鈴が仕分ける息の先
幽宮影人
終わりを
願う人
人生50年と謳ったのはたしか織田信長だっただろうか。戦乱の世、流れる血が大地を彩り、死が日常にあったであろう戦国時代。
21世紀を生きる俺からしたら夢物語にも等しい遠い過去の出来事で、生活も今とは比べ物にならないくらい不便なものだったに違いない。しかし、今よりはずっと生に溢れていたのではないだろうか。
ベッドに寝転がりながらぼんやりと考える。
いじめを受けているとか、精神的苦痛を強いられているとか、虐待を受けているとか、別にそういうわけではない。
でも、なんとなく。
「死にたい」
ポツリと呟く。
毎日は楽しい。学校に行くのも何ら苦痛ではない。家族間の関係も、まぁ良好な方である。つまり環境に原因がある訳ではない。問題があるのはおそらく俺自身だ。
いつの日からか俺は、生きることに対しての興味を見いだせなくなってしまった。
今となっては何がきっかけだったのかも、何が理由なのかもわからないが、ただただ毎日「死にたい」と願っている。痛みのない、苦痛のない、穏やかな死を得たいと願っている。
何度か自殺してみようとも考えた。頑丈なロープを使った絞殺、刃物を用いた失血死、水に顔を突っ込んだ溺死、炭を扱った一酸化炭素中毒、高所からの飛び降り。
しかし考えたことがあるだけで実際に行動に移せたことは一度もない。なぜなら、死を欲しているくせに俺がとんでもない臆病者だからだ。
絞殺はうまくいけば一瞬で楽になれるが、失敗すると長く苦しむことになる。
失血死は単純に己の身体に刃物を突き立てるわけだから、痛みが伴う。
溺死は死後の身体が化け物のように膨れ上がり、見れたモノじゃない。
炭は個人的に火を扱うのが怖い。
飛び降りは体がグロテスクなことになってしまう。
なにかに理由を付けて、俺は適当に日々をやり過ごしているのだ。
「はぁ……」
ため息を零す。
死にたいくせにイヤイヤと。死への熱望よりも苦痛に対する嫌悪と恐怖の方が強くって。そんな自分自身に腹が立つ。本当に面倒な人間だよな、俺って。
「はぁ」
本日2度目のため息を落とす。日も落ちて、月と星が煌めく夜は誰の息も聞こえないくらい静かで、イヤにため息が耳についた。
今日はもう、眠ろうか。
*
夢を見た。
小さな村で走り回る夢。鎧をまとって馬にまたがる夢。刀と銃を手に駆ける夢。海の近くの漁村で潮騒と戯れる夢。生き生きとした生命に溢れる夢だった。
けれど。
小さな村は山に呑まれて消えてしまった。もちろん俺も、土に食われて息絶えた。
馬はどこからか飛んできた矢に倒れ伏した。もちろん俺も馬から転げ落ち、呆気なく死を迎えた。
刀と銃を手に走っていた大地は戦火に包まれた。もちろん俺も戦いに巻き込まれ、その最中に気づかぬ内に終わりを受け入れた。
漁村は山のような津波に消えて行った。もちろん俺も水の中で藻掻きつつも、肺から最後の空気を押し出した。
こういう死が欲しかった。痛みも苦しみも変わらずにあるけれど、生きていく中で呼吸をするようにゆるやかに得られる死が欲しかったんだ。
「夢の中ならこんなにも簡単なのに」
夢だとハッキリ理解できる真っ暗な空間の中でポツリと呟く。
さて、次はどんな死が訪れてくれるのだろうかと思いを巡らせいていると、チリン……というあまりにも場違いな音が耳に届いた。
「鈴の音?」
チリン、チリンと続けて聞える音は、徐々に大きくハッキリと形取られていって。こちらへ近づいてきている……? と首を傾げる。
耳に意識を集中させてみると、やはり鈴の音はどんどんとこちらへ近づいてきているようで。夢の中だというのにも関わらず、体を強張らせて警戒態勢をとった。
チリン チリン チリン――ッ
ひときわ強く耳元で鈴が鳴る。かと思うと一面真っ暗だった空間に眩い光が差し込んだ。目を潰さんばかりの光に、思わず目をつむる。
