第10話 【天使】
「もー! さいあっく!」
「ああ、捕まえてきてくれたんですね。【道化】」
【道化】と呼ばれた長身の男は頬をふくらませて怒っていた。
「全くもう、このイタズラ猫ちゃんってば。髪に土付けたり目に痛いスプレーをかけてきたり。酷かったのよ!」
「……まあ、厄介さで言えばこの三人の中でもずば抜けているとは思いましたが」
その会話をしている間も……【道化】が抱えていた二つの麻袋は揺れていた。
「もう、大人しくしなさい! ああもう。陛下に言われた通り捕まえたんだけど」
【道化】の言葉に【聖女】の耳がピクリと動いた。
「……陛下が? いざとなれば殺しもやむを得ない、と聞いていましたが」
「……聞いてなかったの? ……まあ、すぐ出ていっちゃったし。その子はもう無理でしょうけど。体の崩壊が始まってるわ」
【道化】はそれを見て、はぁとため息を吐く。すると、麻袋がより一層暴れた。
「さっきからしつこいわね!」
「……彼を見たいんじゃないの? 耳、塞いで無いでしょ」
【聖女】の言葉に道化があら、と口に手を当てた。
「でもねぇ……この惨状を見せるのは心が痛むわねぇ。貴方がそうなるまで戦い続けたって言うのは恐ろしいけど……ああもう! 分かったわよ!」
道化は渋々、その麻袋から縛られた二人を取り出して地面に置いた。
二人は……目を動かして『彼』を見つけ出し。そして。
「「……」」
絶句した。
血溜まりの中に彼は居た。随分と体は小さくなっていて……四肢が全てないのだと。遅れて二人は気づいた。
「本当に。ええ。今まで戦った罪人の中で一番厄介でした。なんで足一本でも戦うんですか。しかも最後の方は私でも反応が難しいくらい早かったですし」
「……本当に末恐ろしいわね。【死神化】を使ってそれだなんて」
続いて、猫は【聖女】を睨みつけた。
彼女の姿は変わっていた。……
「【起死回生】だったかしら。どうして血を失う度に早くなるのよ。チートよチート」
「ま、まあまあ。チートみたいな貴方に言われる筋合いは無いと思うわよ?」
猫は射殺さんばかりの視線を【聖女】へとむけていた。対して天使は……
その目から。涙を流していた。
「ぅ……」
喋れないし、十分に身動きも取れない。芋虫のように体をくねらせ……少しでも彼に近づこうとする。
「……ああ。クソ。二人とも捕まったか」
急に声を発した彼に二人が。そして、【道化】が驚いた。
「……やだ、彼。生きてるの!?」
「頼まれたんですよ。『もう降参するから、もし二人が捕まったのなら会わせて欲しい』と。……そうでなければ情けをかけています」
「でも彼、もう五感のほとんどが使い物にならないんじゃないの?」
「ええ。……気配で感じ取っているのでしょう。何から何まで人間業とは思えませんが」
二人が話していると。猫がうーっと唸った。
「……まさか。猿轡を取れとか言わないわよね」
【道化】の言葉に猫がこくこくと頷いた。
「ダメよ。取るわけ無いでしょ」
「……良いではありませんか。最期くらい」
「あのねぇ。そもそもこの三人は」「ほら、今外しますから。動かないでくださいね」
道化の言葉を無視して。聖女が猫の猿轡を取る。
「……礼は、言わない」
「ええ、もちろん。彼をああしたのは私ですし」
猫は一目だけ聖女を見た後。もぞもぞと男へと近寄った。
「悪ィな、猫。契約は果たせなかった」
「……ううん。キミは頑張ってくれたよ。ボク達のために」
声が聞こえない事は分かっている。……でも、それでも。
「ありがとう」
そう言って。血でぬるぬるとしている頬に頬を押し当てた。
次に……聖女に猿轡を取られた天使が。男の胸に飛びついた。
「嫌だ……いやだ。死なないで。一人に、しないで」
――今まで見た事が無い程に。天使は取り乱していた。
まるで……親を亡くす直前の幼子のように。天使は泣きじゃくった。
猫はその様子を見て……驚いた。
最初はあんなに……無感情であったのに、今となっては。年相応の……子供にしか見えない。それと同時に、胸がざわりとした。
「一人は……嫌だ、よ」
