第一章 目には見えないもの

第1話 誘い

 私は基本、遠出を好まない。

 行っても駅五つか六つ分、日常生活で県をまたぐなんてもっての他だ。もし他県に行く事があったら、それは家族とのイベントか学校行事。私の中で県を跨ぐという事は、そのくらい大きな事、だった。


 窓側の席に座っていた私は、外に流れる景色を見ながらふとそんな事を考えた。

 まったく。彼女と出会ってから――いや、再会してから、私の常識や普通がことごとくくつがえされる。……まぁ、もちろん、いい意味で、だけど。


「何?」


 私の視線に気付き、隣の席に座るソフィアちゃんがこちらを見る。


「いや、なんだか、まだこの状況が信じられなくて……」

「まぁ、人のおばあちゃん家に行くなんて、普通じゃあまり考えられないわよね」


 そう言うソフィアちゃんはどこか他人事ひとごとで、とても発案主がする発言とは思えなかった。


 彼女は早坂はやさかソフィア。私のお友達だ。

 ソフィアちゃんは五月の途中という中途半端な時期に私のクラスに転入してきた、いわゆる転校生である。


 転校を繰り返す内に人と距離を置くようになった彼女だったが、なぜか私とはウマが合ったのか一緒に昼食を取るようになり――今に至る。


 幼い頃に一度だけ公園で会っていたのだが、その事も二人の関係を築けた事と無関係ではないかもしれない。


 容姿は非常に優れており、お人形さんかモデルのようである。身長は私と然程さほど変わらないので百六十くらい。肩先まで伸びたセミロングの髪は金色。大きく宝石のような瞳はあお色。整った顔立ちに加え、その二つの要素があれば彼女に外国の血が混ざっている事を疑う者はいないだろう。


 ソフィアちゃんはクォーターである。父親がイギリスと日本のハーフらしい。何度か顔を合わせた事はあるが、背が高い上に顔のパーツパーツの主張が強くまさにハーフという感じの容姿をしている。一方お母さんの方は、クールなキャリアウーマン然をしており、そこに若干の天然要素が加わる事でかなりポイントの高い大人女性となっている。


 そんな両親を持つ、完全無欠、超絶美少女の友人と、私がなぜ電車に乗って他県におもむいているかというと……あれは五日前の事だった。


 自室でベッドにうつ伏せ(?)に寝転がり本を読んでいると、突如とつじょわきに置いてあったスマホが震えた。


 ちなみに、読んでいた本は前日に出たばかりの新刊小説で、私が愛読しているシリーズの六作目の作品だった。新人作家の女性が事件に巻き込まれて結果探偵役をやらざるを得なくなるのだが、小説家が出版関係の事も書いているので非常に興味深くまたリアリティもあった。六作目となると主人公もすっかり探偵役が板に付いてきており、そこには安定感すら見える。


 ……話を戻そう。


 突如震えたスマホを手に取ると、そこにはソフィアちゃんからのラインが届いていた。内容は『今いい?』というシンプルなもの。何がいいのか分からなかったが、特別忙しかったわけでなかった私はすぐに『いいよ』とメッセージを返した。


 すると、間髪かんはつ入れずに画面に着信を告げる表示が。


 なるほど、今のやり取りは電話をしてもいいかの確認だったのか。

 などと考えながら、私は当然のように応答ボタンを押した。


「はい」

『あ、いお。ちょっと相談というか話があるんだけど』

「……」


 相談? 話? 一体なんだろう? 厄介事やっかいごとでないといいけど。


「えーっと、なんでしょう?」

『なんで敬語?』


 警戒心から思わず言葉づかいが丁寧ていねいになってしまった私に、ソフィアちゃんがそうツッコむ。


 んっ。


「で、何?」


 改めて私はそう聞き返した。


『……来週の火曜日から私、おばあちゃんの家に行く事になって』


 一瞬の変な間の後、ソフィアちゃんがそんな風にして話を切り出してくる。


「へー。どのくらい?」

『二泊三日の予定。だから、木曜日には帰ってくるつもり』

「そうなんだ」


 まぁ、別に毎日会っているわけでもないし、それくらいなら大騒ぎする程ではないかな。


「お土産みやげ期待してるね」


 なので、私はそう軽口を叩く。


 本当にお土産を期待しているわけではなく、ジョークのつもりだった。


『……』


 だが、ソフィアちゃんからすぐに反応が返ってくる事はなかった。


 あれ? もしかしなくても、スベった? それか怒らせた?


「あのー、ソフィアちゃん?」


 おそおそる電話の向こうの様子をうかがう。


 これはあれか。謝った方がいい案件かな? だとしたら――


「ごめ――」

『あのさ、いおってその辺りの予定ってあったりする?』


 ん? その辺り? というと、火曜日から木曜日までの三日間という事か?


「別にないけど……」


 なぜそんな事を聞かれたのか分からないまま、私はそう答える。


 まったく話が見えなかった。ソフィアちゃんがおばあちゃんの家に行くのとその間の私の予定、そこに一体どんな関係が?


