スタンドアップ・アームズ!

和泉茉樹

第1話

     ◆


 密林に踏み込む前、道案内を頼んだ爺さんは古い自動車の運転席で真剣な顔で言ったものだ。

「この山には魔物が住む。後悔するぞ」

 訛りが酷いがなんとか聞き取ることはできた。俺は未舗装の道路に激しく揺れる助手席で、肩をすくめて答えてやった。

「その魔物に用事があるのさ」

 爺さんが古いトラックをかろうじて切り返して去ってから、俺は小さな工具箱を片手に提げ、背中にあるリュックサックを揺すり上げて先へ進んだ。本来は道なのだが、片側の斜面が崩れており、車はここを越えられない。

 道の左右はすでに樹木が鬱蒼と茂り、今、俺が立っている道こそ光が差すが、木立の中は昼間でも薄暗い。本当に魔物が出てきそうなロケーションだが、この科学の時代に迷信を信じる場面は限られる。

 さて、合流地点へ行こう。

 さらに先へ先へと進む。

 しかし名前も知らない羽虫がうんざりするほど飛んでいるのが煩わしい。こういう場所に来る時の知恵で、野草から作った虫除けの液体を全身に塗っているが、汗をかくと頻繁に塗り直さないといけない。都市で売っているようなスプレーなど、こういう場所に生息する虫には何の役にも立たないのである。

 道は途中で完全に崩れて、なくなっていた。

 だが、先ほどの土砂崩れは自然現象だが、ここは違う。

 斜面を何かが滑り落ちたような溝があり、その勢いのまま道路が崩れ、さらに反対側の斜面に転がっていったようだ。じっくりと観察すると、下の方に巨大な足跡のようなものが見える。草が踏みにじられ、土が覗いでいる。そしてそばの生木が裂けるように倒れていた。

 もっとよく見ようと身を乗り出そうとした時、「動くな!」と声が聞こえた。おっと、うっかりしたか。

 そっと工具箱を置いて、両手を挙げる。背後から足音と草を掻き分ける音。斜面の上の方からやってきたようだ。音からして、二人か。

 俺が動かずにいたので、すぐに背中に銃口が押し当てられる。やはり二人組で、一人が前に回り込んできた。着ている服は野戦服と言えるが、あまりにも汚れていて、本来の色はもう見えないと言っていい。

 男の顔は日焼けしているが、それよりも元から褐色の肌をしているようだ。ヘルメットを被っておらず髪の毛は黒だとわかる。瞳ももちろん黒。この国、アムン国の民族に多い人種だった。

 その彼の黒い目が俺を見据える。やや殺気立っている鋭い目つき。

「ここで何をしている」

「仕事に来た」

 短く答えると、男が訝しげに眼を細める。俺の発音が完璧すぎたせいだろう。どこの国に行っても、現地の言葉を巧みに使いこなしてみせると途端に胡散臭そうに見られるものだ。

 語学はスパイの基礎だ、という認識もあろうが、それよりも単純に胡散臭いのだろう。

 ともかく男は、俺の発音の完璧さには目をつむって話を先へ進める気になったようだ。

「仕事とはなんだ?」

「整備士だ」

「何の?」

 参ったな、知らない相手に銃を突きつけられて尋問されるのは、一番困る。

「あんたらは」

 俺は言葉を慎重に選んだ。いきなりズドン! は勘弁だ。

「アムン解放軍か?」

 アムン解放軍、この単語は極めて危険だった。

 危険だったが、切り札でもある。

 アムン国は政府が弱体化した上に軍に牛耳られ、さらにその軍政に反発する武装勢力が林立した、いわば終わりの見えない内戦に突入している、世界でも有数の危険地帯だ。

 アムン解放軍も、軍とは名乗るが武装勢力の一つだ。そして俺の雇い主でもある。

 この辺りは一応、アムン解放軍の支配地域のはずだが、もしよその武装勢力の斥候がこの二人だとすると、俺は無事では済まない。

 念のために手首に忍ばせているナイフを意識した。背後にいる男の銃口を外し、逆襲して銃を奪う。二対一ならなんとかできるだろう。

 ただ、もしもの展開は俺の想像、杞憂に終わった。

 目の前にいる男が腰に下げている端末を取り出し、「チップを見せろ」と言ったのだ。

 個人認証用のチップが、先進国では発達している。チップには個人情報が記録される以外に、各種免許、医療施設での治療履歴、処方された薬の履歴なども記録される。正確には、チップに記録されるのは複雑なパスワードで、データは国家ないし国際企業に保管され、必要な時にはそれらのデータベースから参照される。

