第16話
◆
アムン国の首都アムナに戻った時は明け方だった。
ホテルが用意されていたので、すぐに部屋に入り、体を綺麗にしてからそこそこのベッドに倒れこんだ。
翌朝、まだ眠いのを感じながらベッドから起きると、端末にディアナからメッセージが来ていた。一緒に朝食を食べよう、という内容だ。俺はそれを受けて、カフェの一つで待ち合わせた。
朝の光の中にあるこの街では、樹林での死闘など誰も知らないようだった。
カフェは混んでいたが、すでに表にあるテーブルの一つをディアナが確保していた。挨拶をして、俺は飲み物とサンドイッチのようなものを手に入れて、ディアナの元へ戻った。
「よく眠れなかったよ」
俺のぼやきに「軟弱なこと」とディアナは平然としている。彼女が作業着ではないのにやっと気づいた。もっとカジュアルで、観光客然としている。まぁ、俺も似たような服装だ。そんなところにも戦場を脱出したという実感が伴う。
「新聞をどうぞ」
テーブルの上にあった新聞が差し出されるので、読んでみる。
密林地帯でゲリラと国軍の戦闘が激化している、という記事があった。その中に、「ゲリラに強奪されたスタンドアッパーを国軍が撃破した」という部分がある。その強奪されたスタンドアッパーというのは、俺が整備し、ディアナが乗ったフェンリルⅢ型の事だろう。
「私が撃破した国軍機の情報がないのは不服だわね」
コーヒーに口をつけながら、ディアナが苦り切った顔で言う。まさかコーヒーが苦いわけではあるまい。
「一晩で七機を撃破するなどというワンサイドは、恥ずかしくて書けないだろう」
俺の冗談に、でしょうよ、とディアナは顔をしかめていた。
この街へ引き上げる途中で聞いたことだが、驚くべきことにディアナはフェンリルⅢ型で、グラディエイター七機を破壊したというのだ。それはほとんど空前絶後の、ありえない展開だった。
七機といえば、おおよそ一個小隊の全機に当たる。損失云々ではなく、スタンドアッパー隊が丸ごと壊滅したに等しい。
さすがにアムン国軍も公表できなかったはずだ。
「これからどこへ行くつもりだ?」
久しぶりに食べるまともな食事であるサンドイッチを味わいながら、確認してみた。
「本隊の指示があれば、どこへでも行くわよ」
ディアナはといえば、粥のようなものを食べていた。それを見ると、いきなりサンドイッチをがっついている俺の方が、豪胆かもしれない。
もっと胃腸に優しいものを選ぶべきだったかもな。
しかしコーヒーと粥の組み合わせは、いかにも不味そうだ。
「また激戦地へ行くってことか? 命がいくつあっても足りない仕事だな」
「それはあなたも同じよ」ディアナは微笑む。「私が助けなければ、今頃は死体か、捕虜だったでしょう」
ごもっとも、と頷くしかない。
「そういうあなたこそ、これからどこへ行くの?」
逆に問いかけられて、少し答えに迷った。
しばらくは金もあるし、静かで平和なところで落ち着きたい。故郷へ戻ってもいいだろう。
でもきっと、すぐに退屈に耐えられなくなって、仕事を探すだろう。
それも危険な、とびきり刺激的な奴を。
「考えているところだよ」
誤魔化すようにそう答える俺に、ディアナは何も言わなかった。短い付き合いだが、俺の内心を読み取ったのかもしれない。そういう洞察力がある奴だ。
「死なないように気をつけなさいね」
諭すような口調に、まるで自分が子供になったような気がするが、彼女が言っているのは正論だ。
「あんたもあまり、危険なことはするなよ」
俺の余計な言葉に、ディアナは苦笑いする。笑わずにはいられない、という感じの表情だった。
「危険なところへ行くのが商売よ。すぐそばで見ていたでしょう。それに私に兵器を都合した」
まったく、このやり取りは敗色濃厚じゃないか。撤退するべきだろう。
「足を都合してやったほうがいいかな」
ちょっと親切をしてやる気になったが、「ここまでくれば味方がどうとでもしてくれるわ」とディアナは真面目な顔で言った。傭兵組織も戦う兵士だけで構成されているわけではないのだろう。
「ここまで送ってくれてありがとう。それは本当に感謝しているわ」
「そうか、じゃあ」
自分でも少し躍起になっていたかもしれない。何に、といえば、この傭兵に、だ。
「連絡先を教えてくれ」
「なんで?」
ディアナは微笑みながら、そう確認してきた。知っているのに、とぼけていやがる。
「あんたの機体を整備したいからだよ」
そっけない口調を作ってそう答えたが、まだディアナは笑っている。まるで子どもを相手にしているような表情だ。
彼女はすぐに答えず、ちょっとだけ笑みを深くした。
「それも悪くないわね。あなたの腕は確かだと思う」
「じゃあ……」
「連絡先は教えないわよ」
からかうように笑いながら、ディアナは席を立つ。そして去り際にこう言った。
「私があなたの整備した機体を壊したら、嫌でしょう?」
またね、と手を振って彼女は去っていった。いつの間にかコーヒーカップも空なら、粥の入っていた器も空になっている。
彼女が去っていくのを見送っているうちに、店員がやってきて空いた器を下げていった。
最後には俺のコーヒーカップだけが残り、俺は深く息を吐いたのだった。
まったく、今回の仕事は全てにおいて負ける定めだったのかもしれない。
そういう仕事もある、か。
コーヒーを飲み干すと、端末に電話がかかってきた。相手の番号は覚えている。逃し屋だ。
通話を受けて、ホテルの前で一時間後にピックアップするという話を聞いた。
コーヒーカップを残し、俺も席を立った。
アムン国とはおさらばだ。
脳裏にルザのことが浮かんだ。
あの少年がこれからどうなるかは、俺には想像もつかない。成長してゲリラ兵として銃を手に取るのか、整備士としてオイルに塗れるのか。もしくは、ゲリラなどやめて、どこかで一人の人間として生きていくのか。
生きていてくれればいい、と思った。
しかし無責任、まったく無責任なことだ。
ホテルへ戻る道すがら、改めて周囲を見た。街は賑やかで、明るく、しかしどこか貧しかった。建物も、人々の服装も、そして気配さえも、どこか何かが足りない。
足りていればいいわけではないが、彼らに足りないものを与える、もしくは育む基盤を作ることが必要なことだろう。
兵器を与え、流血を強いるのではなく。
一人で俺は歩き続けた。
何もかも知っているという感覚、救い難い錯覚は、容易には拭い去れなかった。
俺は何を知っていて、何を知らないのか。
何ができて、何ができないのか。
そんな疑問が結局、俺をまた仕事へ向かわせるのだろう。
戦場では、全てが明確になるが故に。
俺は歩いた。
歩いて歩いて、ただ前に進んだ。
前に進むことが、生きている人間の特権だろう。
それをあの少年もいつか気づいて欲しい。
そう思ったが、やはりこれも、無責任だと俺は知っていた。
知っていても、思わずにはいられなかった。
願わずには、いられなかった。
(続く)
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