それが……男にも伝わったのだろうか。
「オイ、天使」
しわがれた声で。しかし、しっかり聞こえるように、声を張り上げた。
「……テメェとの旅も悪くなかった。だが、テメェともう一戦闘りたかったな。それだけが心残りだ」
男は――地獄に来て。格上との戦いを行い、かなりの成長を見せた。猫の持っていた回復薬のお陰でもあるが。
その成長で――今では。天使をものともしない程の強さを得ている。
しかし、男はそれでも。天使を自分の
そして。それを最後に。男の意識は掻き消えた。
肉体が崩壊を始めていく。風化し、ボロボロに。血液はほとんど流れでない。気づけば、その血溜まりも地面に吸収されていった。
この世界の死が。現実とは異なる事を知っている。……だが。永遠の別れとなる可能性も低くない。
それに猫は悔しそうに拳を握りしめ。ただ祈る。
また、彼とどこかで出会えるように。願わくば……普通の家に生まれて。普通の学校に行って、そこで出会いたい、と。
そんな普通の生活を得るのが何より大変な事を知っていながら……猫は目を閉じた。
お互い何人も……何十、何百何千と人を殺しておきながら。何を考えているんだと自嘲しながら。
「――ッ」
天使は泣き叫んでいた。自分でもどうしてこんなに感情的になるのか分からないまま。
あの……父親のような存在に。自分が道具としてしか見られていなかったと分かった時でも泣かなかったのに。
その時……天使は気づいた。
彼は誰よりも優しかったのだと。
――私を……一人にしないでくれた。
粗雑で、口が悪くて。すぐ手が出る乱暴者だけど。
それでも……楽しかったんだ。一緒に居て。
その事に天使は気づいた瞬間。
嫌だ。離れたくない。
体がどんどんと熱くなっていく。気がつけば天使は宙へと浮かんでいた。
――声が、聞こえた。
(ああ、やっとか。待ちくたびれて居たぞ。さっさと戻ってこい。仕事の時間だ)
その声を最後に。天使の意識が消えた。
◆◆◆
「な、なんですか!?【道化】! 拘束が外れていますよ!」
「本当ねぇ……それにあの神々しさ。彼女、本当の天使だったのね」
「天使!? 本物だったんですか!? しかし、それにしては先程よりずっと……」
道化と聖女は拘束が解け……宙へと浮かぶ彼女を見て。慌て出す。
「ええ。……さっきまでは確かに弱かったわね。だからアタシもあったとして、『はぐれ』だと思ってたんだけどねぇ……猫ちゃんは何か知ってるかしら?」
「……少しは」
猫はその光景を見て。眉を顰めていた。
「まあ、話は後にして。まずいわねぇ」
「……ええ。斬ります」
「仕方ないわね。それが良いわ」
聖女が跳び、その持っている剣を振るう。しかし……
「速いッ!」
それより早く。天使は上空へと飛び上がった。しかし、その目は閉じられていて意識がないように見える。
「これは末端じゃないわねぇ。聖女ちゃんでああだと……【
「ぐっ……追いつけない」
そのまま意識のない天使が飛び上がっていき。その腕を振るった。
「あらやだ。時空まで繋げられるのね」
「【道化】! 貴方も手伝ってくださいよ!」
「無茶言わないでよぉ。貴方で追いつけなかったら誰も追いつけないに決まってるじゃなぁい」
道化は現代へと繋がる時空を見ながら。訝しげな顔をした。
「それにしても……どうして天界じゃなくて現世なのかしらねぇ。疑問は深まるばかりだわ」
「ぐ……このっ」
聖女は天使を追いかけるが。それより早く、天使は時空を超えた。
「……ッ」
「とりあえず陛下に報告しに行きましょうか。ちゃんとアタシのせいだって分かってるわよ。猫ちゃんも……彼にも来てもらいましょうか。壮大な別れの後で気まずいのかもしれないけど、ね」
猫は道化の言葉に。目を丸くしていた。
◆◆◆
「おォ、次はアンタか?」
「……ちょっと、なんで死神用の拘束してんのよ」
「い、いえ。罰を与えようとした執行人がことごとく殺されまして。普通の鎖も壊されてしまい……」
「……それで雁字搦めにして、という訳ね」
陽の光が届かない独房。その中に男は居た。
真っ黒な紐に四肢と首を固定され。体に無数の生傷を付けられて。
