第4話 吸血鬼の館
ある昼下がり、痩せぎすの男が屋敷の自室で鏡を磨いている。
その手つきは丁寧で、まるで宝物を扱うようだった。
チリーン
屋敷の呼び鈴が鳴る。
その音を聞き、男は鏡を厳重にしまいこみ、玄関にむかう。
「はい。どちら様でしょうか」
「初めまして。私は帝都にて不動産業を営んでおります長谷川と申します」
「初めまして。私に何かご用でしょうか」
「はい。実は和藤伯爵からご紹介を受けまして。ご相談したいことがございます」
「なるほど、そういうことですか。
お上がりください。詳しい話は中でお聞きしましょう」
「失礼いたします」
長谷川を応接室に案内してお茶を入れていると電話が鳴った。
案の定〇〇からだった。
電話の内容は今日長谷川という不動産業の男が君の家に行く。
君の好きそうな話だから頼むぞ。
といったものだった。先日警察に便宜をはかってもらったので断ることはできなかった。
長谷川にお茶を出しながら男はいう。
「お待たせしました、お茶菓子もどうぞ。舶来のチョコレートです。ただいま和藤伯爵から電話であなたのことを聞きました。早速ですがお話を聞かせてください」
「先ほども言ったように私は帝都で不動産業を営んでおります。先日あるお方から屋敷を買い取りました。その屋敷は外国からも材料を取り寄せた二つとない逸品になるはずでした。
しかし建築中からよくない噂があったんです。誰もいないところから声が聞こえたり、影が見えたこともあったそうです。元の持ち主も建てたはいいが住む勇気はなかったらしく格安で私に譲られました」
「ふむ、そのようなことが起こる、何か心当たりはありますか」
「実は外国から取り寄せた材料の中に吸血鬼の子孫を名乗る男の屋敷の一部が混ざっていたのです」
「吸血鬼の子孫、ですか。それはまたなんといいましょうか」
「おっしゃりたいことは分かります。しかし吸血鬼の子孫の屋敷の一部が使われたことは事実なのです。一週間後屋敷の調査と除霊を行います。灰崎さんにぜひ参加していただきたいのです」
長谷川は気迫を込めて言う。
灰崎は気圧されながら了承する。
「わかりました。お受けします」
「ありがとうございます。場所と日時はこちらに書いてあります。では一週間後に」
やっぱりやめますといわれないうちに長谷川は書類を置いてさっさと帰ってしまった。
「吸血鬼、か。私のようなものがいるくらいだしな」
約束の日時 屋敷の前
例の屋敷の門の前で長谷川と三人の男女が立っていた。
「お待たせして申し訳ありません。私が最後でしょうか」
「いえ、時間より早いくらいですよ。灰崎さんで揃われましたね。皆さん、よくぞ集まってくださいました。まずは名前なのですが、皆様の中には本名を知られたくない方もいらっしゃることでしょう。なので今日この場ではニックネームを使うことを提案したいのですが、いかがでしょう」
私を含めて了承の意を示すようにうなずく。長谷川は笑って続ける。
「よかった、まずは私から。そうですね会社を経営しているので社長と呼んでください」
太った男が名乗る。
「儂は紀伊国屋とでも名乗ろうかの」
上質だが悪趣味な服に、ごてごてとした宝石の指輪をした男にふさわしくないニックネームだった。
「僕はそうだな、書生でお願いします」
青白い顔に瓶底眼鏡の青年がかばんを小声で言う。
「わたしはアリスです」
うすいベールをかぶった女性が何とか聞き取れる声でつぶやく。
「私は、そうですね、グレイと名乗ります」
「はい、皆さんのお名前は決まりましたので早速中に入りましょう」
一同は門を開け屋敷の中に入る。
「う。建てて間もないというのになんて汚さだ」
紀伊国屋の言う通り屋敷の廊下は埃が厚く積もり、壁はところどころ欠けているというありさまだった
「マスクは用意してあります。皆様使ってください」
長谷川がマスクを配る。
