序の二 常世


 健の名前を呼んでくるのに、こちらからは見覚えのない女の子。

 からかわれていると思って、健は少し腹を立てた。涙でグショグショの顔のまま、プイと横を向く。


「だれかなんて、しらないよ」

「私はタケルを知ってる。カズオが死んで、悲しいのか」

「カズオ?」

「おじいさんの名前も知らないの?」

「……おじいちゃんは、おじいちゃんだもん……」


 悪戯そうに女の子は笑う。自分の祖父の名前すら知らなかったことがなんだか恥ずかしくて、健の声は尻すぼみになった。女の子はよしよし、と健の頭をなでた。


「カズオは昔から男気があった。弱い者いじめは許さなかったし、小さい子の面倒もよくみた。孫を助けて死ぬとはカズオらしくて、本望だろう。タケルは悪くない」

「でも」

「悪くないよ。タケルは優しい子だ」


 頭をなでていた手は背中に回り、トントンと軽く叩いて健を落ち着かせる。

 一人で家を抜け出してここまで歩いてきた健は、疲れていたことをいきなり思い出してその女の子に寄りかかってしまった。なんだかとても眠い。


「眠ってもいいよ。子どもなんだから、我慢しなくていい」

「じぶんって、子もじゃん……」


 コテン、と健は眠りこんだ。肩に乗っかる健の寝顔をちろ、と見て女の子は微笑んだ。


「可愛い……」


 なんだかこの子が気に入った。もっと一緒に遊びたい。

 そう思ったのだけれど、この女の子にははなかった。仕方がないので、別の意味の助けを呼ぶ。


「シシさーん、コマさーん」


 しばらくすると大きな人影が、ぬっと覗いた。


「どうした、童子わらし

「ああコマさん、この子がもう重いゆえ、どうにかしてくれぬか」


 童子と呼ばれた女の子の喋り方が突然変わった。

 その時代がかった物言いを気にもとめず、コマという男は低い縁の下から軽々と健を引っ張り出し、抱き上げた。

 ボサボサに伸ばし気味の髪と無精髭ぶしょうひげ。がっしりした体躯たいく銀鼠ぎんねず駒絽こまろの着物をはだけ気味にゆるく着て、黒足袋くろたび雪駄せった履きなのは祭りというより茶屋に遊びに行くようだ。しかし抱いているのは汗と涙にまみれた幼児である。それでも意外と違和感はなく、童子は吹き出した。


「その子は何だい」


 目を丸くして歩いてきたのは、呼びつけられた内の「シシさん」の方だ。白い着物に薄浅葱うすあさぎの袴なのはこの神社の宮司だろうか。肩先まで伸ばした髪を元結もっといで後ろ一つに結い、シャンとした背が美しい。


「この子はタケル。祖父君そふぎみを亡くして悲しみに任せ家出した情けあるおのこじゃ。われはタケルが好きなのじゃが―――これは人の子ゆえ、人の世に帰さねばな」


 童子は残念そうに言った。童子の言う「好き」の意味をはかりかねてシシは黙る。

 姿のまま子どもらしい、遊び相手の好き。

 あるいは長年を過ごし成熟したあやかしとして、子を見る母のような好き。

 どんな心持ちかはわからぬが、恋としての好き。


「タケルがちょくちょくここに来てくれれば嬉しいのにのう」


 童子は背伸びをしてコマの腕の中の健を覗こうとした。まったく届かないのを、シシが抱え上げて見せてやる。

 童子はふところの手拭いを取り出して健の泣き濡れた頬を拭いた。


「じゃあこの子は、石段の下にでも寝かせておけばいいのかな?」


 そうするしかない。健の家まで届けてやれればよいのだが、彼らは軽々けいけいにこの石座いすくら神社を離れること叶わぬ身である。


 コマによって運ばれ日陰に横たえられた健の額にそっと触れ、童子はささやいた。


「また会おうぞ、タケル」





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