冴えない俺、真反対な2人の“サキ”に求められるんだが何故?

枝乃チマ

第1話 俺と咲希/サキ

 バス内の乗客は皆、仕事帰りなのか堅苦しくて着心地の悪そうなスーツを見に纏い、仕事先で上手くいかなかったのかもしくは単に疲れているのか俯いていた。

 そんな疲れ切った空気が漂うバスの中は途轍もなく窮屈に感じた。その上荒い運転により中は揺れ、俺は乗り物酔いを起こしていた。


「……大丈夫? たすくん」


 俺が乗り物酔いをしている事に気づいたのか、隣からそんな俺を気に掛ける綺麗な声が聞こえてくる。


「だ、大丈夫です……なんとか耐えますから」

「絶対大丈夫じゃないし……最悪私の上に吐いちゃってもいいからね?」


 俺の隣……窓側の座席に座る彼女の名前は、眞田まことだ咲希さき。ショートヘアの可愛らしい顔立ちで性格も明るく、“自分に厳しく、他人にとことん優しく”がモットーな俺の先輩だ。24歳という若さで上司という立場にまで一気に上り詰めた凄い人なのだ。

 因みに俺は明日河あすがわたすくという名前だ。名前の最後の文字が“く”で、職場の中では最年少の19歳(今年で20)という事もあり“たすくん”と呼ばれている——咲希先輩だけに。


「いやいや……流石にそれは……」

「良いんだよぅ、たすくんみたいな子は歳上で頼れるお姉さんの私に縋っても」


 そう言って咲希先輩は可愛らしいドヤ顔で自身の大きくない胸をポン、と叩く。


「……頼れるお姉さん、ですか」


 俺は乗り物酔いで気分が悪くなりつつも、小さい声でそう呟く。

 咲希先輩は俺の事をやたらと気に掛けてくれる。先輩の整った顔も相まって普通であれば嬉しい事なのだが……生憎、俺は女性——というか、自分以外の他人に対してあまり良い印象を抱いていない。何を考えてるのかわからないし、もしかしたら俺みたいに“社交辞令”で表の自分を作っているのかもしれない。

 ——いわゆる疑心暗鬼というヤツだ。それに加え、元からあったネガティブ思考な部分も織り混ざって、自覚出来るほど“人間としての面倒くささ”を極めている。


「にしても昨日は不運だったね……事故っちゃったんでしょ?」


 咲希先輩は突然話題を変え、そんな事を聞いてくる。


「えっ……ま、まぁ……そうですね」


 俺は咲希先輩の問いに少しあやふやに答える。

 普段会社に出勤する時は自分の車に乗っていくのだが、昨日の帰りに事故を起こして車が無い為、今日からしばらくの間バスで移動する事にしたのだ。


「でも私としてはちょっと嬉しいかな」

「……俺の不幸がですか?」

「そんな訳無いよ!? ほら、行きも帰りも1人だからさ、ちょっと寂しいんだよね」

「だったら知らないおじさんにでも隣に座って貰えばいいじゃないですか」

「もー、冗談キツイよ……隣がたすくんだから嬉しいんだよ」

「そ、そうですか……」


 俺は咲希先輩の言葉に愛想笑いをして答える。

 “先輩アンタも、冗談キツいけどな”と思わず口に出しそうになるのを、必死で堪えた。


「……俺、家ここら辺なのでそろそろ」


 俺は視界が砂嵐のようになるほど乗り物酔いが酷くなりながらも、住んでいるアパートが近い事に気付き、降車ボタンを押そうと手を伸ばす。


「あ、いいよたすくん。私が押すから……よいしょっ」


 咲希先輩は俺よりも先にと素早く手を伸ばして降車ボタンを押す。


「……すいません、手を煩わせて」

「いいってば。寧ろもっと頼っちゃっていいからね〜、というか頼って!」

「何でですか」

「そりゃ……歳下の子には頼られたいからだよ、じゃなきゃ歳上として面子が立たないでしょ?」

「……そうですか」

「たすくんってさ、“そうですか”としか返答しないよね」

「俺、気の利いた事言えないんで」


 俺は咲希先輩にそう告げる。

 そうですか、としか答えない理由が“気の利いた事が言えないから”というのは半分嘘で、もう半分は心底どうでもいいがゆえに返答に困るからであるのと、本音を堪えているのがある。

