若き常勝不敗の将軍は、なんとしても退役したい 〜だけど優秀で可愛い小さな補佐官に邪魔をされるので、今日も仕事に追われています〜

サンボン

もう辞めよう

「ハア……将軍、辞めたいなあ……」


 ガルニア大陸の西側にある“エルタニア皇国”の東の国境、“サン=マルケス”要塞の執務室で、もう何百回、何千回と口ずさんだこの台詞セリフを、今日も書類の山に埋もれながら呟いてみる。

 というか、いくらこの僕がこの要塞の司令官で将軍だからといって、明らかに仕事量が破綻していると思うんだけど。


「“ベルトラン”将軍、そのような世迷言を口ずさんでいる暇がおありでしたら、早くカバレロ山の擁壁工事計画の確認をお願いします」

「……“カサンドラ”准尉。いつも言っているが、もう少し優しく接してくれてもいいんじゃないか?」


 僕の呟きを拾った、補佐を務めるカサンドラ准尉の冷たい一言を受け、彼女をジト目で睨む。


「将軍の仕事の効率が上がるのであればいくらでも優しくいたしますが、将軍にはこのように接するのが一番効果的ですので」


 眼鏡をクイ、と持ち上げ、冷たく言い放つカサンドラ准尉。

 くそう、皇国始まって以来の才女だか何だか知らんが、僕の部下として配属になってから丸一年になるというのに、ますます当たりが冷たくなっていくじゃないか。

 大体、僕は今の・・君に優しくされた覚えなんて数えるほどしかないんだけど。


「ハア……全く。そのような冷たい態度では、恋人の一人もできないぞ? ただでさえ見た目が子どもだというのに」

「……将軍、そういえばこちらの書類の決裁もまだでしたね」

「ヒイイ!?」


 そのアメジストのような紫色の瞳に強烈な怒りをたたえ、カサンドラ准尉は山となった書類を机の上にもう一つ積み上げた。

 どうやら僕は、彼女の逆鱗に触れてしまったようだ。


「では、夕刻になりましたら取りに伺いますので、それまでに全て・・片づけていただきますよう、よろしくお願いします」


 ペコリ、とお辞儀をして執務室を出て行くカサンドラ准尉。

 そんな彼女の小さな背中を見ながら、僕は口の端をヒクつかせながら見送ると。


「チクショウ! こんなの夕刻までに終わらせられるわけないだろう!」


 扉が閉まった瞬間、手に持っていたペンを放り投げた。

 この言葉をそっくりそのままカサンドラ准尉に言ってやりたいが、そんなことをしたら僕の生命そのものが終わってしまうので、こうして彼女がいなくなってから不満をぶつけるのだ。ただし、扉や壁に向かって。


「あーあ……大体、好きで将軍なんてやっているわけじゃないだけどなあ……」


 そもそも、七年前に隣国のタワイフ王国との戦において父上が戦死したことが、不幸の始まりだったんだ。


 シドニア侯爵家の長男だった僕は、せっかく入学したばかりの皇立士官学校で青春を謳歌おうかする予定だったのに、父上が死んだことによって急遽きゅうきょ侯爵位を継がなければならなくなった。


 それだけならまだ理解できるが、あろうことか父上の役職である将軍職まで引き継ぐ羽目になってしまった。

 しかも、既に十年に及んで戦争の続くタワイフ王国との国境最前線である、このサン=マルケス要塞まで。


 いや、貴族位はともかく、なんでそんな面倒なものまで押し付けられないといけないんだよ。おかしいだろ。


 ……なんて文句の一つや二つ言ってやりたくなるが、残念なことにエルタニア皇国はタワイフ王国とのこの十年の戦争で、将兵……特に指揮官クラスが軒並み戦死してしまい、人材難だったのだ。


 何より。


「士官クラスが貴族に限られるっていうのが厳しいよなあ……」


 これは皇国に限らず西方諸国であれば全てそうなっているのだから、別におかしい話じゃない。

 だが、そんな条件があるせいで、もっと優秀な人材が適切に能力を発揮できないのも事実だ。


 オマケに、将軍職ともなると侯爵以上の身分であることが条件だというのだから目も当てられない。

 そもそも侯爵位を持つ家の数自体、皇国内でうちのシドニア家を入れて八つ・・しかないのだから、構造そのものに問題があるだろう……。


 なので、士官学校でたった三か月しか学んでいない僕が、将軍なんて分不相応な役職に就かされているというわけだ。


「チクショウ! おかげで僕は、女子とキャッキャウフフする機会も失われ、同年代の友達もまともにおらず、男だらけのこの要塞で七年間も過ごす羽目になったのだぞ!」


 やりきれない怒りのあまり、僕は机を拳で思いきり叩く。痛い。


「せめてカサンドラ准尉がもっと、その……せめて優しさが普通の女子の半分……いや、ひとかけらでもあったなら、少しはまし・・なのになあ」


 平民出身でありながらも皇立士官学校を首席で卒業し、様々な部署で素晴らしい成果を上げ、准尉としてこの要塞に配属された彼女は僕と同い年で、おさげにした藍色の髪、アメジストの瞳に黒縁の眼鏡、幼さを残した顔立ちに小さな桜色の口からのぞく八重歯。

 身長も一四〇センチそこそこしかなく、当然ながら胸はぺったんこ……いや、この要塞の防御壁よりも絶壁である。


 そんな見た目に似合わず、その頭脳と事務処理能力は大変素晴らしく、部下としては非常に優秀なのだが……うん、とにかく氷のように冷たいのだ。

 おかげでこの一年間彼女から執拗なハラスメントを受け続け、日々の激務も相まってもう僕のメンタルはボロボロである。


「もう……無理だ……」


 机に突っ伏し、僕はポツリ、と呟く。

 僕はこの七年間、青春の全てを犠牲にしてものすごく頑張った。

 だからもう……いいんじゃないだろうか。


 ということで。


「よし、今度こそ・・・・将軍なんてもう辞めよう」

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