 後進国ではどうなっているかといえば、身分証程度の意味しかないが、武装勢力はこれを敵味方の識別に使う。ちょっとした符号を記録しておけばいいので、たいした技術はいらないし、シンプルである。

 俺もここに来る前、仕事を受けた時に符号をチップに記録している。

 手首にチップを埋め込んでいるので見せようとしたが、背後の男の銃口が強く背中に押し付けられる。やれやれ。

「右手首の内側だ」

「わかった。動くな。下手に動けば撃つ」

「動かないさ。素早く頼む、手を上げ続けるのも疲れるのでね」

 俺は両手を上げたままで、手首を端末にスキャンされた。

 沈黙。端末が旧型すぎてデータの検証に時間がかかっているのだ。その端末も仕事の一環でアップデートしてやりたかった。もし部品と工具が揃っていれば、外装は今のままでも最新型に劣らない性能に変えてやれるんだが。

 やっとのことで短い電子音が鳴り、端末を見ていた男が一つ、頷く。

「我々が雇った整備士だな。名前は、イカロス?」

「その通り」俺は首を傾げてみせる。「もう両手を下げていいかな。痺れてきたよ」

 男が俺の背後にいる仲間に頷き、それでやっと背中から銃口の感触が消えた。まったく、こんな始まりとは、先が思いやられる。

「ヌダだ、よろしく、イカロス」

 目の前の男が端末をしまい、謝罪もなく手を差し出してくる。

「よろしく」

 場違いながら握手をする。もう一人はボズと名乗った。ボズも律儀に手を差し出すので、握手した。文明的というべきか、様式にこだわりすぎと言うべきか。

 俺は思考を変えるために、仕事の話を始めることにした。

「仕事をする場所はまだ遠いのかな。すぐそこにスタンドアッパーの足跡があるようだが」

 ヌダが頷く。

「あれはアムン統一軍のスタンドアッパーが擱座した痕跡だ。機体は連中が回収した」

「そうかい。この斜面を転がり落ちると、間違いなくダンパーがイカレるな。立ち上がれんだろう」

「どうだったかは知らない。わかっているのは、機体が消えた、ということだ。さあ、行こう、イカロス。待っていたんだ」

 待っていたなら迎えをよこしてくれ、と言いたかったけれど、もしかしたらヌダとボズが迎えなのだろうか。

 二人は俺の先に立って木々の間に分け入って行く。人の手がほとんど入っていないので、体のそこここに枝の先や木の葉が擦れる。草いきれが濃密にまとわりついてくる。

 ただ、進むうちに自分が通っている場所には、そうと分からないように道が作られているのだとわかってきた。時折、木の枝が都合よく落とされているのが見て取れる。

 さらに先へ進み、急斜面を這うように登ると、ふいに視界が開けた。

 広場のような場所だが、ただの広場ではない。

 旧式ながら小型のトレーラーが二台並び、その周囲に簡単なテントがいくつか並んでいる。他にも、錆びの浮いたコンテナが小さく積まれてもいた。

 何より人の姿がある。全部で二十名ほどか。談笑しているものもいれば、銃器の手入れをしているものもいる。

 俺に気付いたものは鋭い眼差しを向けてくる。俺はちょっとおどけた表情でそれに答えたが、すぐに俺の視線は一台のトレーラーの上にあるものに向けられた。

 スタンドアッパー。

 極めて汎用性の高い、二足歩行ロボットだ。

 そしてそれは今、世界中の戦場、紛争地帯で、圧倒的な戦果を挙げている兵器でもあった。



(続く)

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