好きより、もっと③
私がどうだったかはわからないけれど、穂波が私の匂いを嗅ぐ動作には、いやらしさがない。
犬が人の手を舐めるみたいに純粋な友好表現というか、そんな感じがする。
だから私も特に何も言うことなく、彼女に匂いを嗅がれていた。
なんか、妙に慣れている気がする。
もしかして穂波は日常的に友達とこういうことをしているんだろうか。穂波のことだから、していてもおかしくはない。
前に学校で、穂波が友達と手を繋いでいるところを見たことがある。
明るい人たちはどうにもパーソナルスペースが近くて、どう考えてもおかしいって距離で話をしたりするから油断ならない。
私は名前も知らない友達と、私と同じくらいの距離感で話している穂波を見ている時。
私はどうしようもなく胸が苦しくなって、穂波をさらってしまいたくなる。
穂波の笑顔が私だけに向けばいいのに、と思う。
その感情も、声も、熱も、何もかも。私だけのものにしてしまいたい。
暗い感情はぐるぐると渦巻いて行き場をなくし、私をどこまでも重い人間にしていく。
こんな気持ち、誰にも言えない。
そうわかっているが、もし穂波にこの感情を100%伝えたらどうなるのかと、時々思うのだ。
「うん、堪能した。……ごめんね雪羽、いきなり」
穂波は私から離れて言った。
私はそっと体を起こして、彼女と向き合う。
「私もこの前やったから、おあいこでいい」
「そっか。……んーと、なんかする? 人狼とか?」
「それ、二人じゃできないでしょ」
「確かに。じゃあ、どうしよっか」
「待って。暇つぶし、調べてみる」
別に私は、二人静かに過ごしてもいい。
前に二人で音楽を聴いた時のように。
しかし、今日の私はどうにも心が乱れていて、静かになったら変なことをしてしまいそうだから。
だから私は、スマホで暇つぶしについて調べて、適当なサイトを開いた。
「これでいいんじゃない?」
「……これ、二人でやるの?」
「……?」
よく見ずに開いたせいか、穂波の様子が少しおかしい。
そんなに変なことが書かれているのかと思い、スマホの画面を見てみる。
そこには『愛してるゲームをしてみよう』と大きく書かれていた。
……何それ。
「まあ暇潰しにはなるのかな。雪羽がこれ選ぶのは、意外だけど」
「えっと……」
「じゃあ私からね」
ちょっと待ってと言う暇もなかった。
なんなんだ、愛してるゲームって。
穂波が妙に乗り気だから、私は黙って彼女の目を見つめた。
「愛してる」
いつもより少し低い声で、彼女は言った。
心臓が、跳ねる。
内側から叩かれているみたいにどんどんどんどんうるさくて、少しの間呼吸を忘れていた。
穂波はにこりと笑って、
「次、雪羽の番ね」
と言った。
順番でやるものらしい。
つまり、ええと、私も彼女に愛してる、と言えばいいのか。
恥ずかしい。ゲームだとわかっていても、顔が熱くなって、血液が沸騰しそうだ。調べたら出てくるということは、愛してるゲームとやらは普通に暇つぶしとしてやるようなものなのだろうか。
ありえない。
しかし、ゲームなら仕方ない。
仕方ない、はずだ
「……愛してる」
今ならどういう言い方をしても、演技だと思ってもらえる。
そういう意識が、私を少し大胆にさせた。
私は今持っている全部の感情を吐き出すように、愛してると口にした。
穂波は目をぱちくりさせた後、ふっと笑った。
「ふ、ふふ。雪羽、演技派だね。なんか真剣すぎて笑っちゃった」
穂波は変な笑顔を浮かべている。
いつもと違う、頬がちょっと引き攣っているみたいな顔だ。
どういう感情なんだろう。私の言葉に戸惑っているようにも見えるし、どこか嬉しそうにも見える。
嬉しそうだっていうのは、ただの錯覚かもしれないけれど。
「笑っちゃったから私の負けかな。強いね、雪羽」
「こういうの、強いも弱いもあるの?」