「やぁ、君。こんな所でどうしたんだい?」
声が、した。
高く低く、艶やかで、でもしわがれていて。滑らかに、かすれつつ。甘い囁きのようで辛い責め苦のよう。そんな不思議な声がした。
背後から聞こえる声に身体ごと振り返ろうとするも、なぜか体が動かない。まるで金縛りに遭ったかのようだ。指の1本も動かせない。
「ふむ。君、ずいぶんと難儀な生き方をしているね」
また背後から声がした。
「生きていたいけど死にたい。死にたいけど痛みには耐えられない、誰かに迷惑をかけたくない。なにもかもを捨ててしまいたい、でも怖い」
当たり前のように己が心を暴いていくナニモノかに言いようのない恐怖が体を覆う。先ほど見た死の夢の方が恐ろしいもののはずなのに、それ以上に背後から響く声が恐ろしい。
「いいね、君みたいな子は大好きだ」
くつくつと、楽しそうに声が揺らぐ。こちとらあまりの恐怖に吐き気さえ感じているというのに、呑気なもんだな。
「もし本当にダメだと思ったら呼んでごらん」
耳のすぐ隣で生暖かい風が吹く。次いで何事かを囁かれたような気がするが、それがナニであるかを理解する前に意識に靄がかかった。
「じゃあね。いきづらそうな少年」
楽しくて楽しくてたまらない。そんな感情を隠すこともせず声一面にさらけ出しているナニカの声を最後に、俺の意識は途絶えた。
*
ガバリと跳ね起きる。あまりの勢いに、肩までかけていた掛布団が音を立ててベッドから落ちて行った。
「なんだったんだ、さっきの……」
バクバクとうるさい心臓に目を白黒させながら呟く。夏はまだ遠いというのに体中が汗でしっとり、いやべったりと濡れていて。皮膚に張り付く寝巻が気持ち悪い。
飛び起きた勢いのままベッドの上で胡坐をかいて、荒く空気を出し入れする口元に手を当てる。
「てか、呼べって言われてもどうやって呼ぶんだよ」
ふぅー、と息を吐いて呼吸を整えながら今度は床で項垂れている布団へ手を差し伸べた。思わず蹴飛ばしてしまった布団に申し訳なくなりながら、拾い上げてベッドの上に戻す。と、拾い上げた布団からカサリと音を立てて何かが床に着地した。
「なんだこれ」
床に横たわる白い紙を見つめる。寝る前はこんなもの置いていなかったはずなのに。真っ白な紙を拾い上げた。拾い上げたソレはなんと封筒で、恐る恐る中を開いていく。開いた封筒の中にあったのは、またも白い紙きれで。
「『水と酒、それから叶えたい生命の希。並べて口にせよ、キクマリと』――……なんだコレ」
本当に、なんなんだコレは。「水と酒」はそのままの意味だろう。「叶えたい生命の希」とは? 一番最後の「キクマリ」という言葉も一体どういう意味なのだろうか。さっぱり分からない。
「んー……」
紙を片手に唸る。「キクマリ」とは、「生命の希」とは。新手の謎かけか大喜利か。本当に何もわからない。まぁ、なにはともあれ。
「まだ夜だし、2度寝するか」
鳥のさえずりは聞こえない、柔らかな月が笑んでいる。星が瞬き、冷たい風が窓の向こうでないている。
朝も太陽も、まだまだ遠い。
*
不思議な夢と手紙を貰ってからもう1週間も過ぎた。あの日、2度目の眠りから覚めた後、あの手紙はどこにもなかった。そのため、実は手紙を手にしたところまでが夢だったのではないかと思っている。
この1週間、暇なときはいつだって「キクマリ」と「生命の希」について考え込んでいた。その結果。
「生命の希」とは俺が常日頃から心の奥底にしまい込んでいる「楽に死にたい」という願いのことなのではないか。「キクマリ」というのは夢の中で俺の背後に立ち笑っていたモノの名前なのではないか。そう検討付けた。
