第32話
少し遠出して、海辺の街を歩きながらショッピングをする。
なんだかおしゃれな休日な気がするけれど、お小遣いをそんなにもらっているわけではないため、ほとんど何も買っていない。
バイトは校則で禁止されているから仕方ないのだ。皆許可を得ず勝手にバイトしているけれど、私はそれなりに真面目だから校則は守っている。
ビビッドカラーの服さえ買っていなければ、今日もっと色々買えたんだろうけど。
これももっと可愛い私になるためだ。仕方ない。
「なんでそんなの買ったの?」
「だって、今日寒いし。雪羽がずっと抱きしめさせてくれるならいいけど、流石にそれはね」
「どっか店、入ればいいのに」
「それは根本的解決にならないのだよ」
「……何キャラ?」
私たちは今、少し広めの公園を二人で歩いている。
海が近いから波の音が聞こえてきていて、吹いてくる風も海を感じさせる。
冬の潮風は冷たくて少し痛いけれど。でも、やっぱり心地いい気がする。
私はビニール袋の中からボールを取り出した。安かったから買った、緑のボール。プラスチックのボールは頼りないけれど、ちょっと遊ぶくらいなら構わないと思う。
「はい、ちょっと離れてね」
「……いいけど」
雪羽と少し距離を離して、彼女にボールを投げる。安っぽいい色のボールは放物線を描いて彼女まで飛んでいき、その手に収まった。
「前は答え、聞けなかったけどさ」
雪羽からボールが返ってくる。
あまり体が温まらないから、それっぽいポーズでボールを投げてみる。
ちょっと変な方向に飛んでいった。
「雪羽ってどうして私のこと、見つけ出せるの?」
「引かないなら、言ってもいいよ」
「引かないよ。雪羽が私のこと見つけてくれる理由、知りたい」
雪羽は無表情のまま、ボールを投げてきた。
フォームはさっきと同じなのに、なぜか全く見当違いの方向へ吹っ飛んでいった。
私はボールを追いかけながら、彼女の言葉を待つ。
「気配」
「え?」
「気配が、するから。穂波だって、すぐわかるの。気配が具体的にどんなものかは、私もわからないけど」
「何それ、すごい。エスパーなの?」
気配でわかるなんて、初めて言われた。
いや、そもそも私を見つけてくれるのは雪羽だけなんだから、当たり前なんだけど。
でも、気配。気配かぁ。普通の私が出している気配って、どんなものなんだろう。それで雪羽が見つけてくれているなら、なんかこう、いい感じのアレなのかもだけど。
あんまり参考にならない。
なんの参考にするんだって話ではあるが。
しかし、うーん。
「試してもいい?」
「何を」
「雪羽のエスパー度合い」
私はボールを拾った。
「今から人混みに紛れてみるから、それを見つけ出してくれたら雪羽の勝ちってことで。もし私のこと見つけ出せたら、なんでも一つ言うこと聞いてあげるよ」
「なんでも?」
「そ。特徴のない私のこと、ちゃんと見つけ出せるかな?」
「……見つけられるよ。それだけは、絶対」
一度人混みに紛れてしまったら、二度と見つけ出せない。それが私の特徴であり、今まではずっとそうだった。
はぐれてしまった友達に見つけてもらったことは一度もない。
両親とは結構仲がいいのに、その両親すら私を見つけ出せないのだ。影の薄さと特徴のなさは嫌というほど痛感している。
だから余計に、雪羽が初めて私のことを見つけてくれたときは嬉しかった。
私たちは少し公園を歩いて、人通りが多い場所まで向かう。
一応休日の観光地だから、有名どころは人が多い。私は人混みに紛れるように歩き出して、最後に一度雪羽の方を振り返った。
彼女は私をじっと見ている。
だから私は、そっとボールを投げた。
「五分経ったら、探しに来てね。この辺りにいるから」
「わかった」
その言葉を最後に、私は彼女から顔を逸らして、前を向いた。
人混みに紛れて歩いていると、自分が透明になっていくような感じがする。
