
屋外労働に従事しているのは、最低ランクの奴隷。
だが見た目でスコルハとわからない混血でも、農園の外へ出れば「混血の血の一滴は奴隷の証」と言われ、差別を受けてしまう。それよりも、労役に苦しむスコルハの上に立っている方が生きやすいのだ。
グロリア、と呼ばれて顔を上げる。
思考の沼に沈んでいた彼女にスコルハの老婆が近づいてきた。老婆は手作りらしい首飾りを見せてくる。色を着けた木製のビーズが連なったペンダントで、独特の色彩が鮮やかだ。
農奴から小作人になった彼らは最低限の衣食住すら保障されなくなった。給与以外に現金収入を得るため、手作りの民芸品を売ったりすることもある。
現在、スコルハは「消えゆく民」とされ、こうした品が一部で人気を集めている。
「きれいだね。おいくらかな?」
グロリアは単純に、思ったことを口にする。普段、身なりなど清潔さ以外はあまり気にしないが、装飾品を見るのは楽しい。
老婆はつたない共通語で金額を伝えてくる。グロリアは言われた額よりも多めの金を渡してペンダントを手に入れると、背を向けようとする老婆を呼び止めた。
「あのね、この模様、見たことある? 知り合いのスコルハがこんな飾りをつけているんだけど」
知らないかな、とキーンが身につけている飾りの写しを見せる。
老婆は意味が通じているのかはわからなかったが、知らない、と言うように首を振った。他に誰か心当たりがありそうな人物はいないかとたずねても、足早に去ってしまう。
「……お仕事の邪魔しちゃったかな」
グロリアは手元のペンダントに視線を落とす。木製ビーズの首飾りには、きらびやかな宝石とは違う素朴な美しさがあった。その場では身につけず懐へしまうと顔を上げる。
「私も働かないとね」
■□■
長居をしたくない案件だったので、グロリアは作業を急いだ。
といっても、調整よりも動いている機兵を追いかける方に時間がかかる。親の扶桑だけでなく、機兵側も見なければならないからだ。せめて一か所に集めて欲しかったが、農園主がこれ以上の農作業の遅れは認められないと、機兵の停止を許可しなかったのだ。
そのためまずは屋敷に設置されている親の扶桑の調整にかかる。記述式の乱れに苦笑いが出た。前任者はどうやら単純に必要な情報を積み重ねていっただけで、組み合わせたそれらが絡み合って余計な負荷をかけることまで想像が及ばなかったのだろう。
というより、そこまでやってられるか、というやけくそ具合を感じた。
「私も見積もり分しか仕事しないからね」
それでもやりにくいことこの上ない。なので仕方なくだが少しばかり術式を整える。これで次に呼ばれる方術士が流す汗と涙が少しだけ減ることだろう。グロリアはこの案件を継続で請け負うつもりはない。
術式を組みかえれば、当然、機兵は停止してしまう。農園主から全体は止めるなと言われているので、分割作業になる。なので親の扶桑と外の機兵の調整に何往復もする羽目になってしまうのだった。
■□■
「あー……疲れた」
「泥まみれだな」
転んだ、とグロリアは肩を落とす。停止中とはいえ大型機兵の上に登るのは容易なことではない。それでも何とか日暮れ前に作業は完了し、農園主に報告も終えた。大型機兵はすべて、設定範囲内を滞りなく動くようになる。
「これで、明日から小作人のひとたちも少しは楽になるはずだよ」
重い農作物を人力で運ぶことも、遠い畑から戻って来るのに疲弊することもなくなるだろう。
といっても、また来期になれば畑の場所や育てる農作物が変わる。農園主にはもう少し早めに調整するよう進言したが、業突く張りの言葉をもらってしまう。なので礼儀として、またのご利用お待ちしております、と言って作業料金の請求書を置いて帰ることにした。
「お腹空いた。ていうか、もう寝たい」
「その格好で寝るのはさすがに駄目だろう」
ダメかな、駄目だ、と言葉を返して歩いていると、遠目に荷を運んでいる男たちがいるのが見えた。
板きれに載せて運び出されるものは汚れた布を雑に巻かれていたが、揺れた拍子に中身がこぼれる。
だらりと垂れ下がった腕。しかも、落ちた腕には手首から先がなかった。
男たちは出てきたそれに気がつきながらも、面倒くさそうにするだけでそのまま運んで行ってしまう。
「なに……」
背筋に冷たいものが流れる。遠目だったので詳細は判別できなかったが、布に包まれた腕の主はもう生きていないように見えた。そして、褐色の肌から察するに、亡くなったのはスコルハだろう。
死因は、腕の切断の可能性が高い。作業中の事故だろうか、といぶかしんでいると、現地人の男が動揺を隠せないグロリアに近づき、にやけた顔で勝手に説明してくる。
仕事もせず小銭を稼いでいたババアに仕置きとして腕を切ったが、出血がひどくてそのまま死んだ。と、何でもないことのように言った。
「…………は?」
振り返ったグロリアの形相に、男はゆるんでいた顔をひきつらせると、何か言い訳めいたことをこぼしながら足早に立ち去る。
