十一 ハクビシンの怒り


 十一月にしては暖かい、柔らかな陽射しの木洩れる下で、そろりそろりと中沢から山を登っていく若い男がいた。

 わりと大柄で通った鼻筋。動きやすい作務衣さむえのような物を着て、身のこなしはしなやかだった。この男はハクという。


 ハクは暗い怒りに震えていた。

 一族揃って他所者よそもの扱いされ、この地において迫害されているのも腹が立つ。先祖は外来の者かもしれないが、今生きる一族は皆、この地に生まれ育った者達だ。


 そして何より、テンとの仲が認められないのが我慢ならなかった。


 ハクは一族に珍しい、化身の術を使う実力者。

 テンの一族は「狐七化きつねななばけけ、狸は八化やばけ」を上回る「九化くばけ」と称される化身の得意な者揃いだが、努々ゆめゆめ引けは取らない自信がある。

 なのに種族が違う、と門前払いでテンとの間は引き裂かれた。


 森で出会い、一目で恋に落ちた可憐なテン。

 壊さぬようにとそっと抱きしめたほっそりしたテンは今、自らの一族から面汚しと呼ばれ軟禁されてしまっていた。


 何故我らはこの地で受け入れられぬのか。

 ハクのその思いはすっかりこごって、この地の国津神くにつかみへの怒りにまで昇華した。壮大な八つ当たりなのだろうが、ハクの怒りは今、石座神いすくらのかみに向けられている。

 夜陰に乗じて、などとせず昼間に来たのは衝動的にすぎるハクの気持ちの表れだった。

 石座神のご神体まで道なき所を登ってきたハクは、そこに待ち構える二人を見た。シシとコマだ。


「わざわざもりをかき分けて、殺気は丸出しとは何をしてるんだか」


 冷たく見据えるシシが言う。ハクは悔しそうに人の姿の狛犬達を睨み返した。


「ならば表から来ればいいものを、私達をなめてもらっちゃ困る」

「国津神にる狛犬ごときが……」

白鼻心ハクビシンごときが何を言う?」


 コマも冷たく言い捨てた。これでも神の眷属、化身の本性を見破るくらいわけもない。

 白鼻心ごとき、と言われてハクはコマに殴りかかった。その言い方は、一族の誇りにかけて受け入れられない。

 コマはスイとけていなしたが、ハクもすぐに飛び退いて捕まることはせず、二人と対峙した。


「獅子の姿に戻って、腹を食い破ってやってもいいが」


 シシが物騒なことを言い出すと同時に、ハクは術を放った。

 シュシュシュッとくうを切り裂くそれを霊力で受けとめて、シシは笑った。


鎌鼬かまいたちとはね、おまえはイタチ科でもないくせに」


 白鼻心はジャコウネコ科。人からはあまり区別されずにむじなと括られることも多いが、この日本では仲間のない孤独な一族だった。だからこそのハクの怒りなので、シシの言葉は油を注いだ。

 ハクは怒りと悲しみに任せ、次々に鎌鼬を放った。もちろんシシとコマの二人がかりなら、そんなものを防ぐのは雑作ない。

 この白鼻心の霊力が枯れるまで付き合ってやってもよい、と思ったのだが。


「シシさん、コマさーん?」


 童子が駆けてきて、二人の気がハッと乱れた。

 その隙間を縫った鎌鼬が一閃、大岩の注連縄しめなわを断ち切った。


 ぐらり。


 常世とこよの神気が、揺れた。




 ハクは後ろにとんぼ返りして変化へんげを解くと、白鼻心の姿で藪をくぐって逃げる。反射的に追いそうになったコマはぐっと立ち止まった。

 あんな者より、石座神をどうにかしなければ。


 シシは常世の揺らぎに転んで膝をついていた童子を助け起こした。童子は青ざめていた。


「なんじゃ、これは……」


 座敷わらしは弱いあやかしだ。人の想いに生まれ、場所に依って生きている。

 この童子が依っているのは石座神社。その神の祀りが破られたということは、童子の依り所そのものが揺らいでいるのである。


 依り所が消えてしまえば、童子も消える。


 シシは童子を抱えお堂に向かって駆け出した。コマも阿吽の呼吸で自らのやるべきことを理解する。さっさと二人を追い抜くとお堂に飛び込み、中に祀ってある三人分の神籬ひもろぎを神棚から下ろした。

 紙垂しでを括った榊の枝の神籬は、石座神の力を移したものだ。これがあれば、神に依っている三人は神域を出てもしばらく動ける。あくまでしばらくだが。


「これを持って、タケルの所に行くんだ。私達は、この神社をなんとかする」


 童子に言い聞かせるシシの顔には、珍しく余裕がなかった。




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