第26話 孤独バイナラ

 病院を退院した翌日から、俺はいつも通り仕事に通う事にした。


 スマホのアラームによって目を覚まし、怠い身体を無理やり起こしてカップラーメンに湯を注ぐ。待っている間に着替えを済ませて少し早めにカップラーメンを食べ始める。

 カップラーメンの濃い味が身体に染み渡る……もちろん良い意味では無い。嫌悪感がある訳でもないのに身体がブルっと一度震えた。

 朝食カップラーメンを食べ終えると、コップに水を注いでうがいをした後、歯磨きをする。それを終えるとこのアパートの鍵を手にして出ていった。

 バス停まで歩いてバスを待ち、バスに乗り、咲希先輩の隣に座らされ、他愛の無い話をしているうちに勤め先の遊園地に到着。そこで咲希先輩と一緒に降りて一緒に出勤。

 帰りも同様に咲希先輩と一緒にバスに乗り、他愛の無い話をしてアパートの近くのバス停で降りて咲希先輩に別れを告げ、歩いて帰っていく。


「……」


 玄関を開け、の一言を言う事なく、一人暮らし故にを言われる事もなく、リビングへと向かった。そして服を脱いで風呂に浸かった後、パジャマに着替えてカップラーメンに湯を注ぐ。

 何かをする訳でもないのにスマホを弄って時間を過ごしてカップラーメンを啜る。今日も疲れたのでそのままベッドに横になって目を瞑る……。


 ——そんな何気ないを、再び数日過ごした。それはつまり、サキが居なくなったという事である。



「どうしたのたすくん? 最近何か元気無いみたいだけど」


 ある日の帰りのバスにて、隣に座っていた咲希先輩が突然そんな事を聞いてきた。俺は窓に反射する自分の顔を見ると……鼻で笑ってしまう程に露骨にやつれている自分が写っていた。まるで“自分を心配してくれ”と言わんばかりに。


「——そりゃ、誰だってこんな朝早くに起きて仕事なんてしたくないでしょう」


 咲希先輩の心配を、俺は社会人と現代社会を皮肉るようにそう誤魔化す。


「じゃあ養ってあげよっか? 私は上司で給料も高いし」

「結構です」

「うぅっ……そんなすぐ否定しなくても」

「結構です」

「2回も言わなくていいよ! もしかして、あの女が原因?」

「——サキの事ですか」

「偶然だと思うけど、私と同じ名前だから一瞬私の事だと思っちゃうなぁ……あ、もしかして本当に私の事で悩んでくれたり?」

「そんな訳ないじゃないですか」

「あっそう……」


 俺の言葉に咲希先輩は落胆し、俯いて寂しげな声を出す。

 咲希先輩には何も言っていないが、俺が退院してからサキはずっと帰ってきていない……理由はもちろん知らない。

 もしかしたら入院している時に俺がサキにとって気に障るような事を言ってしまったのかとも思ったが、そんな表情は見せていなかった。


 “——もはや、言い返す気力も無いのね……タスク”


 “なんかもうここ数日、色んな事が起こり過ぎてさ……精神的に疲れた”


 強いて心当たりがあるとすれば、この会話だ。この後にサキが俺を一人にさせようと気を遣って咲希先輩共々外に出ていった訳だし……あれはもしかして気遣いじゃなくて、本当は見放されたという事だったのか?


「フッ……」


 鼻で笑うような声は俺から発せられた。だがそれは無意識ではあるものの、確かに俺の今の感情を見事に表しているとも言えた。

 ——自身を蔑む、卑下の声。


「たすくん……?」

「やっぱり俺、一人で居る方が良いんだ」

「えっ?」

「その方が気楽だ、他の事なんて考えずに済むんだ、他人の事を気にする事も無いんだ、裏切られた気分になる事も無いんだ……寂しくなる事も、無いんだ」

「——独りは、寂しいでしょ」

「それは他人と過ごす事が当たり前になってるからですよ……だから独りになった時、寂しくて辛くなるんです。だったら最初から独りの方が」

「寂しい事に慣れても良い事ないよ」


 咲希先輩の放った言葉に、俺は音が聞こえてくるほど強く歯軋りして言い返すのを堪える。

 確かにそれは的を得ているのかもしれない。人間というのは他人との関わりを避けられない……どんなに自分が拒んでも、何かしら絶対に関わらないといけない時が来てしまう。そんな時、寂しい事に慣れていた者は人との関わりとその温もりを知る代わりに寂しさを忘れてしまう。そして再び独りになった時、一人で居る事の寂しさを知る……思い出してしまう。

 ——結局、何が言いたいんだ俺は。


「……そうですね」


 俺はいつものように適当に返すと、そのままバスを降りていった。咲希先輩が何かを言っていたような気がするが、聞こえていないフリをした。



 家に帰ってきたら、さも当たり前かのようにエプロンを着たサキが怒った顔をしながら腕を組んで待っている……そんな期待を抱いていたが、玄関の扉を開いた先の光景を見た途端、それは冷酷にも打ち砕かれた。

 ——いつも通りの、寂しい部屋。


「……」


 どうしてアイツは居ないんだ。どうしてアイツは居たんだ。どうしてアイツは居なくなったんだ。

 脳内でそんな問いかけをしたところで返答は無く、俺はそのままリビングに向かい、意味もなく食料棚を開ける。そこにはで余ったのか、1人分の乾燥パスタと2片のニンニク、本当に使ったのか疑問に思うほど残っている塩、鷹の爪、僅かに減っているオリーブオイル。


「——やるか」


 俺は興が乗った。仕事の疲れが残っているにも関わらず俺はそれらを取り出し、かつてサキが俺に作った“ペペロンチーノ”を使ってみようと思ってしまったのだ。因みに作り方は知らないが、この材料を見ればなんとなくわかる。