 さっき言われた“隣が俺だから嬉しい”も返答に困るし、正直“そう言えば男は喜ぶんだろ?”みたいな気持ちが見え隠れしているような気がしてならない。


「別にそんな事気にしなくても良いけどなぁ、私ってそんな神経質に見える?」

「いや、それは……」


 俺が続けようとしたタイミングでバスが止まる。この後の言葉は社交辞令でもあまり言いたくなかった為、このベストタイミングを逃さまいと俺は座席から立ち上がってバスを降りようとする。

 因みに言おうとした言葉は“そんな事ないですよ”だ。当然だろう……先程も言及したが、女なんて目に見えるものが全てではないから。

 ——まぁ、それは人間みんな一緒か。


「あ、待って! 家まで付き添おっか?」

「大丈夫です……家、すぐそこなんで」

「そうなんだ……じゃあまた明日ね」

「はい、お疲れさまです」


 俺は手を振る咲希先輩に別れを告げるとそのままバスを降りる。バスの扉が閉まって次のバス停まで走っていくのを確認すると、俺は少し冷たい外の新鮮な空気を体内に取り込んだ後、かなり深いため息を吐く。

 ——やっぱり俺、咲希先輩が苦手だ。


「ん……?」


 ふと、ポケットに入っているスマホの滅多に鳴らない通知音がピロン、と鳴る。俺はスマホを取り出して内容を確認すると“ある人物”から一通のメールが。


「——はぁ……面倒くせぇ」


 俺はため息混じりに呟くと、まだ体調が優れないにも関わらず急いで家へと駆け出していった。



 面倒くさいと思いつつ、俺はアパートの階段を駆け上がって自身が借りている部屋の扉を勢いよく開ける。


「随分遅かったじゃない。一体どれだけ私を待たせるつもりだったのかしら?」


 扉を開けた先にはロングヘアで整った顔立ちの女がエプロンを身に纏い、怒っているのか腕を組んで俺を睨みつけ、帰ってきて早々そんな事を言ってきた。

 コイツの名前は“サキ”。偶然にも先輩と同じ名前だが、その姿と性格は真反対で、咲希先輩の鏡にはコイツが映ると言っても過言ではない。


「仕方ないだろ! 事故って車が無いからバス使うしか無かったんだよ!」


 俺はサキに向かってそう言い放つ。

 実は昨日の事故はただの事故ではない。車で帰宅中、突然人が飛び出してきて俺は慌ててブレーキを掛けたが、止まれずその人を轢いてしまったのだ。

 しかしその人は身体があらぬ方向に曲がっているにも関わらず起き上がり、俺に襲い掛かろうとしたのだ。そんな時、突如現れたサキによって助けられたのだ。

 ——そしてそこから何故か、同棲する事になったのだ。お陰で朝から毒を吐かれるわ、帰っても毒を吐かれるわでいい迷惑だが。


「あら、どんな状況があれどそういうのも見越して時間をきちんと守るのは当然じゃないかしら? 成人いていようがしていまいが貴方はもう社会人なのだから、そんな時間管理も出来ないようじゃ生きる価値の無いゴミね」

「ゴミって……酷い言い様だな」

「当然でしょう。それともなにか? 貴方の職場は遅刻しても許されるような甘い場所なのかしら」

「……帰ってくる時間くらい、良いだろ別に」

「良くないわ。もう殲滅したとはいえ、まだどこかに潜んでいるかもしれないし……もし貴方が襲われていたらと思うと、待っている側は気が気でないの」

「潜んでるって、何が」

「——そんな事より……ご飯にするの? お風呂にするの? それとも死にたい?」


 サキは俺の疑問を無視して、食い気味にそんな事を聞いてくる。

 俺は昨日の出来事と、コイツの事を未だ理解出来ていない。何故サキはこんなに毒を吐いてくるくせに俺との同棲を申し出たのか、俺に襲い掛かったあの人ならざる者はなんなのか……サキは何者なのか。


「……じゃあ、死にたい」

「——先にお風呂に入ってきなさい、貴方が遅いせいでご飯が冷めてしまったから」


 サキは俺の返答が気に食わなかったのか少し顔を顰めてそう告げると、リビングに向かって歩いていってしまった。


 ——結局、お前が決めるんかよ。

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