「あるよ。だって雪羽、私の言葉で照れてもないし笑ってもないじゃん」
本当は、照れている。
ただそれが表情に出ないだけだ。
嘘でも遊びでも、彼女から愛していると言われると体が熱くなって、どうしようもなくなる。
私は穂波のことが好きだ。
しかし好きって言葉じゃ全く足りなくて、この想いをどう伝えればいいのかわからなかった。けれど、単純な言葉でいいのかもしれない。
好きよりもっと強い、愛しているという言葉。
私が彼女に言うべきなのは、この言葉なのではないだろうか。
いつか、遊びではなく本気で。しかるべきタイミングに、愛していると伝えられたら。その時はきっと、穂波も笑わないと思う。
「愛してる。愛してる。愛してる」
穂波は声色を変えて、何度もその言葉を口にする。
ただの遊びだ。
……遊びだ。遊び、なのに。
本気みたいな声色でその言葉を何度も連呼するから、私の心は揺れ動く。どうしようもなくなる。
想いが溢れ出してしまう。
「愛してる」
笑ったら負けというルールなら、すでにゲームは終わっている。それなのに私も、またその言葉を口にしていた。
部屋がしんと静まり返った。
穂波は顔を赤くしている。それは、単に血行が良くなっているため、だけではないと思う。
私の言葉に、照れている。
私の言葉が彼女の表情を変えている。そう思うだけで、胸に確かな満足感が満ちる。たとえこの言葉が本気で受け止められないとしても、今は赤くなった彼女の顔を見ているだけで十分だった。
「あ、あはは。なんか、照れちゃうね。こういうゲームって、二人でやるものじゃないかも」
「そうかもね。……穂波が照れてるところは珍しいから、新鮮」
「そう? 初めて名前で呼ばれた時とか、結構色んなとこで照れてる気がするけど」
「顔、赤いの見たのは初めて」
「え。顔赤い? ほんとに? うわ、恥ずい」
「もっと見せてもいいよ」
二人きりの家で、私たちは何をしているんだろう。
そう思いながら、微かに口角を上げた。
穂波は恨めしそうに私を見てくる。
「ドSだ。変態だ。雪羽ももっと照れてよ」
「それは無理」
「……ぶー。わかってるけどさ、雪羽が鉄壁なのは」
私は穂波の隣に移動して、彼女を見つめた。
視線がぶつかると、穂波は微笑んでくる。
静かな部屋で、穂波の笑顔を独り占めしている。この時間は何よりも贅沢なものだと思う。
たとえ明日穂波が私以外の誰かに笑顔を向けるとしても。
今この時だけは、彼女の笑顔は私に向いている。照れた顔も、ちょっと拗ねたような顔も、全部。今だけは全部、私のものだ。
本当は、今だけでなくいつだって彼女の感情を独り占めしたいけれど。
穂波も私のことを独り占めしたいと思ってくれていればいいのに。
私はそっと、彼女の頬を突いた。
「雪羽?」
「何?」
「何はこっちのセリフだと思うけど」
「なんとなく、人差し指が暇だったから。だめ?」
「だめ、ではないけど。人差し指が暇って、初めて聞く表現だよ」
頬だけでなく他のところに触れたとしても、少し困った顔をするだけで嫌だとは言ってこない。そんな気がする。
他の誰にでも、頬を触らせたりするのかな。
雪羽だけ、とは言ってくれるけれど。穂波を見つけられるのが私だけだとしても、穂波と仲がいいのは私だけではない。
穂波が呼ぶ名前は、私のだけがいいのに。
それは無理だから、今のうちにたくさん呼ばれておきたい。
「穂波」
「なーに、雪羽」
「なんでもない。変な顔だなって思って」
「急にひどいなぁ。雪羽のばか」
「……ふふ」
彼女から呼ばれる自分の名前は、聞き心地がいい。
その響きを何度も心の中で再生するだけで、幸せな気持ちになれる。
今はこうして、二人で名前を呼び合っていたい。
そう思いながら、爪の先を彼女の頬に少し食い込ませた。
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