⁂3(1) 買い出し

「はい、しゅーりょー」


 冴島さえじま先生のその声に、教室の空気が一気に弛緩しかんした。


 ほとんどいつも通りの生活を送りテストに不安を覚えていなかった私でも、この瞬間ばかりは重圧からの解放を少なからず感じる。


 後ろから回ってきた答案用紙に自身の物を裏向きにして加え、それを机の前にやってきた冴島先生に手渡す。


「テスト終わったからってあんま騒ぎ過ぎるなよ」


 そう言い残すと、冴島先生は答案用紙を手に、教室を一人後にした。


「やっと終わったー」


 私の席に歩み寄りながら、紗良紗が心底ほっとした表情でそんな事を言う。


 どうやら、それなりに手応てごたえはあるようだ。


「ねぇ、この後お疲れ様会しない?」


 確かに、テストという不自由から解き放たれ、一騒ぎしたい気持ちは分かる。分かるが――


「いや、部活は?」

「……あっ」


 この反応、マジで忘れていたな。


 テストが終わったという事はすなわち、その期間中禁止されていた部活が今この瞬間解禁されたという事だ。そしてそれは、日頃から活動がゆるい文化部を除くほとんどの部が、今日から部活動を再開する事を意味する。紗良紗の所属しているテニス部が、どちらに振り分けられるかは最早もはや言うまでもないだろう。


「じゃあ、明日。明日ならどう?」

「私は別にいいけど、みんなにも聞いてみないと」


 明日の予定は帰宅部の私より、運動部に所属している面々に確認した方がいい。


「よし。ねぇ、静ちゃん、ともー」


 慌ただしく今度は、声を上げながら静香と朋絵の席に突貫する紗良紗。


 元気だな、本当に。


 その後、高橋先生が来てホームルームが始まる。

 ホームルーム自体はものの数分で終わり、すぐさま教室は先程までの喧騒けんそうを取り戻した。


 教室でいつものメンバーと少し話した後、部活組である紗良紗、朋絵、蒼生と別れ、静香と二人帰宅の途に着く。


「ハロパの準備ってさ、今どんな感じ?」


 廊下ろうかに出るなり、隣に並んだ静香がそんな事を私に聞いてきた。


「うーん。一応、大体のかざりはネットで注文したから、後はお菓子かしの調達くらい?」


 お菓子に関しては少量を注文するのがネットでは難しく、色々な種類を少しずつ買うのであれば実際にお店に行って買った方が良さそうだ。


「だったら明日、みんなで行かない?」

「あー、だね。それは私も思った」


 単に私一人でやるのが面倒とかそういう話ではなく、こういうのは準備からみんなでやった方が絶対楽しいと思う。


 ちなみに、明日のお疲れ様会には楓も参加する。ホームルーム前に私が誘ったら、二つ返事でOKを貰った。


 なんだかんだ言って、楓も私達のグループに大分馴染なじんできた気がする。

 まぁ、元々それなりに交流はあったので、お互いの関係に変化があったというよりかは、付き合いの幅が広がったといった方がこの場合正確なのかもしれない。


「桜と松嶋さんって幼なじみなんだよね」

「え? あ、うん。そうね。物心付いた時にはすでに一緒にいたから、多分そう」


 幼なじみの定義はよく知らないが、私自身は楓の事を幼なじみだと思っているし、向こうもおそらく同じだと思う。


「高校はあえて同じとこ選んだの?」

「うーん。どうかな。一応、どこ行くみたいな話はお互いしたとは思うけど、示し合わせてっていう感じではなかったような……」


 そもそも、中三の頃には私と楓は別々の友達と遊ぶようになって、言う程一緒にはいなかった。登下校や学校で顔を合わせれば、一言二言言葉を発する、そんな関係だった。


「何、急に?」

「いや、最近松嶋さんと絡む頻度が多くなって、改めて桜と松嶋さんの関係が少し気になって」

「私と楓の関係?」


 静香の言葉の真意が分からず、私は首を傾げる。


「なんか松嶋さんといる時の桜って、こう、違うんだよね、他の人といる時とは」

「そりゃ、付き合い長いし、人によって空気感だったり反応だったりって違うものでしょ」


 何もそれは、楓に限った話ではないような気がする。静香と話している時の私と紗良紗と話している時の私は違うだろうし、もっと言えば中学の時の友達と話す私は更に違うだろう。


「そう、なんだけどさ。なんて言うか、二人でいる時は特別な感じ出てる、みたいな? 合ってるかは分からないけど、ちょっと水瀬さんと早坂さんの関係に似てるかも」


 あの二人に似ている? それって……。


「ごめん、急に変な事言って。忘れて」

「え? あ、うん。いいけど……」


 と口にはしたものの、忘れてと言われて、はいそうですかと忘れる事が出来る程人の脳は単純ではないし、またそんな軽い話でもなかった。少なくとも、今の私にとっては。

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