宝石と踊るはモノクロームの夢

天片 環

 おんぼろの建物ばかりがひしめく貧民街で、二人の少女が、一匹の泥棒ネズミを追いかけまわしていた。

 

 盗られたのは、彼女たちの露店で売り物にしていた一切れの野菜。そんなものを取り戻したところで大した利益にはならないから、それよりもさっさと戻って商いを続けた方が良いのだけど、同じ孤児院の子供たちがせっかく作った野菜を横取りされて、少女二人は怒り心頭だった。


「待てー、クソネズミ! 丸焼きにして食ってやる!」


 しかし少女たちはネズミの俊敏さに翻弄され、中々捕らえることができなかった。襲い掛かる手をすり抜けて、ネズミは必死に路地を逃げまわる。腹を空かせて待っている子供たちのため、何としても捕まるわけにはいかない!


 そんな事情を知るはずもなく、少女たちの追跡は止まる様子がなかった。そんな中、両者譲ることのない追跡劇と逃走劇に、ついに転機が訪れる。地面を走るネズミに注視していたせいで、行く先への配慮が疎かとなり、少女の一人が突き出た出窓に頭をぶつけたのだ。


「イデッ」


「カレン⁉」

 

 軽いケガだが頭から血を流し、もう一人が慌てて彼女の傷を押さえた。ネズミはこれ幸いと、路地裏にその姿をくらませた。今夜はごちそうだ。


「待……て……」


「無理しないで、もう帰ろう。ね?」


「ユノ、私は大丈夫だからぁぁぁ……」


 血を流して追いすがろうとするカレンは、ユノに引きずられて元いた露店に連れ戻された。


「お姉ちゃんどうしたの⁉」


 露店で店番をしていた子供たちは、帰ってきたカレンのただならぬ姿に驚いた。


「大丈夫だよ、こんなの」


 カレンは元気に笑い飛ばす。それどころか、新たに訪れた客への接客もこなした。血の垂れている笑顔に、客は顔をひきつらせていたが。結局その後は、適当な布を割いて包帯代わりにすることで、いつも通りに営業を続けた。

 露店には、レタスやトマト、黄色のパプリカが並んでいる。その様を見ながら、ユノがぽつりとつぶやいた。


「こうしてみると、まるで野菜で描いた絵みたいだよね」

 

 皆の頭に疑問符が浮かんだ。


「そ、そうかなぁ……?」


 カレンは思わずそう漏らす。


「そう思えば、こんな世界でも綺麗に見えるでしょ?」


 それから、カレンは並んでいる野菜を一日中観察していたが、どうしても特別綺麗に見ることはできなかった。


 通りにいる人々が少なくなった頃、カレンは自分と同じくらいの少女が、父親にちょっとしたおもちゃを買ってもらって喜んでいるのが目に入った。カレンは自分の心に、小さなささくれを感じたようだった。


「どうしたの? もうお店を畳んじゃうよ?」


「あ、ごめん」


 カレンはすぐにそれを忘れようとして、店の片付けに取り掛かった。



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 貧民街の空が茜色に染まるころ、露店を開いていた子供たちは今日の売り上げを手にして孤児院へ帰った。お金を先生に渡して、皆でリビングに行く。


 リビングはいつもと違って、たくさんの色のリボンで鮮やかに飾られていた。というのも、今日はカレンの親友であるユノの誕生日だったのだ。というわけで、今日の夕食もちょっとだけ豪勢なのである。


「カレンお姉ちゃん、私もそれ欲しいな」


 小さな女の子が、カレンの皿に載っている豚肉を見つめて涎を垂らしていた。カレンはしばらく逡巡したあと、渋々女の子の皿に豚肉を分けてやった。


「ありがとう、お姉ちゃん!」


 そう言うなり肉にかぶりつくその横で、カレンは例のネズミを捕まえて本当に丸焼きにすればよかったと後悔した。


 その日の夜、カレンはユノとの二人部屋で、小さな包みを彼女に渡した。ユノがそれを開けてみると、一枚の葉を象った髪飾りが入っていた。


「これ、着けてみてもいい?」


 カレンが頷くと、ユノは髪飾りを挿して嬉しそうに笑った。


 子供たちが寝静まった頃、カレンは外から聞こえた物音で目を覚ました。どうしたのかと思って何気なく外を見ると、閉まっていたはずの部屋の窓が開け放たれているに気付いた。


「泥棒かな?」


 カレンは不安になって、上で寝ているユノを起こそうと二段ベッドをのぼった。ところが、そこにいるはずのユノの姿が消えている。


 言いようのない恐ろしさを予感したカレンは、それに駆られるように開いている窓の外を覗き込んだ。


 その部屋は3階にあった。


 部屋のすぐ下の地面に、何か赤黒いモノがシミのように広がっているのが目に入った。


 弾かれたように下へ降りて、そのシミがあった所に駆け寄った。そこには人の体が、舗装もされていない地面に、土と混ざり合って飛散していた。気を失いそうになりながら、恐る恐る死体を確認する。


カレンに、全体の状況から冷静に判断し受け入れられる冷徹さがあれば、その死体が誰であるかなど容易に見当がついていただろう。

 

 それでも、見慣れた顔が、葉の髪飾りを付けた頭が半分につぶれているのを見てしまえば、嫌でも事実を認めるしかなかった。


「ユノ……?」


 続くカレンの絶叫が、貧民街の夜空に木霊した。


 孤児院の子供たちと先生が駆けつけると、あまりの惨状に吐いたり失神する者が続出した。消化されかけていた、ユノの誕生日祝いに食べた夕食が、地面にまき散らされた。


 カレンはユノの遺体にすがって、ひたすら泣き叫んでいた。ユノの血がカレンの服を濡らして、その痛々しい生暖かさと臭いが、彼女の心を殊更に抉った。


 そんな中、不意にユノの真っ赤な体内から、不思議に光る物が目に入った。


「これ、は……?」

 その輝きを目にした途端、わずかな間で積み重なったあまりにも深い悲しみと衝撃は、木の葉の山が突風に吹き飛ばされたように、きれいさっぱり消滅した。

 それどころか、この世のどこにも存在しないような異色の煌めきが、擦り切れたカレンの心に食い込んで、抗う術のない魅惑を刻み付けた。


 カレンはほとんど無意識に、その物体をユノの遺体から掘り出していた。


「なんて綺麗な……」


 その物体は、赤く透き通った、神の如く絶対的な美しさを放つ一つのルビーだった。


 カレンはそれを、誰にも見つからないようにポケットの中へ入れた。

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