『もしも抵抗がなければでいいんだけど……』


 なんだろう? ソフィアちゃんにしては、珍しく言いよどんでいるような……。


『一緒に行かない?』

「え? どこに」

『だから、私のおばあちゃんの家』

「……え?」


 そして、今この状況というわけだ。




 どうやら、本来は家族三人で行く予定だったのが、急きょ両親に仕事が入り行けなくなったらしい。


 両親は日を改めて行く事になったのだが、ソフィアちゃんにはどうしてもその日におばあちゃんの家に行きたい理由があり、どうにか自分だけでも行けないかと思案していた時に頭に思い浮かんだのが、私の顔だったようだ。他県に一人で行くのは心細い。なら、誰かに付きいを頼めばいいのではないか、という事らしい。 


 まぁ、そこでそういう発想が出る辺り、さすがソフィアちゃんといったところなのだが、正直頼られて悪い気はしない。ただ行き先が友人のおばあちゃんの家というのは、なんとも妙な気分だ。


 もちろん、私も二つ返事で今回の事を引き受けたわけではない。一応何度かやんわりと断ってみたのだが、思いのほかソフィアちゃんの意思が固く、最後はうんとうなずかざるを得ず、その事を私は秒で後悔した。


 とはいえ、一度決まってしまったものはしょうがない。折角のソフィアちゃんとの二人旅。楽しまなければ損というやつだ。


 ちなみに、現在私達が乗っているのは急行列車。これで大きな駅まで行き、そこから鈍行に乗っておばあちゃんの家の最寄もより駅に向かう流れとなっている。


 前もってスマホで調べたところ、急行に一時間、鈍行どんこうに三十分程揺られる必要があり、長いのか短いのかよく分からない、微妙な時間を私達は車内で過ごさなければならないようだ。


 とはいえ、一人旅というわけもないし、退屈する事はないだろう。


「今から行くおばあちゃんの家には毎年行ってるの?」

「えぇ。どうしても日程が合わなくてこの時期を逃す時もあるけど、年に一度は必ず行くようにしてるわ」


 今回は比較的住んでいる場所が近かったため、ソフィアちゃんだけ(私もいるが)で来る事も出来たが、遠い所に住んでいる場合だとそれも難しいのだろう。今回は他県と言いつつも隣の県だし、実際の距離もそうだが心情的にも行きやすい。


 まぁ、私が同じ立場なら、きっと行かないだろうけど……。


「ごめんなさい。今回は無理言って」


 無理を言った自覚はあるのか。いや、これは純粋な感想で決して嫌みではない。


「夏休みだし、日記に書くネタが出来たと思っておくよ」

「日記なんて付けてるの?」

「まさか。小中学生じゃあるまいし」


 中学校まではそういう宿題もあったが、さすがに高校生にはそんなものは存在しない。自由研究として自主的にやる分にはいいかもしれないが、果たして認めてもらえるだろうか。


「宿題といえば、夏休み中に転校する事になった事もあって、その時は前の学校の宿題提出したっけ」

「へー。そうなんだ」


 それは、実際に経験してみないと分からない情報だ。


「時期によるみたい。夏休みに入ったばかりなら、もしかしたら転校先の宿題やる事になるかもね」


 宿題。宿題ね。


「ちなみに、ソフィアちゃん宿題の方は……」

「八割方終わってるわよ。後は絵と自由研究だけ」

「……」


 さすがソフィアちゃん。私に出来ない事をやってのける。


「そういういおはどうなのよ」

「あはは」

「その様子じゃ全然終わってないわね」

「ちゃんと計画立ててやってるもん」


 ワーク類は三割程がすでに終了している。その他の宿題は……いまだ手付かずである。とはいえ、ソフィアちゃんが速いだけで、私は平均的な方だと思う。何せまだ、七月中なのだから。私達の夏休みはこれからだ。


「ならいいけど。夏休みの終盤になって泣きついてこないでよ」

「ソフィアちゃんの中で私、どういうキャラになってるの?」


 自分では真面目まじめだけが取りの、目立たないモブキャラのつもりなのだが。

 ……まぁ、最近は色々あって目立ちまくっているが、それはソフィアちゃんが隣にいるからであって、私自身の評価とはおそらく関係ないだろう。多分。


「ウソウソ。冗談。からかってみただけで、はなから心配なんてしてないわ」

「もう」


 別に怒ってはいなかったが、ソフィアちゃんに反省をうながす意味も込めて、分かりやすくふくれてみせる。


「ごめんなさい。いおって反応いいから、つい」

「それって、本当に謝ってる?」


 全然悪びれた様子が感じられないのだけれど。


「まぁまぁ。あ、見て」


 ソフィアちゃんが窓の外を指差し、それにられて私もそちらの方を向く。

 そこには見慣れたいつもの県名ではなく、別の県の名前が書かれた看板が設置されていた。


「いつの間にか県跨いでたのね」

「……」


 当たり前の話ではあるが、県を跨いだからといって何かが変わるわけではない。ただ、その事を意識した途端、不思議と少し胃の辺りがキュッとなったような気がした。

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