第26話

 右手にポップコーン。

 左手にジュース。

 完全に映画館だ。


 てっきりカフェか何かに連れて行かれるものだと思っていたから、私は少し面食らっていた。


 しかも今流行りの映画とかそういうのでもなく、見覚えのあるマスコットキャラが大冒険するという子供向けの映画を見ることになったから、さらに驚きだ。


 高校生が見るには子供っぽすぎる気がするけれど。

 私たちは一番後ろの席に座って、静かに映画を見ていた。この時間に子供向け映画を見にくる人なんてほとんどいないらしく、館内はがらがらだった。


 映画は面白いというより可愛い。

 可愛いんだけど、眠たくなってくる。


 疲れたというのは咄嗟についた嘘だったけれど、嘘から出たまことってやつだろうか。座るとどっと疲れが出て、瞼が落ちてくる。


 気づけば私は、眠りに落ちていた。

 明るさが目に染みて、静かに目を開ける。


 目の前に雪羽の顔があった。相変わらず綺麗な瞳が、私を映している。どうやら映画はもう終わっているらしく、館内は明るくなっていた。


「おはよう、雪羽」

「お、おはよう。また涎ついてる。拭くね」


 雪羽はどこか挙動不審だった。

 顔が少し赤い気がするし、何かあったのだろうか。

 疑問に思いながら、顔をハンカチで拭かれる。


「雪羽。ほっぺたには涎、ついてないと思うけど」

「そう、だね」


 なぜか彼女は頬を重点的に拭いてくる。


 もしかして、友達が言っていた通り、何か悪戯をしてきていたのだろうか。

 いや、雪羽はそんなことしないと思うけど。


「ペンで落書きでもした?」

「してない。拭けたから、出よ」

「……いいけど」


 詮索するのもおかしいと思って、そっと立ち上がる。

 頬に手を添えてみるけれど、特に変わりはないような気がする。


 でもじゃあ、雪羽のこの態度は一体。

 うーん。

 まあ、いっか。




 映画館の外に出て、同じ施設内にあるベンチに座る。

 大きいサイズを買ったせいか、ポップコーンはまだかなり残っている。


 私が寝ている間も雪羽はせっせと食べていたのか、半分くらいになっているけれど。


 キャラメルのかかったポップコーンを摘んで、食べる。


 甘い。映画館って感じの味がする。映画館の方から香ってくるバターの香りと合わせて、非日常の味だ。


「ポップコーンはやっぱりキャラメルだね」

「……前も言ってたよね、それ」

「そうだっけ? よく覚えてるね。もしかして、だから買ってくれたの?」

「うん。私は何味でもいいから。せっかくだし、穂波が好きなのをって」

「偉い! そんな雪羽ちゃんにはお礼にあーんしたげる」


 やめてと言われるのを想定して、ポップコーンを彼女の口に近づけていく。


 前、バレンタインの時はテンションが上がっていてつい彼女の気持ちを考えずにあーんなんてしそうになって、少し後悔した。


 でもあの時は雪羽に食べさせる前にちゃんと自分で食べたから、嫌われてはいないと思う。


 雪羽の方から私に食べさせてくれるのは、想定外だったけれど。

 あの頃が遠い昔のように感じられる。


 好きって気持ちは一切変わっていない。いや、少しずつ大きくなってきている。


 ふざけたふりをして好きというのはやめたけれど、本当はまだ言いたいと思っている。それはただの自己満足に過ぎないけれど、好きな人に好きって言いたいのは仕方がないことだ。


