俺は天才
フォース
第1話 出会いの先に
「俺は天才なんだ」
その言葉だけが、家族3人で囲んだ食卓に響き渡った。
季節は8月。外の熱い日差しとは打って変わって、リビングには冷たい空気が流れていた。
「なぁ、ヒロ。もう高校3年生だ。お前がやりたいのはわかってる。けど、現実を見てくれ」
目の前の父さんは一旦箸を止め、肘をつきながら話し始めた。
「そうよ。父さんの言う通り、”普通に”働いてくれればいいのよ」
隣にいた母さんも箸を止め、父さんと俺の方を交互に見ながらそう言ってきた。
「……なんだよ、”普通”って。まるで俺が普通じゃないみたいじゃないか!」
握りしめた箸を机にたたきつける。空中で二つの方向に分かれて、そのまま重力に倣って地面に叩きつけられた後、コロコロと転がっていった。
「くそっ!」
俺は虫の居所が悪く、家にいることさえ嫌悪感を感じ始めた。
部屋の扉を殴るようにして開け放ち、タブレットだけを抱きかかえて家から飛び出していった。
20分ほど歩いただろうか。辺りは徐々に暗闇に包まれてきており、月明かりが足元を照らし始めた。俺は家の裏側にある、大きな山に来ていた。昔から何度か来たことはあったが、相変わらず人気のない場所だ。
「はっ、はっ、はっ……」
自然と息が切れていた。最近は勉強ばっかりで、ろくに運動なんてしていない。
「どこだ……ここ」
ふと、足が止まった。無我夢中、山の中を登ってきたがどうやら相当奥地まで踏み込んでしまったらしい。
流石にこれ以上はまずい、そう本能で感じ取って引き返そうとした瞬間、小屋が俺の目に映りこんだ。
その小屋は木でできていて、かなり古そうに見える。扉は閉まっており、中は確認できない。だが、明らかに人の気配がするような作りではなかった。
流石に俺にはこの扉を開ける勇気も気力もない。少し降りてゆっくりと夜空でも眺めて夜を明かそう、そう思って歩き始めた瞬間、背後から声を掛けられる。
「ん、こんなところに人が来るなんて珍しいね」
その声で心臓が飛び上がった。恐る恐る後ろを振り返って見ると、そこには制服を着た女の子が立っていた。
身長は俺と同じ160cmくらい。スレンダーな体形で、濡羽色の髪は腰辺りまでかかるほど長く夕日に照らされながらなびいていた。
「ひ……人!?」
さっきまでこの辺りには人の気配などなかった。もしかして、この小屋の中にいたのだろうか。
「何? 人のこと、まるで幽霊を見るような目で見て」
「い……いや。さっきまで人なんていなかったから、どこから来たのかなって」
「あぁ、私ここに住んでいるのよね」
そう言って女の子が指さした先にあったのは、さっきの小屋だ。
「え、こんなところに住んでいるの!?」
俺がそういうと、女の子はムスッとした顔つきで「こんなので悪かったね」と言った。
「そういえばさっきから持ってるそれ、何なの?」
女の子は俺が手にしているタブレットをじっと見つめる。
「これ……? これで小説とか読んだりするんだ」
「小説を……? 君、小説が好きなの?」
「うん、たまに書いたりもしてるんだ」
「!」
女の子の目がギラッと光り、グイグイと俺のほうに近づいてきた。
「私、あなたの書いた小説読んでみたい! いいかな?」
「い……いいけど……」
俺はそこで言葉を止めた。
「いいけど、たぶん面白くないよ」
そう、零れるようにして呟いた。
「どうして? 普通は自分が書いた作品って最高に面白いって思わないの?」
「最高に面白い……?」
「うん。だって、その小説を書けるのって世界であなた1人だけじゃない。だったらあなたは世界で1番面白い小説を書いたことになるのよ」
「……」
俺は言葉を失った。世界で1番面白い。そうだ、俺は天才なんだ。胸の奥からふつふつとこみあげてくるものがあった。
「そうだ……。俺は天才だから」
俺がそういうと、女の子は少しだけ間を開けて「ぷっ……」と吹き出す。
「あははははっ。自分のこと天才って言ってる人初めてみたよ。君、面白いね。名前は?」
「……
「私は
「まぁ……いいけど」
ヒロと呼ばれるのは家でも学校でも慣れている。生まれてから今まで、何度もそう呼ばれてきた。
「それでヒロはさ、どんな小説書いてるの? 見せてくれない?」
「……笑わないならいいけど」
「面白くて笑っちゃうのもダメなの?」
「……それはいいけど」
そう言って俺は渋々持ってきたタブレットを星川さんに渡す。だが、受け取った彼女は小説を見ようとはしなかった。
「どうしたの?」
「んー、これってどこで小説読むの?」
「え?」
星川さんはタブレットを片手でもち上げてヒラヒラと揺らす。
「どうって……タブレットとか使ったことないの?」
「あー、あたし機械音痴だからあんまりこういうの苦手なのよね」
仕方なく俺は電源ボタンを押し、インターネットブラウザを起動して小説投稿サイトを開いた。1話目をタップしてこれでいつでも読むことができる状態になった。
「はい。これでスクロールしていけば見れるよ。次の話に行きたいときはここね」
タブレットを触ったことがないなら、スクロールも分からないだろうと思い、指で下から上にスッとスライドさせてページが動くことを教えた。
「おぉ~! ヒロ! これすごいね!」
その瞳は、本当に初めてのものを見た時のように輝いていた。
「俺、少しそっちで待っとくから、読み終わったら声をかけてほしい」
「分かったわ」
どうも目の前で自分の小説が読まれると恥ずかしいものなのである。俺は少し歩いた場所にある小さな岩に腰掛ける。
5分ほどであっただろうか。星川さんがこちらに歩いてくる足音が聞こえた。100話以上あると思うのだが、もう読み終わったというのだろうか。
「どう……だったかな……?」
「えーっとね」
まるで俺のことを睨みつけるかのような仕草をしたが、すぐに肩を落として落胆した。
「ちょっとひどすぎて、見てられないね」
「えっ?」
「そもそもストーリー以前に小説を書くための基礎が全然できてない。何で会話文なのに最後に句点が付いてるの? それと改行とか字下げしてないからものすっごく読みずらい! ヒロ、ちゃんと小学校行ってた……?」
「うっ……」
その指摘にはぐうの音も出なかった。そう、俺は中身以前に形式すらできていなかったのだ。
「まったく……私が色々とみてあげるから明日全部紙に書き直してからきて。こんなのじゃ添削もできないから」
そう言って俺にタブレットを返してくれた。
「わ……分かった。また明日も夜にここに来るから。それじゃあ」
辺りはすっかり日が暮れていた。先ほどまでの夕焼けの空はどこに行ってしまったのだろうと、探してしまうほど暗いのである。
こうして、俺は裏山の小屋に毎日のように通い続ける日々が始まるのであった。
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