異形の怪物から逃げつつ恋を成就させる恋愛サバイバルホラー

ざとういち

絶対に逃げられない。

人で賑わう駅前。将来有望な目をキラキラさせている学生。仕事の日々で目が死んでいるサラリーマン。今日の買い物のことで頭がいっぱいの主婦…。


そんな多種多様な人間が溢れ返る光景の中、俺はその人々を注意深く見る。あれは…大丈夫か?あれは、もしかしたら…。疑心暗鬼になる気持ちを落ち着かせつつ、“どこにでもいる普通の好青年”、そんな自分を演じながら歩く。


「よろしくお願いしまーす!」 


俺の前を歩いていた女性にティッシュが差し出される。ティッシュ配りをしているようだ。女性はティッシュを受け取らずそのまま立ち去っている。


ティッシュを配っている人物も女性だった。しかも若くて美人な。彼女は生活のために一生懸命ティッシュを配っているのかもしれない。だが、受け取った途端話し掛けられて面倒なことになるパターンもある。無視した女性が懸命な判断をしたとも受け取れる。


俺はどうするべきか。冷や汗を流しながら真剣に悩む。考えられる時間は短い。もう目の前にティッシュを手にした女性は立っている。


受け取ろう。無視すれば何も面倒なことはないはずだ。だが、俺はこの女性の仕事に貢献してやりたいと思った。右手を差し出す。


「蘆蠡畫豐燠茣嵳膽襍澂。」


「……え?」


美人だった女性の顔は顔面が真っ黒になり、巨大な赤い目が発光する異形の姿へと変わっていた。…“奴”だった。


「……ッ!!」


俺は全速力で駅前から逃げる…!俺の様子に通行人が戸惑っているがそんなことを気にしている余裕はない…。とにかく全力で逃げる。逃げる。…後ろを気にすると来ている。黒い顔で女の体の化け物が滑るように俺を追って来ている…!


「はぁッ…はぁッ…クソッ…!!」


路地裏を駆け抜け、商店街に入る。…どうやら撒いたようだ…。俺は大きく息を吸って酸素を体内に取り入れながら体を休める。


俺はこんな生活を5年続けている。


ある日から突然、俺は普通の人間に紛れた“黒い顔で赤い目を持つ化け物”に追われるようになってしまった。


“奴”が何者なのかは分からない。ある程度接近すると姿が変わり、謎の言語を発した後に俺を追うようになる。


何が原因で追われるようになったのかも心当たりがない。当時小学生だった俺にはもはや正確な記憶もない。俺以外には見えていないようだった。捕まったらどうなるかも分からない。…何故なら俺は今まで“奴”に一度も捕まったことがないからだ。


だから怖い。“奴”に捕まったらどうなってしまうのか、想像すると怖くてたまらないんだ。だから捕まる訳にはいかない。


幸い、“奴”の追跡時間は短い。速度はかなり速いが、ある程度逃げ続ければそのうち姿を消す。その間隔に慣れている俺はなんとか逃げ続けることに成功している。


こんな状況に晒されているが、俺は普通に人生を送りたいと思っている。あんな“奴”のせいで俺の人生台無しにされてたまるかと思っていた。


だから俺は、本来無視すれば良いティッシュ配りの相手も自らしたいと思った。あらゆる人間から逃げ続ける、無視し続ける生活などごめんだ。俺は普通に生きたい。


「あれ?あきらくん?」


御島みしまさん…。」


“彰くん”とは俺の名前だ。俺を見掛けた少女は俺の顔を珍しそうに見つめている。


「どうしたの?そっちは

 学校とは反対方向だよね?」


「いやちょっと…忘れ物して…。」


「あはははっ!駄目だよ?

 しっかり前日に準備しないと!」


俺は明るい彼女の笑顔で、先程の疲労を癒していた。俺は彼女、御島みしま 美海みうさんのことが好きだった。見た目の可愛さも然ることながら、性格の優しさに特に惚れていた。なんとかしてお付き合いしたい。常に彼女の好感度を上げようと奮闘している。


「走って来たの?汗凄いよ…?

 ハンカチ貸そっか?」


「……!?」


御島さんのハンカチーフ…!今は早朝、それに貸すということは未使用品である可能性は高いが、是非とも使わせていただきたい…。俺は右手を差し出しハンカチを受け取ろうとしたが…。


こいつは本当に御島さんか…?


