第16話(1) 寄り道

 帰りのホームルームが終わり、生徒達が動き出す。

 その行動は大きく二つに分かれる。教室に残る者、教室を去る者。用もなく、教室で会話に華を咲かせるタイプでもない私達は、当然後者だ。


「いお、帰ろ」

「うん」


 背後から掛けられたその声に、振り向き返事をしてから、私は鞄を手に椅子いすから立ち上がる。


 ソフィアちゃんが先に立ち、私は後から続く。


 出入り口に向かう途中、教室に残っておしゃべりをしていた秋元さんのグループから挨拶あいさつをされ、私達はそれに挨拶を返す。


 相変わらず、木野さんを除くメンバーとはあまり会話らしい会話をする事はないが、こうやって朝と帰りに挨拶を交わす程度の仲にはなった。


 これも文化祭マジックというやつだろうか。……違うか。


 とはいえ、ホール係を通じて以前より仲が深まったのは事実だ。ようやく、一緒の教室で過ごす生徒から、クラスメイトという間柄になっただけとも言えるが。


「ソフィアちゃん、この後用事あったりする?」


 教室を出たところでソフィアちゃんの隣に並び、私はそう話を切り出す。


「用事? ないけど、どうして?」

「ちょっと寄り道したいなって」


 昨日お母さんに言われて思ったのだ。

 友達とはやはり、学校帰りに寄り道をするものではないかと。


 発想が単純過ぎて自分でも笑えてくるが、とにかくそう思ってしまったのだから仕方ない。そして今日を含めて放課後は七日もない。


 善は急げ。鉄は熱い内に打て。思い立ったが吉日。とまぁ、そんな感じだ。


「寄り道? どこに?」

「カフェ、とか?」


 その辺りの事情にうとい私としては、カフェないし喫茶店は学校帰りの寄り道先の定番の一つというイメージが強い。後はハンバーガー屋やファミレス、カラオケとか?

 カラオケ……。人前で歌うのは緊張するので、出来ればカラオケは最終手段というか、その内行けたら行く程度の選択肢せんたくしという事でここは一つ。


「カフェ? 別にいいけど、当てはあるの?」

「えーっと」


 実は昨夜調べてみたのだ。学校から近い場所にあり、尚且なおかつ入りやすそうなお店を。

 それは――


「とうさききっさしつ」


 記憶の引き出しから店名を引っ張り出す。

 確かそんな名前だった。


 漢字では桃咲とうさき喫茶室きっさしつと書く。桃が咲く喫茶室。なんかお洒落しゃれだ。


「あぁ、あそこね」

「知ってるの?」


 まぁ、最近越してきたとはいえ、ソフィアちゃんはこの辺りに住んでいるのだから、知っていてもおかしくはないか。


「一度だけ入った事があるのよ。確かに、あそこはいおにはぴったりのお店かもね」

「どういう事?」

「さぁ?」


 よく分からないが、ソフィアちゃんが悪い意味でそんな事を言うわけがないし、実際に行ってみれば分かる事だ。


「ていうか、あそこはカフェというか喫茶店……。まぁ、いいか」

「カフェ? 喫茶店?」


 前々から思っていたが、その違いはなんだろうか? お洒落かそうでないかとか? うーん。よく分からない。


「で、どうかな?」

「いいわよ。どうせ家帰っても特にやる事ないし」

「じゃあ、決まりって事で」


 こうして私達の初めての寄り道先が決まった。街中にある個人経営の喫茶店だ。




 桃咲喫茶室は、学校から歩いて十五分程の場所にあった。


 四階建ての白いビルの一階と二階部分がお店になっており、中にある階段でお互いが行き来出来るようになっているようだ。四つある壁の内二つがガラス張りになっており、外からでも中の様子がよく見えた。


 二階のガラスの一部にカーテンがしてあるが、あれには何か意味があるのだろうか。


「ここね」


 そう言うとソフィアちゃんは、さっさと扉を開け中に入っていってしまう。


「わ」


 私も慌ててその後に続く。


 もう少し心の準備をさせて欲しい。せめて深呼吸くらい……。


「いらっしゃいませ」


 可愛らしい女性の声が私達を出迎える。年は三十くらいだろうか。長い髪を一つに縛ったパンツルックにエプロン姿の女性が、笑顔を浮かべて立っていた。


 奥のカウンターには大柄な男性がおり、真剣な顔でコーヒーを入れていた。


 あの人が店長さんかな。


 店内の床や調度品は全て木製の物で統一されており、全体的に落ち着いた雰囲気をかもし出している。また大きな窓は明るさと共に開放感も感じさせてくれ、それが居心地の良さに繋がっていた。


 初めて入ったが、なかなかいいお店だ。


「お好きな席にどうぞ」


 女性の店員さんにそう言われ改めて見渡すと、カウンターにある四脚の内三脚が埋まってしまっているものの、二脚ずつ置かれたテーブル席は五席の内一席しか埋まっておらずそちらは選び放題だった。


「上に行っても?」

「構いませんよ」


 ソフィアちゃんの言葉に、女性店員さんが笑顔でうなずく。


 上? こんなにいているのになんで二階に?


