第4話 開けゴマ

 水曜日の放課後、私は当初の予定通り早坂家にお呼ばれして、ソフィアちゃんとその両親と共に夕食を取った。


 食事中、ジョージさんと美怜さんから娘を頼みますと頭を下げられた。

 やはり、年頃の娘を一人置いていくのは心配なのだろう。


 私は二人を安心させるためにも任せてくださいと力強く頷いた。


 食事を終えた私は、ソフィアちゃんと彼女の自室に向かう。


 後でジョージさんが車で送っていってくれるというので、今日はある程度遅くまでいられる。と言っても、後一時間くらいだが。


 二人で床に置かれたクッションの上に、向かい合って座る。


「今日はありがとね」


 腰を下ろすなりソフィアちゃんが、そんな事を私に言ってきた。


「ううん。私も最後に二人とちゃんと会っておきたかったし」

「いおの言葉で二人共、少しは安心したと思う」

「そうかな? だといいけど」


 私は所詮しょせん、一高校生過ぎない。精々、ソフィアちゃんの隣にいて、一緒に悩みはげまし泣く事くらいしか出来ない。


「昨日いおが泣いてくれて、私嬉しかった」

「あれはもう、忘れて」


 あの醜態しゅうたいは、今思い出しても恥ずかしい。泣いた事もそうだが、何よりそれが勘違かんちがいによるものだった事が恥ずかしさを増大されていた。


「無理。多分一生忘れない。私にとっては、それくらい大きな出来事だったもの」

「大げさ……」


 ソフィアちゃんのその物言いに、私は苦笑を返す。


「全然大げさじゃないわ。それだけいおが、私の事を想ってくれてるって事でしょ?」

「まぁ……」


 否定はしないが、肯定こうていもしづらい。


 まったく、過去の自分はなんて事をしてくれたんだ。もしタイムマシーンがあったら、過去に戻ってなぐってやりたい。

 ……いや、そもそも過去に戻れるなら、殴るより前に勘違いを正せばいいのか。恥ずかしさのあまり、思わず殴る事を最優先に考えてしまった。例え自分でも、人を殴るのは良くない。気を付けよう。


「それにしても、なんで今回はソフィアちゃんだけ残る事になったの?」


 今までは家族みんなで引っ越していたのに、今回だけそうしなかったのはなぜだろう?


「何? 私も引っ越した方が良かったって事?」

「そうじゃなくて……」


 もちろん、私としてはソフィアちゃんが残ってくれた事は嬉しい。しかし、イレギュラーケースというものはやはり気になる。


「冗談よ。元々、ここにはそういう話で越してきたの。私ももう高校生になったし、学校をコロコロ変えると色々支障が出るでしょ?」

「前の所でそうしなかった理由は?」


 その理論なら、一つ前の所で残ってもいいはずだが。


「前の所はタイミング的にね、いつ引っ越すか分からないって事で、いいマンション借りなかったのよ。ここの三分の一くらいの広さだったかな?」

「なるほど?」


 つまり、今回ははなからソフィアちゃんが残る事を前提に、いいマンションを借りたと。確かにこのマンションは、仮住まいにしては立派過ぎる気がしていた。

 いや、女子高生が一人暮らしをするにしても、立派過ぎるのだが。


「だったら、もう少し愛想あいそ良くすれば良かったのに」


 最初から残る事が分かっていたのなら、ああいう態度は取らず周囲に馴染なじむ努力をした方が絶対いいと思うのだが。


「そんな、人なんて余程の事がない限り、簡単には変わらないわよ。大体、そういういおはどうなのよ。私が来た時、全然クラスに馴染んでなかったじゃない」

「うっ」


 調子に乗ってソフィアちゃんの事を攻めていたら、急に痛いところを突かれた。


「私はほら、頑張ってみたものの失敗したみたいな?」


 自分で言っていて悲しくなってきた。


「ドンマイ」


 ソフィアちゃんは同情するような顔を浮かべると、私の肩をポンポンと二度叩いた。


「もー。ソフィアちゃん」


 恥ずかしやら悔しさやら悪ふざけやら、色々な感情が一緒くたになり、私はその場の勢いでソフィアちゃんにおおいかぶさる。


「わっ」


 ソフィアちゃんが驚きの声をあげる。


「……」

「……」 


 至近距離で目と目が合う。


 気が付くと私は、ソフィアちゃんを床に押し倒していた。


 どちらとも分からない吐息といきれる。まるでメデューサの瞳に射抜いぬかれたかのように、体が硬直こうちょくして動かせない。


 これは……。この状況は……。


 ドクンと胸が高鳴る。今までに感じた事のない感情。いや、正確には、今まで感じていた感情のその先、まるで扉が少し開いたような……。


 コンコンと扉をノックする音がして、ふいに金縛りが解ける。


「ひゃい」


 私は変な返事と共に、ソフィアちゃんから体を離し、飛び退くようにクッションの上に座る。


 振り向くと扉が開き、美玲さんがそこから顔をのぞかせていた。


「あまり遅くなってもなんだし、九時には家を出ようかなってジョージさんが」

「はいっ。それでっ。大丈夫です」


 美玲さんの言葉に対し、動揺のあまり私は、無駄むだにハキハキとした返事をしてしまう。


「? じゃあ、そういう事で」


 若干の不自然さを感じつつも、美玲さんはそこには触れず扉を閉める。


 ふー。


 心の中で安堵あんどの溜息を吐き、ソフィアちゃんに向き直る。


 ソフィアちゃんもすっかり態勢を整え、クッションの上に行儀よく座っていた。

 背筋はピンとしており、足は正座、両の手は膝の上にしっかり置かれている。その様はまるで葬式の時のそれのようで、むしろ行儀ぎょうぎ良過ぎるくらいだ。


 目が合う。


 あんな事があった後だけに、なんとなく照れくさい。


 それはソフィアちゃんも同じようで、私の視線から逃げるように目が泳ぐ。


 しかし、すぐにその瞳は私をとらえ、


「いおって、可愛い顔して意外と肉食系なのね」


 と冗談めかしに笑って言う。ほのかに頬をリンゴ色に染めながら、ふにゃっとした表情で。




第一章 Open Sesame <完>

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