つまりアレは、夢の中で聞いた声は。人の枠と智を超えた別の生き物。いやそれ以上の、もっというのならば神に近い存在だったのではないか、というのがバカな俺が導き出せた精一杯の結論である。自分自身でも馬鹿馬鹿しくて現実味のない話だと分かってはいるが、実際に身をもって体験したあの夜の出来事は、確かに非現実が詰め込まれていて。俺がこんな荒唐無稽な結論を叩きだすのも無理はない。
さて、今俺は自室にいる。勉強机の前にあるローテーブルの上には2つのコップ。片方には無味無臭・無色透明ななんの濁りもない水を。もう片方には独特な苦い香りを放つ酒を入れて。キクマリさん(仮)はこう言った。『もしダメだと思ったら呼んで』と。
今が、その時だ。
「キクマリさん、キクマリさん。どうぞお越しください」
こっくりさんを呼ぶ要領で呼びかけてみる。目の前に誰かがいる訳でもないが、虚空に向かって何度か繰り返す。未だ半信半疑だが藁にも縋る想いで繰り返した。
「キクマリさん、キクマリさん」
念押すかのように再び呼びかける。と、チリン……と澄んだ鈴の音がした。ローテーブル前で膝をつく俺の後ろでゆるりと風が巻き起こり、続けて何度か鈴の音がする。
「やぁ少年、また会ったね」
トンッと床に足が着き、あの不思議な声が耳に届いた。何者でもあり何者でもない、過去から響き未来から届く。耳から聞こえてくるようで、頭の中で直接流れ込んでくるような。
そんな、声。
「キクマリさん」
夢の中であった時と同じように背後を取るヒトに恐る恐る尋ねかける。
「なぁに?」
「振り返っても、いいですか?」
「物好きだねぇ君。とんでもないバケモノかもよ?」
くつくつとあの笑い声がする。
「最期を連れてきてくれる恩人の顔、1度くらいは見ておきたくって」
「恩人、か。死神の間違いじゃないかい?」
心底不思議だ、とキクマリさんの声が困惑で揺れる。
「俺にとっては恩人です」
「そう。まぁ見たいなら好きにしていいよ」
そう言ってコツンと肩を小突かれる。
瞬間、夢の中と同じような硬直状態が解けてフッと体が軽くなった。胡坐を組んでいた足と、机の上で行儀よく組んでいた手をゆっくりとほどく。それから片腕を後ろにやって床にそっと手を付くと、腰を回して振り返った。どんなモノがいるのだろう。人の形を保ってすらいない異形か、はたまた俺と同じような人の形をしているのか。ゆっくりと、ゆっくりと体を回した。
「……」
振り返ったそこにいたのは驚くべきことに、ごくごく普通の人間だった。
日本人らしいサラサラとした黒髪は腰に届くほど長く、ゆるく3つ編みにされている。カーペットに座り込んでいる俺の目測でしかないが、背丈は2メートル近くあるだろう。見上げるだけでも首が痛い。深い夜のような着流しからは死人のような真っ白な素足が伸びていて、武骨な床を彩っていた。
「普通っすね、思ってたよりも」
「おや。君にはそんな風に見えているんだ」
「え?」
くつくつと目の前のヒトが肩を揺らす。お上品に口元を手で隠しているものの、口端からチラリと覗く鋭い歯がどうにもたおやかな雰囲気を台無しにしていて。サラサラとした髪がふわりと揺れた。
「見る人によってキクマリの姿は変わる。だから、今君が見ているキクマリもある意味虚構。本当のキクマリは誰も知らないのさ」
ご丁寧にもキクマリさんは説明してくれる。ニッコリと口端を上げたまま語るキクマリさんは、とても楽しそうだ。きっと黒い目隠しの向こうの瞳はイタズラ猫のように弧を描いていることなのだろう。
けれど。
その在り方はあまりにも。
「寂しくは、ないですか?」
ピタリ。楽し気に揺れていた体が一瞬固まる。上がっていた口角はそのまま固まり、開いたままの口がなんとなく間抜けだ。どうしよう、地雷を踏んでしまったのだろうか。
「驚いたなぁ。そんなことを言われたのは初めてだ」
ゆっくりと口を開く。あまりにも凪いだその声に、地雷よりももっと恐ろしいモノを踏み抜いてしまったのだと理解して、体が強張る。