「ここがいいですわ」
アリスがある部屋を見てそう言う。
「わかったから早くやってくれ」
紀伊国屋はイライラと、しかし何かにおびえたように見える。
「扉は閉めてください」
アリスの言葉に最後尾にいた書生はうなずき部屋の扉を閉める。
たてつけも悪くなっているらしく書生は少々手間取ったが何とか閉めることができた。
アリスは両の手を合わせ、聞き取れないこえでなにかつぶやいている。
ときどき声が大きくなったり、手が印を結んでいる。
獣数分後、アリスは額に汗を浮かべて振り返る。
「終わりましたわ。これで悪霊は立ち去りました」
「これで大丈夫なのか。本当に化け物はいなくなったんだな」
「ええ。ご心配の種は除霊いたしました」
「よし、そうと決まればさっさと帰るぞ。はぁはぁ…」
「紀伊国屋さん。落ち着いてください。持病が。今薬を注射しますから」
書生はかがんでカバンから道具を取り出す。いくつかある瓶の中から一つを選び、コルクで栓がしてある瓶に注射器を刺し、中の液体を注射器に移していく。
その後紀伊国屋の片腕を縛り、注射した。書生は慣れた手つきで一連の行為を済ませた。
「ふー、落ち着いたよ石橋、いや書生」
どうやら書生は本名を石橋いといい、職業は医師らしい。それも個人の持病の薬まで携帯しているとなると紀伊国屋のかかりつけ医かもしれない。
「さてと、改めてさっさと帰るとする…か…」
途切れそうな言葉を最後まで言い終る前に紀伊国屋が倒れる。
「きゃー」
アリスの叫び声が上がる。
「お、おい石橋くん。柴田さんが倒れたぞ」
紀伊国屋の本名は柴田というらしい。
書生は紀伊国屋に近づいて容体を確かめる。
「脈が細い…。すぐに病院にお連れしないと」
「わかった。灰崎さん、柴田さんの左肩を持ってください。私は右肩を持ちます」
「わかりました」
グレイと社長は力を合わせて紀伊国屋を担ぐ。そこに書生の焦った声が響く。
「この扉開きません」
「ちょっとなにいってるの。どいて」
いままでと同じ人物とは思えないかん高い声がアリスの口から発せられる。
「ほんと、なんで開かないの」
「おい、幽霊はいなくなったんだろ。なんで開かないんだ」
「知らないわよそんなこと」
「はやく病院にいかなと柴田さんが」
非常事態に陥った三人の抑えられない声が部屋に響き渡る。
「みなさん。私にちょっと時間をいただけますか」
この場に似つかわしくない灰崎の落ち着いた声がした。
「まずは社長さん、一度紀伊国屋さんを下におろしましょう」
グレイの落ち着いた声に社長はおとなしく従う。
グレイは自分の服のポケットから何かを取り出し、床に寝かした紀伊国屋の口に入れる。
「さて、紀伊国屋さんのことはこれでいいでしょう」
「グレイさん、柴田さんに、いえ紀伊国屋さんに何を食べさせたんですか」
「まあ、それは後で説明いたしますよ。あとで紀伊国屋さんに何かあったら私が勝手なことをした、と証言してくださって結構ですので」
書生は納得してはいないがとりあえずこの場では何も言わないらしい。
「私ちょっとこの屋敷の曰くについて調べてみました。例の吸血鬼の子孫のことです。あれ、噓ですよ」
「いや、そんなはずは」
「最後までいわせてください。社長さん、その話は誰から聞いたんですか」
「輸入代理店からです。建築中におかしなことが起こるから何か知らないかと問い詰めたらそこの社長が白状しました」
「おそらく代理店の社長さんのでまかせでしょう。私の知り合いに海外にも顔の効く方がいるのでそのつてで調べてもらったんですよ。結果から言ってそのような男はいませんでした。この屋敷に使われたものに曰くのあるものはありませんでした」
「じゃあわたしがインチキの除霊をしたっていうの」
「いえいえ、アリスさんが除霊をしたことを否定するつもりはありません。八百万の神々がいらっしゃる国ですから、八百万いる霊のどれかを除霊したのでしょう」