 本気でこの思いを伝えられないのは、私が最初から全部諦めるような人間だからなんだけど。


 だって、私は普通だ。

 普通だから、高望みはできない。


 今が一番幸せで、変にこの関係に傷をつけたくない。変化もいらない。ただ好きな人を好きって思って、目を合わせるだけで幸せなのだ。


 だから恋人になんて、ならなくていい。ならなくていい、と思う。


「ん……」


 雪羽の唇が、私の指に少し触れる。

 嘘みたいな距離感だと思う。


 手を繋ぐのとは、また違う。ただ触れ合うだけでも幸せだけれど、唇に触れるのは特別な気がする。


 私の想いが受け入れられたような、そんな気がする。

 錯覚だって、わかってはいるんだけど。


「おいし?」

「ん、美味しい」


 雪羽にあーんしてもらいたいと思うのは、流石に欲張りだと思う。

 だから私はそれ以上何も言わず、ポップコーンを食べた。


 雪羽も何も言わなかったから、私たちは奇妙な沈黙の中でポップコーンを食べ続けることになった。


 残りを全部食べ終わった後、私はゴミ箱に容器を捨てようと立ち上がった。


 その時、スカートに小さな抵抗を感じた。

 雪羽に掴まれたのだと、すぐにわかった。

 私は歩き出そうとしていた足を、そっと止めた。


「どうしたの?」

「文化祭」

「ん?」

「文化祭、当日。一緒に回りたい」

「んー、いいよ。一日目はシフトあるから、調整しなきゃだけど」

「じゃあ、二日目で」

「わかった」


 話は終わったはずなのに、彼女の手は私から離れていかない。

 別に、ずっと触っていてくれてもいいけれど。

 どうせ触られるのなら、手がいい。

 手を繋いで一緒に歩きたい。雪羽の温度を感じたい。


「二人で行きたい」

「……え」


 小さい声だけど、はっきりと雪羽は言った。

 心臓が跳ねる。

 二人で。雪羽が私と二人で行きたいと言ってくれた。


 嬉しい、と思う。雪羽が私と二人でいたいと思ってくれている理由は、わからないけれど。


 それでも嬉しい。

 お泊まりの時も、寝ていた私を起こしてくれた時も。


 二人でいたいと思っていてくれたのなら、幸せだと思う。今の私の心はきっと、かつてないほど舞い上がっている。


 ふわふわして、ゆらゆらして、心が雪羽の方に飛んでいってしまいそうな。

 そんな感じが、した。


「学校で二人でいることって、あんまりないから。……親友、だから」

「……うん。そうだね、二人で回ろっか」


 私はもう一度ベンチに座った。彼女はスカートから手を離して、ベンチに手を置いた。


 少し迷ってから、私はその手を包むように、自分の手を重ねた。

 雪羽が嫌がることはなかった。


 彼女は何も言わず、私の目をじっと見つめてくる。いつもと変わらない無表情。雰囲気は、いつもよりも少し張り詰めている。


 その雰囲気に、なんの意味があるのかはわからない。

 ただ、今は。


 この手が拒まれなかったという事実を喜びたい。


 雪羽が私のことを特別だと思っていたという事実がちゃんと確認できたことを、噛み締めたい。

 そう思う。


「雪羽は、ぽかぽかだ」


 私が小さくそう言うと、彼女は体をびくりと跳ねさせた。

 そんなに変なことは、言っていないと思うけれど。


「どうしたの?」

「何もない。どうもしてない。以上」

「どう見ても何かあった態度だけど……。ぽかぽかは子供っぽすぎるかな。熱い? 灼熱?」

「いや、私そんな体温高くないよ」

「あはは、だよね。でもぽかぽかの大人語ってなんだろう」

「そこ、そんなに気にする?」


 私はくすりと笑った。

 雪羽はやっぱり楽しそうではない。


 でもちょっとずつ、心を開いてくれているのかなぁと思う。


 一歩一歩、確実に。彼女の心に近づいていったら、最後にはどうなるんだろう。


 あーあ。

 私が普通じゃなかったら。自分の魅力を信じられるような人間だったら、雪羽にちゃんと、本気で好きって言えていたんだろうか。


 でも、私はやっぱり私だ。

 雪羽への想いは叶わない恋だとちゃんと自分に言い聞かせないと、きっとどうにかなってしまうから。


 だから全部心の奥底に沈めて、笑った。

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