「恐怖、嫌悪、軽蔑。己とは違うからこそ理解できない、明らかにヒトならざるモノ。そういった感情を向けられることはよくあった。でも、そんな言葉を掛けられたのは初めてだ」
ぐいっとキクマリさんが顔を近づけてくる。見上げていたはずの顔が急に目の前に来て驚いた俺は、びくりと肩を跳ねさせてちょっと後ずさった。すぐ後ろに鎮座しているローテーブルにぶつかり、テーブル上に並べられている2つのコップがカランッと音を立てる。
「人間って死んだらどうなるか知ってる?」
「え、あ、いや。知らないっす」
ノーズキスできそうな距離で尋ねられとっさに返す。
ろくに考えもせずほぼ反射のような返答だったが、実際の所『死』について俺は何も知らない。死んだら燃やされて灰と骨になって、冷たい石の中に納められることは知っているが、キクマリさんが聞きたいのはおそらくそういうことではないだろう。
「ふふ。そうだろう、そうだろう」
形のいい唇がニコリと微笑む。先ほどまでの作り物めいた笑みとは違う、心の底からの無邪気な笑み。謎めいた妖艶な雰囲気から一転して子供のような笑みに思わず見惚れてしまうが、キクマリさんはそんな俺を放って体を起こすと言葉を続けた。
「人はね、死んでも死ねないんだ。天国も地獄もどこにもなくて、棺桶に入って燃やされたと思ったら次の瞬間には産声を上げていて。面白いでしょ。人間には、本当の意味での死は絶対に訪れないんだ」
なんというか。推しを目の前にした時のオタクに近いかな。早口でそうまくしたてたキクマリさんは、赤らんだ頬を惜しげもなくさらしながら街頭演説をする選挙立候補者のように手を広げる。
「……死ねないんだよ、君。死んでも結局は別の生を得てしまう。それでも。君は望むの?」
静かに問いかけられる。先ほどまでの熱のこもった語りとは真逆の、静かな静かな声だった。
「問答無用で望みを叶えてくれるという訳じゃないんですね」
テーブルに背中を預けたまま見上げる。黒い目隠しの向こうの瞳を見てみたいが、きっとそれを許してはくれないだろう。せめてもと思い、その目隠しに隠れているであろう瞳の部分を凝視した。
「本来は呼ばれたらすぐに『望み』を叶えるのがスタンスなんだけどね。でも、君のこと気に入っちゃたから」
ゆらりとキクマリさんが膝をつく。
「君の未来を見てみたいなぁ、なんて。思っちゃったんだよね」
テーブルの前で正座している俺の目の前、キクマリさんも正座して膝をつき合わせた。コテン、と首を傾げて「ダメかい?」と問いかけてくるキクマリさんのことを、ヒトの枠を外れた異端の存在だと誰が思うだろうか。その仕草は、その在り方は。どうしてか人間味に溢れていて。
「ありがとうございます。でも、すみません」
『生きてほしい』という願いを無碍にするのはこんなにも苦しいことなのか。自身の底に閉じ込めてきた願いを口にしたことも無ければ、そんな素振りさえ見せたことも無い。だから、真っ向から生きることを促されるという経験は初めてで。最初で最後のその感情に、これ以上傷つかないように蓋をした。
「……そう」
キクマリさんが視線を落とす。俺もなんとなくいたたまれなくなって、膝の上で固く握っている拳に視線を移した。
「本当にいいんだね?」
「はい」
念を押すように確信してくるキクマリさんに頷くと、キクマリさんはそっと俺の目に手を当ててきた。
「君のことは忘れない。いつまでも何度でも」
薄れ行く意識の中、揺れるキクマリさんの声がした気がした。あまりにも頼りなさげに、不安げに揺れるその声に、なにか言葉を返してあげなくちゃと口を開こうとしたが何もできなかった。
俺の人生は、そこで幕を閉じたのだから。
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