「じゃあこの扉はどうして開かなくなったんですか。これも霊の仕業じゃないというんですか。扉があかないのは僕もアリスさんも確かめたんです」
グレイは書生の言葉を受けて扉に近づいて言った
「書生さん、あなたは扉を閉めるとき少し手間取りましたね。それは建付けが悪かったからでは」
「ええ、あと少しというところで引っかかって」
「この屋敷の材料は本来この国で使われることを想定していません。気候の違いで変形することもあるでしょう。おまけにこの屋敷はかなり痛んでいた。さらに建付けが悪い扉を無理やり閉めた。つまり」
灰崎は扉のノブを下ろし、扉に向かって何かをした。すると
「偶然にも、ものすごく、尋常じゃなく建付けが悪いせいで扉があきにくくなっていたんです」
灰崎は扉を開けて見せた。
グレイと紀ノ国屋を除く一同は鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった。
「そんな」
「建付けが悪かっただけ」
「幽霊の正体見たり枯れ尾花、なんて言葉もあるくらいです。それよりも紀伊国屋さんを病院にお連れしないと」
「そうだ。はやくしないと」
数日後、灰崎は書生の指示で紀伊国屋は病院に運ばれ命に別状はなかったと、お礼に来た長谷川から聞いた。
「ありがとうございました。灰崎さんがいらっしゃらなければどうなっていたか」
「いえ、私の力が及んでよかったですよ。ところで柴田さんは糖尿病ですよね。そして石橋さんがお付きの医師だった」
「お察しの通りです。私からも一つ聞かせてください。あなたは屋敷の中で柴田さんに何を食べさせたのですか」
「チョコレートですよ。糖尿病の治療薬であるインスリンは血糖値を下げる役割があります。しかし投与しすぎれば当然血糖値は過剰に下がる。そんなときはチョコレートが有効です。下がりすぎた血糖値を戻すことができる」
「という事は石橋くんが」
「ええ、柴田さんに害をなそうとした」
「大変じゃないですか。すぐに警察に」
「すでに連絡はしてあります。今ごろ取り調べを受けている頃でしょう」
「ならいいですが。それにしてもよくあんな場でチョコレートなんて持っていましたね」
「甘いものに目がないんです、私」
「なんですって。関係者がみんななくなった」
長谷川が礼を言いに来た日の夜、和藤からあの屋敷に行った人間が全員亡くなったという知らせを灰崎は受けた。
「うむ。あの屋敷のもとの持ちぬしである柴田達夫、そのかかりつけ医だった石橋正、霊能力者を名乗っておった女、本名は田中花、不動産を営んでいた長谷川太郎、みな苦悶の表情を浮かべて死んでおった。死んだ場所も違うし、薬物も検出できん。唯一の共通点はあの日あの屋敷に行ったという事だけだ。君もくれぐれも気をつけろ」
「はい、ありがとうございます」
灰崎は受話器を置くとリビングの一人掛けのソファーに座る。目の前の机には数日前に磨いたばかりの鏡がある。
ミシリミシリと床の鳴る音がする。それは白い着物を着ており、顔は塗りつぶされたように黒くて見えない。それが灰崎の背後に立ち、震える腕で灰崎の頭をつかむ。その途端見えない糸が切れたように灰崎の体から力が抜けた。それは何の感情も示さないないまま振り向いて立ち去ろうとする。しかし突如それの身が炎に包まれた。炎は瞬く間にそれを身を燃やし尽くし、灰ひとつまみ、床の焦げ跡も残さず消え去った。
しばらく後
ソファーに力なく倒れこんでいた灰崎の体が動き出す。
「ふう。狭い間隔でこれをするのはやはりつらいな。しかし、本当に幽霊がいるとは」
そして灰崎は微笑む。
「まあ私のような化け物がいるくらいだしな」
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