そんな不安が脳裏をよぎった。ティッシュの次はハンカチとはずいぶん洒落が利いてやがると思った…。ハンカチを見つめながら悩む俺を御島さんは不思議そうな目で見つめている。


二度も騙されてたまるかと俺はハンカチを拒んだ。


「ごめんね…。余計なお節介

 だったかな…。」


悲しそうな顔で俯き、そのまま御島さんは去っていってしまった。…やっちまった。あれは本物だ…。クソッ…!好感度が下がる嫌な音が俺の耳に響いていた。


“奴”は知り合いにも擬態する。ある程度近付かないと正体を現さないのも厄介だった。好きな女の子に近付くのは早々出来ることではない。


俺は“奴”から逃げつつ御島さんの好感度を上げなればならないという、ハードモードな宿命を背負っているのだ。


…御島さんの好感度を下げてしまい、傷心したまま俺は駅前を抜け、自分が通っている高校へと歩みを進めた。


幸い、通学途中に再び襲われることはなかった。教室に入り、一通り怪しい奴がいないか確認して、俺は席に着いた。


“奴”は不意に現れる。人が激しく出入りするような場所でなければ、比較的安全は確保出来た。


それからは普通に授業を受け、しばし平和な学校生活を送る。俺の右斜め前に御島さんが座っている。普段と変わらない様子で授業を受けているが、俺は今朝のことが気になってしょうがなかった…。


俺は休み時間に御島さんに謝ろうと思った。気にしていなければ変な奴と思われるかもしれない…。だが、俺は少しでも好感度を上げたい。謝らないよりは謝った方が良いだろうとそう思った。


休み時間になり、御島さんは廊下で女子と談笑していた。そこへ目掛けて一直線に歩みを進めようと思っていた時だった。


「よっす!彰っち!」


髪色の明るい快活な少女が俺に声を掛けてきた。やたら胸がデカい。俺はついそっちに視線が行きそうになるのを必死で堪え、不機嫌そうな顔をしてそいつを睨む。


倉橋くらはし…。俺は御島さんに

 用があるんだ…。そこをどけ。」


倉橋くらはし 涼風すずか。こいつの名前だ。何故かやたらと俺に構ってくる。もしも俺が“御島さんに恋していないルート”があったならば、こいつと仲良くしたいと思ったかもしれない。だが、今の俺は御島さん一筋だ。こいつは眼中になかった。


「まーた御島さんですかぁ…。

 まったく一途なんだから

 彰っちは〜…。」


明るい声で少し寂しそうな顔を見せる倉橋。申し訳ないがその通り、俺は一途だ。お前の相手をしている場合では…。


「…うっ…ひっく…。」


「……えっ。」


な、泣いてる…!?俺そんなに酷いことしたか…!?頭がパニックになる。さすがに女を泣かせてそのまま立ち去るなんてそんな真似出来る訳がない…。俺は御島さんに謝る前にこいつに謝っとくことにした…。何が悪かったのかはよく分からんが…。


「す、すまん倉橋…。

 ちょっとそっけなかったか…?」


「泣くなって…。話なら

 聞いてやるから…。」


「逅蠡嘉鑠售虞蓙謂麗鑄。」


「……ッ!!」


廊下を一気に駆け出す…!『廊下は走るな。』そんなポスターが目に入ったが走らなかったら死ぬかもしれない…!今は許してくれと思いながら全速力で駆け出した…!


倉橋のデカい胸を揺らしながら“奴”が俺を追い掛けてくる…。そこに視線が吸い込まれそうになるが、異形の顔を見て一気に冷静になる。クソが…ふざけやがって…。


「ハァ…ハァ…ハァー…。」


下駄箱の辺りまで来てようやく消えた…。今のは倉橋そのものだった…。泣き落としまで仕掛けてきやがって、今回は見破ることは困難だった…。


俺は水道の水をがぶ飲みした。正直、古臭い水道から流れる水は視覚的にも美味いと言える物ではない。だが、今の俺には貴重なエネルギー源だった。


「んぐっ…んぐっ…プハッ。」


「彰くん。」


「さ、佐々木さん…。」


次から次に女子に声を掛けられる。正直嬉しくない訳ではないが、さすがに今は心身共に疲れ果てている。あまり女子の顔を見たい気分ではなくなっていた…。


佐々木 穂香ほのかさん。真面目な学級委員タイプの少女だ。キリッとした佇まいで俺のことを見つめている。


彼女とは去年同じクラスだった。今は別のクラス。特に交友もない。何故いきなり話し掛けてきたのか。俺は怪訝な顔をした。話し掛けてくるのは大体ロクな“奴”ではないのだ。