 よく分からないが、ソフィアちゃんがみるみる階段を登っていてしまうので、仕方なく私もその背中を追った。


 二階の中央には二脚ずつ置かれたテーブル席が八席あり、その内二つが使用中だった。


 が、それよりも何より、その他のスペースが問題だ。なんと至るところに本棚が設置されているのだ。ここだけ見ると、喫茶店というよりまるで図書館のそれのようである。


「ね? いおにぴったりでしょ?」


 そう言うと、ソフィアちゃんはにやりと笑ってみせた。


 なるほど。そういう事か。確かに本好きには溜まらない空間だ。どんな本があるのか、実は目に入った瞬間から気になっている。


 遠くから見て分かる事は、本の種類が本当に雑多に取り揃えられているだろうという事だ。


 コミック、文庫本、ハードカバー、専門誌、絵本なんかもある。本当に取り留めなく、色々な種類の本があるようだ。


 本の詮索せんさくは後回しにして、とりあえず席に着く。


 ソフィアちゃんと向かい合う形で座ると、私はテーブル脇に置かれたメニューを手に取った。


 ほうじ茶、コーヒー、ソフトドリング等の飲み物に加え、食べ物の方はケーキにトースト、かき氷なんかもある。


 程なくして女性の店員さんがやってきて、おひやとおしぼりをそれぞれの前に置いてくれた。


「ご注文はお決まりでしょうか?」

「私は、ブレンドとかき氷のせんじミルクを」

「ブレンドとかき氷のせんじミルクですね。かしこまりました」


 ソフィアちゃんの言った注文を、女性店員さんがオーダー票にメモする。


 メモが終わり、女性店員さんの顔が上がる。


 次は私の番か。


「あ、えっと、アメリカンとかき氷の梅ミルクを」

「アメリカンとかき氷の梅ミルクですね。畏まりました」


 私の注文をメモし終わると、


「少々お待ちください」


 そう言って一礼をし、女性店員さんは私達のテーブルから去って行った。


「見てきたら?」

「あ、うん」


 ソフィアちゃんにうながされ、私は本棚に近付く。


 そわそわした様子が伝わってしまったのかもしれない。


 本棚には見た事がない物もあれば、読んだ事がある物もあった。


 エクリチュールの迷い子? なんだろう。よく分からないけど、ひどく興味をくタイトルの本だ。


 手に取り、ぺらぺらと本に目を通す。


 うん。つまりはあれだ。フランスと哲学がああしてこうして、それが革命を起こしてエルクチュっているわけだ。……ごめんなさい。適当言いました。


 日本には、こういう時に相応ふさわしい便利な言葉があるじゃないか。なるほど。分からん。


「お待たせしました」


 背後から聞こえてきた声に振りかえると、女性店員さんが私達の席に飲み物を持ってきたところだった。


 本を本棚の元の場所に戻し、席に戻る。


 再び去っていく女性店員さんの背中を見送りながら、ホール係一人でやっているのかな、大変そうだなと思う。


 とりあえず、先に来たアメリカンに口を付ける。


 味の細かい良し悪しはよく分からないが、文化祭で私達が出したコーヒーとは段違いなのは当然ながら分かる。


 まぁ、そんなものと比べるなという話ではあるが。


 間もなく、二人の前にかき氷が並ぶ。


 まず目を引くのはそのボリュームだ。普通のかき氷より一回りは大きい。そして次に氷の質。ふわふわでまるで絹か何かのようだ。


「ごゆっくりどうぞ」


 一礼の後、女性店員さんが去っていく。


 それを見届けてから、私はスプーンを手に取った。


 躊躇ためらいながらも、上部にスプーンを差し入れていく。全体のバランスを崩さないようにスプーンを抜き、そのまま口に運ぶ。


「ん!」


 思わず声が出た。


 酸っぱさと甘さが見事に混ざり合ったシロップと新雪のように柔らかい氷が、口の中で解け合い味のハーモニーをかなでている。


 つまり、美味おいしいという事だ。


 目の前ではソフィアちゃんが同じく、かき氷を味わっていた。


 その顔は、見るからに満足そうだ。


「食べる?」


 私の視線が物欲しそうなものに感じたのか、ソフィアちゃんがふいにそんな事を言ってくる。


「え? あ、うん。もらう」


 折角の好意、断るのもなんなので、素直に頷く。


 すると、何を思ったのか、ソフィアちゃんが自分のスプーンをかき氷に差し入れ、それを私の方に差し出してきた。


「ほら」


 こ、これは……。


 しかし、ここで動揺した姿を見せると、私が変に意識していると思われてしまいねないので、何食わぬ顔で口を開ける。


 そこにスプーンが差し込まれ――


 うん。これはこれで美味しい。梅ミルクは酸っぱさと甘さのハーモニーだったが、こちらは渋味と甘さのマリアージュ。甲乙つけがたい美味しさだ。


「こっちも美味しい」

「そう」


 素っ気ない態度。しかし、ソフィアちゃんのその感じは、どこかそわそわしているようにも見えた。


 あ、そういう事か。


 私も自分のスプーンでかき氷をすくい、ソフィアちゃんの前に持っていく。


「ど、どうぞ」

「ありがとう……」


 ソフィアちゃんが口を開け、私の持つスプーンを口に含む。


「……うん。美味しい」


 微妙な間、かすかに赤くなった頬、僅かにらされた視線。


 いや、そこまであからさまに照れられると、なんだかこっちまで……。


「……」

「……」


 そして、なぜか無言になる二人。


 それからしばらく、私達は無言のまま、それぞれのかき氷を食べ進めるのだった。

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