「ええ。しかも爪を剥がすぐらいじゃ動じませんし、手足の切断をしようものなら拘束にヒビが入るかもしれないぐらいの強さで暴れるんですよ」
「……【起死回生】ね。彼、追い詰められれば追い詰められるほど強くなるわよ」
「あ? お前……猫達を捕まえた奴か?」
「あら、覚えててくれたのね」
「おォ。闘ろうや」
「お断りします。聖女相手にいい勝負をする相手と戦うなんてバカじゃない」
道化はそう言って、独房の扉を開いた。
「そんな事より。天使ちゃんが本物の天使で現実世界に行っちゃったんだけど。何か心当たりはない?」
「あ? 頭沸いてんのか?」
「貴方にだけは言われたくないわね。……いえ。アタシの説明も悪かったかしら。とりあえず、猫ちゃんと一緒に陛下に謁見させたいんだけど。暴れないって約束出来る?」
「陛下か……強ェのか?」
「貴方ね……余計な気は起こさないでよ。魂ごと消されちゃうわよ」
「ハハッ。……悪くねェな。賭けるモンが重いほど燃える」
「もう置いて行こうかしら」
男の狂気加減に道化が本気でそう考えていると……また、足音が聞こえてきた。今度は二つ。
「どう? 話はつきましたか?」
「……」
「あら。聖女ちゃんに猫ちゃん。先に陛下に会ってくるんじゃなかったの?」
「ええ。そうしたかったんですが、陛下が彼を連れて会いに来るように、と」
「そうだったのねぇ……彼、重度の戦闘狂なんだけど。どうにかならないかしら? 猫ちゃん」
「……理由は話したの? 連れていく理由」
猫がジトッとした目で道化を見た。
「あら。そういえば話してなかったわね」
「……こんな戦闘バカで、何も考えてないバカに見えるけど。話が通じない訳じゃない」
「オイコラ。猫。誰がバカに見えるだ」
「まあまあ。話は最後まで聞いてよ」
猫が一目聖女を見ると聖女は渋々頷いた。
猫は独房に入り。男を見た。
「色々と言いたい事はあるけど。本題から行くよ」
「あァ。聞かせろ」
「天使ちゃんが操られている。恐らく某国……ボクが捕まってた所の研究員に。それに……もっと大きな何かが絡んでいるかもしれない。死神達が言う【陛下】なら何かを知っているかもしれないし、ボクとキミに何かやって欲しい事があるみたいなんだ」
猫は一気にそう捲し立てた。男が言葉を挟む暇が無いほどに。
その言葉を聞いて、男は一瞬押し黙り……頷く。そして。
「あの後。俺が死んだ後に何があったか聞かせろ」
そう言ったのだった。
◆◆◆
「それで? 俺達に何ィやらせようとしてんだァ?」
「分かりません。ただ、陛下のご意向ですので」
「チッ。気に食わねえな。要件も言わずに呼び出されるのは」
「落ち着いて。どうせボク達には拒否権なんて無いんだから」
舌打ちをする男を宥めるように猫が言う。そして……男は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも頷いた。
「……分かった。その話の内容が分かるまでは暴れねェ」
「ッ……貴方ね。ふん、良いですよ。暴れたら私が責任持って処罰しますから」
「おォ。良いねェ。闘り合おうじゃねえか」
「ちょっと、聖女らしくないわよ。落ち着きなさいな」
「はぁ……」
猫はそんな二人を見てため息を吐いた。
その割合としては、呆れが七。嫉妬が三といった様子であった。
◆◆◆
「良いですか? 絶っっ対に不敬な真似はしないでくださいよ?」
「気分次第だな」
「はぁ……まあ、陛下って寛大なんでしょ? それなら敬語くらい許してよ」
「あ、貴方達は本当に……」
不遜な態度を取り続ける二人に聖女がとても聖女とは言えない顔をしている。
「あはは、冗談冗談。ちゃんとなんかありそうになったら無理やり口閉じさせるから」
「……貴方って結構豪胆よね」
「これでも情報屋だからね」
にゃふふと猫が猫らしく笑う。道化が呆れた表情で見ていると。
ついに、謁見の間へと辿り着いたのだった。
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