第8話(2) 長距離走

 長距離走の後の授業は最悪だ。

 座っているだけで睡魔に襲われるので、授業内容の把握と筆記に加え眠気とも戦わないといけなくなり、日頃の授業の二倍以上疲れる。もちろん、精神的に。


 チャイムが鳴り、ようやくその苦行から解放される。


 なぜだが知らないが、授業が終わった途端それまで感じていた眠気が急速にやわらぐ。


 体の動きが制限されている状態というのが、眠気を増幅させているのだろうか? なぞだ。


「いお、授業中ウトウトしてたでしょ」


 背後からの声に応えるため、私は体を横に向ける。


「してた。でも、寝なかった。なので、セーフ。むしろ、ファインプレー。優勝」

「眠過ぎて頭馬鹿ばかになってない? いお」


 そう言ってソフィアちゃんが、あきれた表情をその顔に浮かべる。


 まぁ、その可能性は否定出来ない。自分でも頭が働いていない実感あるし。


「顔洗ってくる?」

「あんま時間ないしいい」


 それに後一時間頑張れば昼休み、そこまで我慢すればなんとか……。


「いおも少しは走ってるんでしょ?」

「健康のためにね」


 あくまでも目的は健康、なので、それ以上の成果はあまり望めない。マラソン大会はおろか、体育の授業ですらあの始末しまつだし。


「いつもはどんな感じで走ってるんだっけ?」

「ペースや距離は決めずに、二十分くらい適当に走ってる感じかな」


 時間の方も厳密げんみつに決めているわけではないので、多少前後する。十八分だったり二十二分だったり。


「マラソン大会は七キロだから、二十分じゃ全然足りないわね」

「うっ」


 分かってはいるけど、改めて口にされるとより一層その事を意識してしまう。七キロなんて距離、私はこれまで一度も走った事がない。正しく未知の領域だ。


「一キロ六分だとして、四十二分? 実際にはもっと掛かるだろうから、五十分くらいは走れないときついかもね」

「五十分……」


 日頃走っている時間の倍以上……。そんな時間走り続けるなんて想像も出来ない。


「まぁ、ゆっくり気楽に走るつもりなら、話は別だけど」


 確かに、一キロを八分以上掛けて走れるのであれば、今の私でも七キロを完走する事は可能だろう。というか、運動部に所属しているわけではないのだから、それで全然問題ない気もする。後は、私の心持ち次第。ちゃんと走るかのんびり走るか、二つに一つ。うーん……。悩ましいところだ。


「いおってホント真面目まじめね」

「だってー……」


 成績に加味かみされるかは不明だが、だからと言ってダラダラ走るのもなんか違うような……。


「だったら、練習するしかないわね」

「今からやって間に合うの?」

「……少しはマシになると思う。やらないよりかはいいんじゃない」

「だよね」


 やはり、その程度か。マラソン大会まで後およそ二十日。時間が圧倒的に足りなかった。


「ソフィアちゃんは日頃、どんな風に走ってるんだっけ?」


 参考までに、ソフィアちゃんのランニング法を聞く。


 以前にも教えてもらっているはずだが、その時はなんとなく聞いてしまっており、詳細までは記憶していなかった。


「私はいおとは逆で、時間は決めないで距離だけ決めて走ってるかな」

「何キロ?」

「調子がいいと五キロ、悪いと三キロ」

「五キロ……」


 そんな距離、何か理由がない限り私は絶対に走らないし走れない。ソフィアちゃんはやはり、根本的にはアスリート脳なのだろう。


「ちなみに、タイムは……?」


 私はおそる恐る、ソフィアちゃんにそう尋ねる。


「日によって違うけど、大体二十五分前後? どれだけ遅くても三十分は掛からないかな」

「結構速くない?」

「そう? 自分では長距離は苦手だと思ってるんだけど」

「……」


 それで苦手と言われてしまったら、私のような人間はどうなってしまうのだろう。いや、私もそこまでひどいわけはないが。

 至って普通。平均点といったところだろう。


「とりあえず、本番までに五十分走ってみたら? 走る度に少しずつ時間増やしてく感じで。なんなら私、付き合うし」

「ソフィアちゃん……」

「というわけで、今日の放課後、早速三十分走ってみようか」

「はい?」


 今日の放課後? 三十分?


「急過ぎない? というか、少しずつって話はどこ行ったの?」

「思い立ったが吉日きちじつってね。それに、二十分も三十分もそんな変わらないでしょ」

「ソフィアちゃん、数字苦手だっけ?」

「私の数学の点数知らないの?」

「知ってる……」


 常に九十点オーバー。文系の中では、トップクラスの成績だ。


「大丈夫大丈夫。ゆっくり走るから」

「ホントに?」

「任せて。しっかりいおのペースメーカー、つとめてあげるわ」

「……」


 その屈託くったくのない笑みが、逆に不安をあおる。


 ソフィアちゃんが私に対して悪意のあるような事をするとは思っていないが、善意による暴走は充分有り得る。


 ……不安だ。

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