第5話

エステル商会はペルソン伯爵家が運営する商会。

まだ家督は譲られてはいなかったが、次期当主であり次期代表でもあるダニエルが視察する為に各支店を回っていたのだ。


二人の出会いは、顔色悪く俯きながら男の後を着いて行くマリーに気づき、ダニエルが声を掛けた事が切っ掛けだった。

お互い目を合わせた瞬間、まるで引き寄せられるかのように二人は恋に落ちた。

ダニエルは商人であるから、現実主義者で人を見る目もかなり肥えている方だ。

だが、これまで男であろうと女であろうと、誰かに心を奪われるなど一度もなかった。しかも、考える間もなく一瞬でなど。

理屈や常識など、マリーの前でそんなものは些末な事に感じる。そして、見るからに愛しい人は、辛い立場に居る。

そこからのダニエルの行動は、実に早いものだった。

連れの男女が宝石に夢中になっている隙に、ダニエルはマリーの素性を聞き出し、翌日には結婚を申し込みに伯爵家を訪れたのだから。

マリーの家族は突然現れたダニエルを疑ったが、彼がエステル商会の次期代表である事。熱心にマリーへの愛を、臆面もなくあけすけに懇々と語り出し、家族に対しても誠心誠意言葉を尽くしてくれる事。なにより、ペルソン伯爵家の総意であると両親をも連れてきている事。

突然の事に未だ困惑はするものの、その熱意にマリーの家族はダニエルを信用する事にしたのだ。


全てこちらに任せてほしいというペルソン伯爵家の申し出に、初めは遠慮していたマリーの家族だったが、クズ子息との婚約はあっという間に解消され慰謝料までもぎ取った。

慰謝料を借金返済に充てようとしたが、その借金すらダニエルの個人資産で返済。

それでは余りにも申し訳ないと恐縮するマリーの家族だったが、口八丁手八丁で納得させた。


この通り、ペルソン伯爵の家系は、この人だと認めた瞬間から一途になると言っても過言ではない。

エステル商会を立ち上げた、レナードから見ての曾祖父もまた、一目で見初めた娘を愛し商会にその名を付けた。

祖父もそうだったし、父ダニエルもそうだった。そしてレナードも。

血は争えないものだと、しみじみ思ってしまう。


だから、セシリア嬢に一目惚れしたと聞いた時も驚きはしたが、不思議には思わなかったし『お前もか』としか思わなかった。

ならば全力でバックアップするしかない。

レナードが一目惚れしたのならば、恐らくセシリア嬢もレナードに好意を持っているはず。

これは憶測ではなく、確信。

レナードに告げてはいないが、代々そうなのだから此度もそうなのだろう。不思議なものだ。

そういう根拠のない確信があるからこそ、自信をもってクレメント侯爵への同行も快諾した。

世間一般の貴族の様に、湾曲した言葉など一切使わない。

実直にそして飾らずありのままの言葉で告げれば、きっと受け入れてくれるはずだと分かっているから。






レナード・ペルソン伯爵令息とメーガン・ティラー公爵令嬢の婚約発表のパーティからの帰り道。

ハロルド・クレメント侯爵は愛する娘セシリアの元気が無い事に、心配そうに眉を寄せた。

「リア、どうしたんだい?何か嫌な事でもあったのかい?」

父ハロルドの問いかけにも、暗い表情で「なんでもない」と首を横に振る。

パーティが始まるまでは普通だった。どちらかと言えば、ご機嫌だったはず。

それが突然、パーティが始まったとたん表情が曇り今にも泣きそうな顔で「帰りたい」と訴え始めたのだから両親も気が気ではない。

ハロルドは困った様に妻のサンドラに「サンディー、どうしたらいい?」と、目で訴えている。

それはまるで大型犬が耳と尻尾を垂らし、シュンとした様な表情で、サンドラは夫のそんな姿が大好きだった。

「ハル、大丈夫よ。お屋敷に戻ってから話を聞きましょう」

何かを察しているかのようなサンドラの言葉に、ハロルドは頷きつつセシリアの手を握った。

「リア、何故そのような悲しい顔をしているのか分からないけれど、私達は君の味方だ」

その言葉にはっとした様に顔を上げたセシリアは、小さな声で「ありがとう」と少しだけ微笑んだのだった。


ハロルドの実家でもあるキャベル侯爵家所有の別邸に着き、其々楽な服に着替えるとハロルドとサンドラは、セシリアの部屋へと向かった。

使用人を下げ三人だけになると、サンドラがセシリアの隣に腰を下ろし彼女の手を握る。

「リア・・・あなた、レナード様を好きになったのね?」

そのずばりと切り込んできた言葉に驚いたのは、セシリアだけではなくハロルドもで、驚愕の表情で妻を見た。

「・・・・リア・・・そうなのかい?レナード殿の事・・・・」

呆然と呟かれるハロルドの言葉を聞いた途端、セシリアの美しい金色の目から止めどなく涙が零れ落ちた。

「・・・・レナード様を一目見た瞬間、その美しさに目を奪われたのは確かなの・・・でもほんの一瞬、目が合った時・・・まるで魂が引き寄せられるような、そんな感覚がして・・・もう、彼しか見えないくらい、好きになってしまったの」

サンドラが優しくセシリアの肩を抱き寄せ、ハンカチで涙を拭った。

「でも・・・今日はレナード様の婚約発表の日。婚約者のいる人を・・・婚約した日に好きになってしまうなんて・・・・」

恋をした日に失恋をした。悲しくて、ただただ悲しくて、セシリアはポロポロと涙を流し続けた。

そんな愛娘の姿に、ハロルドは痛ましそうに眉を寄せ、考え込む様に顎を擦る。

セシリアの肩を抱き慰めていたサンドラがふっと、この婚約発表にまつわる話を思い出した。


この国に来てハロルドの父親から、とある公爵令嬢の婚約パーティに行ってみないかと招待状を譲ってもらったのだが、その婚約に纏わる話も聞いていたのだ。

まるで女王気取りの我侭令嬢の財布として抜擢された、可哀想な伯爵令息の話を。

その可哀想な令息を我が娘が見初めるとは・・・・何と言う運命なのか。

だが、影では婚約が解消されるのも、そう遠い未来ではないという噂もある事はたしか。

その財布扱いされている令息が、この世界を股にかけるエステル商会の跡継ぎでもあり、留学中に立ち上げたレニー商会の代表でもあるとは、納得する以外にない。

レニー商会の主力商品は装飾品で、世界各国を回っていただけあり希少な石を多く扱っていた。

それは、女性だけではなく男性にも人気で、多くの貴族達に好まれていた。

また、高価な宝石ばかりではなく、屑宝石を使い一般庶民の手にも入り易いアクセサリーも多く手掛けており、庶民だけではなく貴族令嬢にも普段使いとして大変好まれている。

セシリアも、ごてごてした物より、小振りで可愛らしいものが好きで、レニー商会には大変お世話になっていたのだ。

そんな男が、大人しく財布扱いされているのだろうか・・・と、サンドラは疑問に思っていた。

きっと何か、事情があるのかもしれない。

ならば早急に相手方との接触を計り、この婚約の真意を確かめてから策を練る事にするか・・・と考えていると、ペルソン伯爵からの使者が訪れた事を告げられたのだった。



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