第7話

 私と雪羽は住んでいる場所が違う。

 けれど同じ学校に通っているのだから、朝降りる駅は同じだ。私たちはいつも駅の改札前で待ち合わせをして、学校までの短い距離を二人で歩いている。


「おはよー、雪羽」

「ん……おはよ、夏川」


 彼女はいつものように、改札前にあるカフェの壁に背を預けて、スマホをいじっていた。


 彼女はブレザーの上にダッフルコートを着ていて、ちょっと着膨れしている。冬毛の鳥みたいで可愛いけれど、それを口に出したら怒られそうだから黙っておく。


 私たちは挨拶だけ済ませると、肩を並べて歩き出した。


 肩と肩が触れそうなくらいの距離感で歩いていると、時折手の甲が彼女とぶつかることがある。その度に私は少しだけ嬉しくなって、雰囲気も表情も変わらない雪羽を見て冷静に戻っていく。


 朝からこんなに心を動かしていたら、放課後まで持たなそうだ。


「雪、結構積もってるね」


 駅から出ると、街が白に染まっているのが見えた。昨日は記録的な大雪だったから、都内にもかなりの雪が積もっているようだった。


「行く前に、ちょっと雪で遊んでいく?」

「ううん、いい。寒いから」


 雪羽は相変わらず抑揚のない声で言った。

 私も本気で遊ぶつもりはなかったからいいけれど、ちょっとその冷たさが身に染みるような気がした。


 もう少しでクラス替えなんだし、ちょっとくらいは彼女との思い出を増やしておきたい。


 学生にとって、クラス替えは何よりも意味のあるものだ。そりゃあ、仲良い友達とはクラスが別々になっても仲が良いままだけど、クラスが同じだった方がいいに決まっている。


 それに、雪羽が私をどれくらいの友達と思ってくれているかなんてわからない。


 もし同じクラスになれなかったら、そのまま連絡もあまり取らなくなって、関係は自然消滅してしまうかもしれない。


 なら今のうちに盛大に思い出を作っておきたいのだけど、具体的にどんな思い出が欲しいのか、よくわからない。


 一夜限りの過ち、とか。

 ……ないな。


「……そっか」


 私たちはそのまま、雪の積もった街を歩く。

 街の至る所に、子供が作ったものと思しき雪だるまが見えた。


 いくつかの雪だるまはすでに朽ち始めている。頭が欠けたり、体が少し溶けていたり。地面に降り積もった雪のままだったら、溶けても何も思わないのだが。


 ああやって形になってしまうと、途端に可哀想に見えてくる。

 雪だるまも、私たちがこうして踏み締めている雪も、同じもののはずなのに。誰かの思いだとか手が加わっただけで、壊れてほしくないとか無くなってほしくないとか思ってしまうのだ。


 でも、無理に手を加えたらそれは、きっと作られたばかりの頃とは違う形になってしまって。


 手を加えて綺麗に整えたいけれど、そうもいかない。

 雪羽との関係も、そうだ。


 本当はもっと望む形に変えたいけれど、元々は友達として始めたこの関係の形を変えたくない、みたいな。


 まあ、でも。

 私は今のままでも、十分満足だ。


 好きな人と一緒にいられることが一番幸せなんだから、それ以上は望まない方がいい。


 下手に手を加えたら、元の形を見失って、どうにもならなくなる。

 それなら、うん。

 溶けるまで今のままの方が、いい。


「夏川っ!」


 ぼーっとしながら歩いていた私を、雪羽の声が貫く。

 見れば、前から自転車が来ていた。


 スマホに夢中になっているのか、私には気づいていない様子である。思わず避けようとしたら、雪の山に足を突っ込むことになった。


 靴の中に雪が入ってきて、背筋が震えた。

 でもそのおかげで、自転車にはぶつからずに済んだ。


 雪羽はふらふらと走り去っていく自転車を睨みつけていた。珍しく、感情が顔に出ている。


「大丈夫?」

「うん。ちょっとぼーっとしてたみたい。靴にめっちゃ雪入っちゃったよ。冷たい」

「……何か、考え事?」

「んー、まあね」


 私は曖昧に笑った。雪羽はいつもと変わらない瞳で、私をじっと見つめている。


 思えば雪羽には、見つめられることが多い。

 この瞳でいつも、私を見つけてくれるのだ。何をしても並でしかなくて、目立たない普通の私を。

 そう思うと途端に愛おしくなってくる。


「雪羽は今日も可愛いなって思ってさ」

「はいはい」

「本気なんだけどなー」

「その言い方だと、全然本気に聞こえないよ」

「そっかー。……雪羽」


 私は雪羽を見つめ返して、いつもより少し低い声を出した。


「可愛いよ」


 ドラマに出ている俳優みたいに、少し格好つけて言ってみる。

 雰囲気が、ピリッとした。


 雪羽が不機嫌になったのが、すぐにわかった。こういうのは好きじゃないのかもしれない。私は誤魔化すように笑った。


「なんてね。雪羽が可愛いのはほんとだけど、ふざけすぎたね。……行こ」

「……待って」


 歩き出そうとすると、雪羽にコートの端を掴まれる。

 雪羽の方からこうやって触ってくるなんて、珍しいと思う。


「手、出して」

「ん? 何かくれるの?」

「いいから、出して」

「いいけど……」


 雪羽に手を差し出すと、そっと握られた。

 いや。ただ握られただけ、じゃない。

 これっていわゆる、恋人繋ぎだ。

 え。


 声が出なくなる喉に、うるさくなる心臓。止まらない体の反応は、彼女のことがどうしようもないくらい好きだからで。


 それだけじゃ、ない。

 こんなことをしてくれるなんて、思っていなかったから。嬉しさとドキドキで、全身が破裂してしまいそうだった。


 なんでと聞きたい。

 でも聞いたら終わってしまうような気がして、聞けない。

 今の私にできるのは、これを拒まないこと、だけだ。


「さっきみたいにぼーっとされたら、困る。怪我とかしたらアレだし」

「そ、だね。あれ、だね」

「そう、アレ。だから、このまま。学校、行こ」

「……いく」


 手袋と手袋が重なる、少し不恰好な手の繋ぎ方。

 でもそれは今の私にとって何よりも愛おしくて温かくて、今隕石が落ちてきて、このまま死んでしまってもいいなんて思うほどだった。


 実際そうなったら雪羽も死んじゃうから、駄目なんだけど。

 スキンシップがあまり好きじゃない雪羽が自分から手を繋ぐという選択をしてくれたことが、とにかく嬉しい。


 私と雪羽は親友だって、信じてもいいんだろうか。

 クラスが替わっても一緒にいられることを、期待してもいいのかな。


 疑問とか期待とか色々なものが喉に詰まって、呼吸すらできなくなりそうだった。でも今はただ雪羽と手を繋いでいたくて、頑張って呼吸をしながら街を歩いた。


 白銀の街は、いつもより輝いて見えた。

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