喧騒の中に体が溶けていって、自分が自分じゃなくなって、空気になっていくみたいな。
でもそういう感じも徐々に遠ざかっていって、代わりに寂しさが胸に満ちていく。
誰かに名前を呼んでほしい。できれば私と目を合わせながら。
そういう願いは今までずっと叶わなかった。雪羽と会うまで、人混みは私を私じゃなくして、世界から遠ざけてしまうものだった。
でも雪羽が無数の人の中に溶けた私を見つけ出してくれたから。あの時から私は、人が多い場所をそこまで恐れなくなった。
雪羽がちゃんと見つけ出してくれるから、どこにいても私は私でいられる。
でもやっぱり、人が多いところを歩いていると昔のことを思い出して寂しくなる。
そろそろ五分、経っただろうか。
私は人の波に逆らわず、通りをぐるりと往復していく。雪羽がどこにいるのかはわからない。
人の気配を感じられない私は、雪羽を見つけるのも一苦労だ。
雪羽は私を見つけ出してくれるけれど、私が雪羽にできることは、笑顔を見せるくらいで。
もっと色んなことができたらいいのになと、少し思う。
「穂波。見つけた」
識別できない人々の波の中から、手が伸びてくる。
右手がぎゅっと握られて、その部分が熱を持った。
私が私に戻っていく。指をたどってその先を見ると、雪羽の姿があった。
止まっていても、歩いていても。
どんな速度でも、雪羽の姿は変わらない。あらゆる景色が薄ぼやけて、雪羽の姿が浮かび上がるような感じがした。
視線がぶつかって、恋が心から溢れ出した。
鼓動の音に合わせて、一滴、また一滴と。視線に恋が混じって、雪羽の瞳に送られていくのを感じた。
雪羽はきっとそれに気づかないけれど、今はそれでもいいと思う。
私はどうしようもなく彼女に恋をしていて、もう蓋をして封印しておくこともできなくなった感情が目から、全身から溢れている。
「これ、返す」
雪羽はボールを私のコートのポケットに入れてくる。
私は笑った。
「ほんとにわかるんだ。すごいね」
「わかるよ。穂波のことだから」
「前にも似たようなこと、言われた気がする」
あの頃、雪羽はまだ私のことを夏川と呼んでいた。
手を繋げるか繋げないかで日々ドキドキしたり、ふざけたふりをして彼女に好きだと言ったりしていたあの頃と、今。
私たちの関係はちょっとずつだけど変わってきているのかもしれない。
「事実だから」
「そっか、そっか。やっぱり私のこと見つけてくれるのは、世界中どこ探しても雪羽だけだよ」
「うん。……じゃあ、言うこと聞いてもらってもいい?」
雪羽は私の手を引いて、人混みを掻き分けるように歩く。
「約束だからね。いいよ。靴でもなんでも舐めてあげる」
「なんで舐めさせるの限定なの。そんなこと頼まないから」
「知ってる。雪羽は優しいから、変なことは言ってこないってことくらいわかってるよ」
私の手を掴む力が、少し強くなった。
「雪羽に何か返せるもの、あるかな」
「返すって?」
「雪羽は私のこと見つけてくれるけど、私は雪羽に何もできてない気がするから。何かできることってないかなって思って」
「ないよ」
「……そっか」
胸が微かに痛む。
わかっていることだけど、雪羽から直接できることがないと言われると少し傷つく。
でも、仕方ないことだ。
「……もう、十分なくらい色々もらってるから。これ以上もらったら、貰いすぎだよ」
「え」
「それはそれとして、言うことは聞いてもらうけど」
「う、うん」
傷んでいた胸が、今度はどくんどくんと騒がしくなる。
私の心はどうしようもなく忙しい。
雪羽と一緒にいるときはいつだってそうだ。
期待して、舞い上がって、どん底まで落ちて。苦しくて、幸せで、やっぱり雪羽のことが好きだってなる。
私の心は、雪羽でいっぱいだ。
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