第17話(3) 合同練習

 百メートルを走り終わり、私達は再び荷物を置いた場所に戻ってきた。


 案の定というべきか、距離が伸びれば陸上経験のない二人のフォームはある程度崩れる。それでもソフィアちゃんの指導のお陰か、最低限の動きは出来ていた――ような気がする。

 所詮、素人意見なのでなんの根拠もないのだが。


 閑話休題かんわきゅうだい


 バトン練習にこの場所を選んだのは、とりあえず動きを覚えるだけならレーンを使う必要はないからだ。後、百メートルを走る時には必要のないバトンを置いておくならやはり荷物を置いてある所だろうし、だとしたらその近くでバトン練習をするのは自然であり必然だろう。


「バトンパスには、大きく分けて二つの種類があるのは知ってる?」


 指導を始める前に、ソフィアちゃんがまずそう話を切り出した。


「はいはい。手を上げるやつと奪い取るやつ。四継とマイルで違うんだよね」


 元気よく手を挙げ、木野さんがソフィアちゃんの質問に対して答える。


「そう。じゃあ、それぞれのメリットデメリットは?」

「え? うーん……」


 今度の質問には木野さんは答えられず、腕組みをしてうなる。


「手を上げる方は、スムーズに渡せてロスが少ないけどその分失敗が多い。奪い取る方は、振り向くからロスはあるけどその分成功率は高い。って感じ?」

「大体その通りよ」


 秋元さんの回答に、ソフィアちゃんが及第点を下す。


「正確にはバトンパスはもう一種類あるんだけど、そっちは素人が真似まねするものじゃないから今回ははぶくわね」


 ソフィアちゃんの言うもう一種類のバトンパスとは、日本代表も行っているアンダーハンドパスの事だろう。手を下ろしたまま受け渡しを行えるためフォームが崩れにくいという利点がある一方、技術向上やお互いの呼吸を合わせるのに時間を有するため、我々のような素人がやる意味はほぼないと言ってもいい手法だ。


「で、今回どっちのバトンパスがいいかと言うと――」

「はいはい。奪い取るやつ」


 再び木野さんが元気よく手を挙げ、今回は質問されていないにも関わらず答える。


「……正解よ」


 そのためか、ソフィアちゃんの反応はどことなく面倒くさそうだった。


「そもそも、三百メートル走った状態で手を上げたバトンパスするメリットは少ないし、他の距離でもメリットがデメリットを上回る程の練習をたった二週間でするのは難しい上に労力に結果が伴わない。だったら、最初から成功率の高い奪い取るバトンパスでやった方が建設的でしょ」


 ソフィアちゃんの言う事は、全く持ってその通りなので誰の口からも異論は出なかった。


「というわけで、今から奪い取るバトンパスの練習をします。いお」

「はい!」


 突然名前を呼ばれ、思わず大きな声が出てしまった。


「見本見せるからバトン持って」

「あぁ、うん」


 ソフィアちゃんの側に行き、バトンを右手で受け取る。


「まずバトンは右手で持つ事」


 言われ、バトンを持った右手を前に突き出す。


 二人に見せる意味合いもあったが、おそらく次にソフィアちゃんが行うだろう動作に備えようと思っての行動だった。


「で、左手で奪い取る」


 言いながらソフィアちゃんが私の右手から、左手でバトンを奪い取った。


「左手で奪い取って右手で持つ。途中で持ち変えるって事?」


 当然浮かぶだろう疑問を、木野さんがソフィアちゃんにぶつける。


「そう。奪い取ったら人とぶつからない限りすぐに持ち変える」


 そう言うと、ソフィアちゃんは実際に左手から右手にバトンを持ち変えてみせた。


「いお。実践するから、これ持って十メートルくらい走ってくれる」

「え? あ、うん」


 ソフィアちゃんから再びバトンを受け取り、私は十メートル程そこから離れる。


「いいわよ」


 こちらに向かって手を振るソフィアちゃんの言葉を合図に、私は六割程の力で走り出した。


 ソフィアちゃんは半身でこちらを見ている。


 三秒もしない内に、ソフィアちゃんの手前に辿たどり着いた。


 私がその場に着くコンマ何秒か前に、ソフィアちゃんが半身のまま動き出す。瞬間、私は右手を前に突き出した。そこからバトンを、ソフィアちゃんが左手で奪い取る。


 バトンが取られたすぐ後に私は立ち止まり、程なくしてソフィアちゃんも立ち止まる。


「っていう感じ」


 私達の元に歩み寄りながら、ソフィアちゃんがそう締めくくる。


「どう? 簡単でしょ?」


 そのソフィアちゃんの問い掛けに、木野さんと秋元さんはどちらとも言えないといった表情を浮かべた。


「バトン受け取る方が出るタイミングって?」

「……なんとなく?」


 秋元さんの質問に対し、ソフィアちゃんは答えながら首を傾げる。


 確かに、具体的にどのくらいで出るという答えはないかもしれない。まさに、なんとなく。程よいタイミングで。今と思ったら。とにかく、そんな感じだ。


「まずは、一・二走間の練習をしましょうか」


 そう言うとソフィアちゃんは、秋元さんに向けてバトンを差し出した。


「え? あ、うん」


 戸惑いながらも、秋元さんがそれを受け取る。


「私がスタートって言うから、そうしたらさっきのいおみたいに、十メートルくらい向こうからこっちに向かって走ってきてくれる? で、前の走者が動き出したらバトンを前に出す」

「分かった。やってみる」


 ソフィアちゃんの言葉に頷き、秋元さんが私達の元を離れる。


「さて、次は受け取る側だけど……」


 移動途中の秋元さんから木野さんへと視線を移すと、ソフィアちゃんがそう話を切り出した。


「はい!」


 それに対し木野さんは、元気よく返事をした。自分の番が来たのが嬉しかったのだろうか。


「……。受け取る方は、体をレーンの内側に向けて半身に構える」


 言いながら、ソフィアちゃんは木野さんに見本を見せる。


「出るタイミングは前の走者が着く少し前。この辺りはさっきも言ったみたいに感覚、正解はないから今だと思ったタイミングで出てもらう他ないわね」

「りょーかいです、コーチ」


 敬礼&返事の後、木野さんがこちら向きに構える。


 ふざけた言動に反し、その表情は普段より引き締まっており、そこからは木野さんのやる気や真剣度合が見て取れた。


 私とソフィアちゃんは木野さんから少し離れ、二人の動きが見られる場所で待機する。


 基本的にアドバイスをするのはソフィアちゃんの役目だが、私も何か気付いた事があれば口に出来るよう目をらしてその時を待つ。


 ソフィアちゃんが、秋元さんに向けて頭の上で大きく手を振る。それに、秋元さんも頭の上で大きく手を振る事で応えた。


「行くわよ」

「うん」


 ソフィアちゃんの言葉に、木野さんが小さく頷く。


 そして――


「スタート」


 その声を合図に、秋元さんが木野さんに向かってゆるやかに走り出した。

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