「……。」


俺は警戒心を強め、彼女と距離を取る。しかし、また妙な態度を取れば相手を泣かせてしまうかもしれない…。そんな板挟みな気持ちに襲われながら、俺は硬直していた。


「あなたもそうなの…?」


「……え?」


“そう”とはなんだ…?俺が困惑していると佐々木さんの背後に男性教諭が姿を現した。


「佐々木。少し良いか?」


「…は、はい。」


男性教諭に声を掛けられ、佐々木さんは歩み寄った。その時だった。


「猗漓峨頭鶲寤佐煎蟆濟。」


「…ッ!!」


“奴”だった…!今のは俺じゃない…!明らかに佐々木さんがターゲットだった…!佐々木さんは震えて動けなくなっている…。俺みたいに慣れていないのか…!?


「佐々木さんッ!!走るぞ!!」


「う、うん…っ!!」


俺は佐々木さんの手を掴み強引に走らせた。俺は続け様に逃げる羽目になったのでさすがにキツかったが、なんとか図書室に逃げ込んで撒くことが出来た。


「はぁ…はぁ…。」


「はぁ…佐々木さん…。

 大丈夫か…?」


「え、えぇ…。」


佐々木さんは相変わらず震えている。普段見せている凛々しい姿とのギャップが激しかった。


「…今週に入ってからなの…。」


「……え?」


「突然…。私に話し掛ける人の中に

 おかしな存在が紛れ込むように

 なって…。」


「近付いたら変な言葉を喋って…!!

 顔が黒くなって…!!目が赤く…

 もう嫌…っ!!こんな生活…!!」


佐々木さんは両手で顔を覆って泣き出してしまった…。女子が泣く姿を見るのは本日2度目だ。…一人は“女子”じゃないかもしれんが。


「落ち着いて…。大丈夫…。

 俺も同じだ。だが生きている。」


「俺はもうこの生活を5年続けている…。」


「ご…5年…!?」


「…あは…あはは…。」


佐々木さんは壊れたような笑顔を見せる…。自分も今後5年も追われ続けるのかと絶望しているようだった…。安心させるつもりで言ったが、失敗した…。


「…佐々木さんは何か

 追われるようになった

 心当たりはあるか…?」


俺は話題を変えるためにも尋ねた。正直、俺は追われるようになった原因を全く覚えていない。何か真相に辿り着けるヒントがあるかもしれない。


「心当たり……。」


佐々木さんは必死で記憶を辿っている。今週なら何か覚えている可能性は高かった。


「神社の前…。」


「神社の前を通った後かもしれない…。」


「神社……?」


俺は必死で記憶を捻り出す。確かに小学生の頃、神社で遊んだ記憶はたくさんあった。俺もそこで何かを“拾って”来たのかもしれない。


「もしかしたら“霊”なのかも…。」


「霊…。」


俺はこんな異常な現象に襲われながら、そういうオカルトな物はあまり信じていなかった。霊とは別の物だとずっと決め付けていた。


だが、正体が“霊”なら何か対処出来るかもしれない。そう思った。


「お祓いとか、お札とか…。

 そういう物に頼ってみようか…?」


「俺はそういうの信じてなくて

 一回も頼ったことないから…。

 もしかしたら効くかもしれない。」


「…そ、そうね…。」


佐々木さんの目にほんの僅かだが、希望の光が灯っていた。少なくとも自分と同じ目に遭っている人間がいるということが分かっただけで、少しは安心出来たようだった。


「…今日の放課後までにどこかお祓いが

 出来る場所がないか検索してみよう。」


「見つかったら佐々木さんも

 俺と一緒に見てもらおう。」


「う、うん…。ありがとう…。」


本当は次の休みの日等にしたかったが、佐々木さんの様子を見る限りいつ捕まるか分からない。そんな悠長なことは言っていられなかった。


その後、俺と佐々木さんはそれぞれ教室に戻り、安全を確認した上で、俺は再び授業を受けた。授業の合間や休み時間を使って俺はひたすら近くにお祓いが出来る場所は無いか探した。