「グロリア、ものすごい顔をしているぞ」
振り返ると、ティエンが彼女を見つめていた。夕刻の残照を受けた白い面に感情の色は拾えなかったが、グロリアは息を吐くと冷たくなった指先を握りしめる。
「私のせいだ」
先ほどの男が言っていた。隠れて金を稼ぐなんて馬鹿な真似をしたので見せしめだと。どうせ年を取った奴隷は再販しても大した値段がつかないので、早めに処分した方がいいと笑っていたのだ。
布の中にいたスコルハが先ほどグロリアに首飾りを売った老婆かどうかはわからない。だが、軽率な真似をしたという自覚はある。
小銭程度なら、周囲も咎めだてはしなかっただろう。けれどグロリアは情報料込みとはいえ、手製の飾り物を買うには高額の代金を渡してしまう。
それが農園主の機嫌を損ねたか、あるいは、仲間である同じスコルハの反感を買って告げ口されてしまったのか。
自己を責めるグロリアを、ティエンは肯定も否定もしなかった。
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農園から都市部へ戻ったグロリアだったが、貸し馬車を戻すも足先はジャンの店には向かわなかった。
そのまま少しばかり頼りない足取りで海岸へと向かう。ハミオンの沿岸部に広がる海岸線。海も空も遠くまで見渡せたが、見えるだけでその向こうには何もない。
彼女の後ろを、ティエンは無言でついて行く。
そうして歩き回っていたグロリアだったが、残照に押されるようにして砂浜へ降りた。砂粒は荒く、貝殻が多く混じっている。そこにしゃがみ込んだグロリアは、指先で小さなかけらを拾った。
それは茶色のガラス片で、角が取れて丸くなり、表面もすりガラス状にくもってしまっている。シーグラスと呼ばれるそれらは海中に投棄されたガラス瓶などが砕け、破片が波で削られたものだ。
「……上手くいかないなぁ」
拾ったガラス片を放り投げ、グロリアは立ち上がる。
「仕事の件か。だったら、グロリアの目的とはそもそも違うだろう」
「うーん、まあそうなんだけどさ」
ざくざくと、荒い砂粒の浜辺を横切って背後を振り返る。ほぼ日が落ちてしまったため、海と空はどこが境目かもわからない。
「ティエンの探し物も見つからないしね」
「干将だ(かんしよう)ったら、グロリアのついででいいぞ。そういう約束だったろう」
「けど、もしかしたらどうにかなるかも」
見つかったのか、という問いに、グロリアは多分、とあいまいに返す。答えを求めて一歩踏み出したティエンだったが、別の気配に顔を上げた。
浜辺から上がったところに、馬車が一台停車していた。全体が黒塗りで、窓ものぞけない重厚な作りだ。
御者台から下りてきた人物は、馬車と同じ全身が黒ずくめの長衣で、顔も薄い布で隠しているので性別もわからない。
「あ、お迎えが来たね」
「……本当に、行くのか」
まあね、とグロリアの返答はどこまでも軽い。
「キーンくんにはジャンがついてるから、何とかなるよ。ティエンはちょっとだけ、待ってて」
ざくざくと砂浜を進むも、ティエンは追いかけない。
「最後のお仕事くらい、上手くやりたかったなぁ」
言葉は、波の音にかき消された。
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キーンは言われたとおり、ジャンの店で待機していた。
だがしかし、夕飯まで御馳走になってもグロリアたちは現れない。手持ち無沙汰だったのでジャンの店を手伝っていたが、夜が更けてもドアベルを鳴らして陽気な女性が顔を見せることはなかった。
ジャンは泊っていけと言ってくれたが、一度戻ることにする。
住居はハミオンの外輪部にある。壁の外側に形成されつつある新しい街並み、その外れにある一軒家に明かりは点いていなかった。なのでまだ戻っていないのだろうと遠目で判断したキーンだったが、歩を進めて驚く。
玄関ポーチの前に、ティエンがぽつりと立っていたのだ。
「なんだ、いるじゃないか」
白い少女は黙ったまま顔を上げる。グロリアは、と尋ねても返事はなく、代わりに彼女の部屋へ行け、と言われた。
「……ティエンのやつ、何なんだ」
意味が分からず、それでもグロリアの部屋へ足を踏み入れる。相変わらず物だらけだったが、書き物机だけ珍しく片付けられていた。
机上に、大きめの封筒があった。
表には「キーンくんへ」と書かれている。
どういうことだ、と封を開けるも、中は書類ばかり。どうやらキーンの機械義肢に関するものや、戦災孤児となった際の補助金関連のようだ。
何か他にないのか、と紙をめくっていると、部屋の入口に立ち尽くしていたティエンがぽつりとこぼす。
「アルストロメリア社は、本日で閉めるそうだ」
雫のような声音と同時に、書類の束の間から、小さな封筒が落ちた。
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