エピローグ
恋人と友達の境界線って、どこにあるんだろう。
今日から私たちは恋人ですって言ったら、即座に友達から恋人になって、自然と恋人らしく過ごすことができるようになるのか。
いや、そもそも恋人らしさって何?
友達として、恋人としないことってなんだろう。
逆に、友達とも恋人ともすることって。
いまいちよくわからないけれど、恋人と友達はやっぱり違くて、ただ二人でいるだけでも自然とふわっとした空気感になる。
それが恋人っていうものなのかな、なんて思う。
まだ初めて恋人ができてから、一ヶ月くらいしか経っていないんだけど。
「穂波」
声が聞こえた。柔らかくて綺麗な、聞きやすい声。
自分が寝ていたことに気がついた私は、そっと顔を上げた。
誰もいない教室に、雪羽だけが立っていた。
「んー……おはよ、雪羽」
「うん、おはよう穂波。……随分寝ぼけてるね」
「昨日、深夜まで雪羽と話してたから。そう言う雪羽は、全然眠そうじゃないね」
「まあ、私は眠気に強いから」
私は大きくあくびをしながら、伸びをした。背骨が少し音を立てる。
いつから寝ているのかは思い出せないけれど、随分寝た気がする。
しかし、雪羽は違うクラスなのにわざわざ私の寝顔を見に来たのだろうか。また友達に私が起こすからと言って、皆を帰したのかな。
放課後の誰もいない教室で、二人きり。
別に何があるってわけじゃないけれど、恋人とこういうところで二人きりだと、ドキドキする。
ハグとか、してもいいのかな。
「雪羽、寝てる私に何かした?」
「……何かって?」
「ほっぺにキスとか」
「しないよ。起きてる時にすればいいから」
「まあ、確かに。……する?」
「しない。外だと安心できないからやだ」
「んー、だよね。じゃあ代わりに、はい」
私は両腕を広げた。雪羽は小さくため息をついてから、私の膝の上に乗っかって、そのまま背中に腕を回してくる。
私はそれを優しく迎えて、彼女を抱きしめた。
雪羽がこうして自分から私に抱きしめられにきてくれるなんて、夢みたいだ。
無様な告白をしてから一ヶ月。未だ雪羽と恋人になれたという実感はあんまりない。でも一緒にいる時、前よりも柔らかい雰囲気になりやすくなったように思う。
キスとハグ以外の恋人らしい接触は特にしていないけれど、それでもやっぱり私たちは友達じゃなくて、恋人になったのだ。
手を繋ぐのも、ハグも。自然にするようになって、拒まれることもなくなった。
恋人になって何が一番嬉しいかと聞かれると、そういう接触が自然にできるようになったことかもしれない。
結局普通の恋人がするようなことをするよりも、なんの不安もなく雪羽と関われることの方が嬉しいのだ。
見つめ合って話をするだけでも、私は幸せになれる。
「今日も雪羽は雪羽だ」
「何それ」
「大好きな私の恋人ってこと」
「……そっか。私も、大好き」
私たちはしばらく抱き合ってから、自然と離れて、手を繋ぎながら歩き出した。
人混みじゃなくても手を繋げるって、結構幸せなことだ。
最近はめっきり暑くなってきたけれど、それでも一緒に帰る時は手を繋ぎたいと思う。今までは色んなことを気にしながら手を繋がなきゃいけなかった分、たくさん。
「雪羽。なんか難しい顔してるけど、どうしたの?」
「え? えっと……夢みたいだと思って」
「何が?」
「こうして二人で、恋人として一緒にいられることが」
「……ちょっとわかる。私もまだ、現実味ないし」
私たちは友達でいた期間のほうが長いから、恋人になったからと言って急に意識が切り替わるわけではない。
でも少しずつ恋人としての意識が芽生えてきて、自然と手を繋いだり、キスしたりすることができるようになってきている。
一歩ずつ、一歩ずつでいい。
いきなり急接近できなくても、私たちはお互いのことが好きで、恋人だっていう事実は変わらないのだから。
「でも、私たちらしいんじゃない? ちょっとずつでいこう」
「うん」
手を繋いで街を歩く。
私たちは駅に着くまでの間、いつものように世間話に興じた。最近できた店の話だとか、購買の新発売のパンがまずいとか、そういうなんでもない話をするだけで楽しかった。
……一年の頃から新発売のパンがずっとまずいままの購買は、どうかと思うけど。
私はまだ恋人らしさがよくわかっていないけれど、二人で笑いながら話ができるのは、とにかく幸せだった。
これからずっと雪羽と一緒に時間を過ごして、友達でいた期間よりも恋人でいる期間のほうが長くなれば、私たちは自然と恋人らしくなるのかもしれない。
そうなった時の私たちは、今とどれくらい変わっているだろう。
私は雪羽との関係が変化することをずっと恐れてきた。でも、今は変化を楽しみに待つことができている。
「今日はどこ遊びに行こっか」
「映画見たい。最近話題になってるやつ。クラスの友達が面白いって言ってた」
「あー、私の友達も二回見に行ったって言ってた。じゃ、行こっか」
「……うん」
私はそのまま雪羽と一緒に駅まで歩く。
私たちの関係は徐々に、少しずつ変化してきた。手を繋ぐようになって、ハグするようになって、恋人になって。
恋人になってからも決して私たちの日常は終わらない。
だからこれからも、今の私が想像できないくらい、少しずつ私たちの関係は変化し続けていくのだろう。
その先に今よりもっといいことがあったら、嬉しいと思う。
いや。
きっと二人なら、今よりもっと、ずっといいことがあるだろう。
私はそう信じている。
「映画、面白いといいね」
「そうだね。今日は寝ないでよ」
「大丈夫。学校でちゃんと睡眠とったから、バッチリ」
「それはそれで、どうかと思うけど」
「いいのいいの。ほら、早く行こ!」
「ちょっと、穂波!」
私は雪羽の手を引いて走り出した。
雪羽は困ったような雰囲気だったけれど、それでも愛おしむような顔で私を見てくれていた。
それを見て、雪羽と恋人になれてよかったと強く思った。
「……ほんと、穂波は強引」
「でも好きなんでしょー?」
「そういうところはあんまり好きじゃない」
「あはは、ごめん」
「……本当は、好き」
雪羽に好きって言って、雪羽からも好きと言われる。
私たちの関係はきっと、それが全てだ。
これから先どう変わったとしても、きっと私たちはそう言い続けられる。
だから私は、いつもみたいに笑った。
雪羽は昔とは比べ物にならないくらい柔らかな笑みを、私に返してきた。
両片思いを拗らせて告白できない女の子同士が付き合うまでのお話 犬甘あんず(ぽめぞーん) @mofuzo
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