すると、ボランティアで霊に関する相談に乗っているという霊能力者がヒットした。お祓いも出来るらしく、悩みを解決した数々の実績なんかがサイトに載せてある。正直、かなり胡散臭い。だが、今は藁にもすがる思いでこいつに頼るしかなかった。神社に行くという手もあるが、原因が神社にあるならそこに近付く気持ちにはなれなかった。


「佐々木さん…。」


休み時間、俺は佐々木さんのクラスに行き、お互いが本物であることを慎重に確かめながら、放課後お祓いに行こうという話を進めた。


「放課後、教室で待っていて

 くれないか…?下手に

 他の場所で待ち合わせるのは危険だ。」


「俺が迎えに行くから…。」


「あ、ありがとう…。

 ごめん…。よろしくね…。」


弱々しくお礼を言い、そして謝る佐々木さん。こんな状態の彼女をほうっておく訳にはいかない…。なんとかして解決してあげたいと思った。


そして、放課後。俺は急いで佐々木さんの教室に向かおうとした。


「彰くん…。」


「……ッ!」


御島さんだった…。本当に今日は女子に話し掛けられる日だ…。突然、俺が一途に想いを寄せている人が話し掛けてきたのだ。気持ちが揺れた…。


佐々木さんとの約束を優先すべきだ。そうは思ったが、俺は今朝、御島さんを拒絶してしまい好感度を落としている。ここでさらにヘマをする訳にはいかなかった。


「な、何…?」


「遭哩珂執飢護蔵好痲巢。」


馬鹿だった。迂闊だった。つい気が緩んですぐ彼女に近付いてしまった…!


「クソッタレがぁ〜ッ!!」


俺は全速力で逃げ出した…!佐々木さんの教室の前を駆け抜けていく…!


「…っ!?彰くん…!!」


佐々木さんの声が聞こえた。逃げる俺の姿を見たのだろう…。約束していたのに申し訳ない…!こいつを撒いてすぐ佐々木さんの元へ向かいたかった…!


それから1分ちょっと走り続けた。


「はぁ…はぁ…撒いてやったぞ

 チクショウ…。」


俺は乳酸が溜まった足を引きずりながら佐々木さんの教室へ急いで戻った。


「佐々木さん…!」


教室を見た。佐々木さんの姿がない…!?


「佐々木さんならさっき血相変えて

 教室から出て行ったけど…。」


クラスメイトがそう教えてくれた。俺のことが心配になって追い掛けてきてしまったのか…。マズい。次は佐々木さんが襲われるかもしれない…。


俺は焦った。廊下をくまなく見て回るが佐々木さんの姿が発見出来ない…!俺があんなヘマをしなければこんなことには…。


下駄箱を確認しよう。佐々木さんの靴があれば校舎内にいることは確定する。そう思っていた時だった。


「佐々木さん…!!」


校舎の外、その遠くの方に佐々木さんの後ろ姿が見えた。俺は急いで自分の下駄箱へ向かった。


焦っているので靴を履くのに少し手間取ってしまった…。佐々木さんの姿はもう下駄箱からは確認出来ない。俺は急いで彼女の後を追った。


校門の外、通学路の途中に佐々木さんの姿があった。だが…。


佐々木さんのそばには怪しい男が立っている。その怪しい男は佐々木さんに話し掛けようとしていた…!


明らかにそいつからは“奴”の気配がした。このままでは佐々木さんが“奴”の餌食になってしまう…!


「佐々木さん…ッ!!」


俺は急いで佐々木さんの腕を掴んで引っ張った。危なかった。もう少しで襲われるところだった。なんとか間に合って良かった。


「遭吏哦捕憂娯沙偉滿統。」


「……え。」


そいつは佐々木さんじゃなかった。俺は思いっきり“奴”の腕を掴んでしまった。


…空が見えた。倒れた訳でもないのに視界が空を向いている。なんだこれ。


「きゃあああああああッ!!」


「救急車…いや、警察ッ!!」


騒がしい声が聞こえてきたが、俺の意識はそこで途切れた。


…もし、今後“俺と同じ目に遭う人間”がこの先また現れるとしたら、そいつには上手く生き残って欲しい…。心の底からそう願った。

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異形の怪物から逃げつつ恋を成就させる恋愛サバイバルホラー ざとういち @zatou01

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