 それに調理器具だってきっとあるはずだ。じゃなきゃあんなに美味しいもんを作れる訳がない。



 一通り揃えた俺はまず、鍋に水を入れて乾燥パスタを放り込んで茹でてタイマーをセットする。次に2片のニンニクを慣れない手つきで輪切りにし、フライパンの中にオリーブオイルと鷹の爪と一緒に入れる。そしてタイマーがなると鍋からパスタを出してフライパンの中に放り込んで炒めるように和える。最後に塩をひとつまみ入れて火を消し、余熱で温める。

 完成した料理を皿に適当に盛り付け、フォークを使って人生で初めて作ったペペロンチーノを食べてみた。


「なっ……なんこれ」


 滅茶苦茶不味い、という訳では無かった。しかしサキが作った物と比べると味は月とスッポンくらいに違っていた。もし彼女が居たとしてこれを出されたら、次は要らないとハッキリ言える程だ。

 材料は同じはずなのに、どうしてここまで差が出るんだろうか。料理とは奥が深いものである……だからといって料理研究家とかになるつもりはないが。

 しかしこれを生み出してしまったのは俺だ。だから何とかして無くさなければならない……どんなに礼儀を知らない俺でも、流石にそれは弁えている。そして改めて思った……“慣れない事はするもんじゃない”と。


「——全くもって美味しくないわ。ニンニクの香りは無いし、塩味も無いに等しい、麺も一部焦げているし、鷹の爪が何の役割も果たしてない。そして何よりオリーブオイルがただ油っこいだけの邪魔者になっているわ」


 自作のペペロンチーノに悪戦苦闘していたその時、視界の横からフォークを持った手が伸びてきて、ペペロンチーノを持っていった。


「え……?」


 この家に俺以外に人が居る……その驚きで俺は声の方に振り返ると、そこに居たのは。


「確かにペペロンチーノは作り手によってかなり差が出来る難しい料理だけれど、これは論外ね。まるで初めて会った時のタスクと同じくらい論外。タスクは何もできないクズよ」

「サキ……なのか?」

「当たり前よ、それとも何か? この世には私と同じく見惚れる程美しい顔をした女が居るとでも思っているのかしら。まぁ仮に居たとすれば1000%私の方が上ね、だってタスクみたいな良い所が何一つないダメクズ男にここまで尽くせるのだから」


 ——ああ、間違いない。この一言余計な毒舌女は紛れもなくサキだ。


「ああそうだな。顔が良いだけでこの世のクズを全て煮詰めたみたいに口が悪くて、自意識過剰で……」

「口が悪い? 自意識過剰? 何を抜かしているのかしら、私はただ事実を述べているだけよ。事実を述べられてそれを悪口と捉えるタスクの方がよっぽど自意識過剰だと思うのだけれど」

「——でも誰よりも俺の事を考えてくれる。そんな、この世で最も最低で理想の女性は……サキしかいないもんな」


 俺の言葉に食い気味で毒を吐くサキの言葉を更に食い気味に俺はそんな本音を口に出した。

 “最低で理想”……矛盾した言葉並びだが、これ以外にサキを見事に言い表している言葉は見つからないと思う。


「っ……さ、“最低”は余計よ。タスクにとって私の存在は理想でしかないのだから」

「だったらサキの毒も余計だからな」

「——そんな事より聞きたい事があるのだけれど」


 サキは露骨に話を逸らし、そんな事を聞いてくる。その時のサキは何故かモジモジしていた。


「な、なんだ?」

「この数日、私が居なくなって……正直、寂しかったかしら?」

「——本音を言うと、寂しかった」

「そう……」


 俺の返答を聞くと、サキはどこか満足げに微笑んだ。

 その表情を見て、わかっていた事だが改めてサキは何らかの目論見があってこの数日間俺の前に姿を現さなかった訳だ。まぁ質問の内容から察するに、大体“自分が居ない事に寂しいと思ってほしかった”とか“自分を必要としてほしかった”といったところだろうか。


「承認欲求満たしたいが為に、他人に寂しい思いさせんなよ……」

「わ、私だって仮にも女だから……誰かに思ってもらいたいとか、必要とされたいとか、それくらいの承認欲求はあるのよ」

「——必要とされたいなら、ずっと一緒に居てくれよ」

「タスク……」

「俺は“独り”に慣れたつもりだった。そんな時、サキが現れて、孤独を……寂しさを忘れさせた。お陰で“独り”がまた辛いものに戻ってしまった……俺に孤独を忘れさせたのなら、ちゃんと責任持ってくれよ」

「ふっ……ふふふっ」


 俺の超真面目な言葉を、サキは吹き出したように笑い声をこぼした。それは馬鹿にしているようにも見えるし、愛らしいという感情も窺えるように見える……変な笑みだった。


「なっ、何だよ。俺は本音で……!」

「それが本音というのはとても嬉しいけれど、その台詞は普通ヒロインが言うようなものじゃないかしら?」

「う、うるせえっ……こんな女々しい事言わせたのも、サキのせいだからな……!」

「ふふっ、そうね。ただでさえ面倒くさいタスクを更に面倒くさくしてしまったのだもの、ちゃんと責任は取らなきゃいけないわね」


 その時のサキの笑みには先程感じていた馬鹿にするような要素が抜けており、代わりに本当に楽しそうな“喜び”の感情があり、まさに無邪気な笑顔になっていた。サキをこんな笑顔にさせたのは、不本意とはいえ俺なのだと思うと……背徳感に似た達成感がある。


「——おかえり、サキ」

「ええ、ただいま……タスク」

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