第5話 絶望

「……」


 天使は眼前にある大きな建物を見つめた。


 市役所が一番近い形状だろう。しかし、現世のそれと違うのは窓に真っ黒な板が打ち付けられており、中が一切見えないと言うことだ。


 天使は目を剥いて座り込んでいる男の後ろについた。既に光学迷彩を施しており、誰にも観測されていない。


 しばらくそれを観察する。



「次」

 その市役所の入口には、受付とでも言いたいのかスーツを身につけた鬼が立っていた。男はふらふらと鬼の前に行く。そして、二言ほど鬼が喋った後に男は扉の中に入っていった。


 中を覗き込もうとしたが、真っ暗で見えなかった。



 ……おかしい。


 天使はそれに対して違和感を覚えた。


「……光を吸収する物質? ブラックホールみたいなものって事? ……でも、理屈が成り立たない」


 一人、そして二人が闇の中に吸い込まれる。



 そして、いつの間にか列が無くなっており、最後の男が鬼に呼ばれていた。


「……考える時間はない」


 天使もそのすぐ後ろに付いた。


「お前は……ドルク・アルヴか。今日はお前で最後だな。入れ」


 ドルク・アルヴ。その名前に天使は聞き覚えがあった。脳内の知識を散策すると、一つのデータが見つかった。


 ドルク・アルヴ 第一級犯罪者

 殺人・強盗を幾度となく繰り返しており、強姦や窃盗などの余罪も複数ある。

【天使】が動くほどでは無かったが、見つければ捕らえろとの通告は受けている。……生死は問わないとも。


 何十もの特殊部隊を壊滅させる腕前もある……らしいが、目の前の男はやつれ細っていた。


「あああ……ぅあああああああああああああああああああああああ」


 すると、ドルク・アルヴはいきなり頭を押さえて悲鳴を上げた。突然のことに天使は目を見開く。


「行け」

 気のせいだろうか。鬼は男に対してどこか同情しているような気がする。

「あああああああああああ……いやだあああ、いやだああああああああああああああああああああ」

「はぁ……仕方ないか」

 そう言って、鬼はドルク・アルヴの頭を掴み持ち上げた。その自重で首からミシリと音が鳴る。


「うぐ……あぁぁぁ」

「おら、行け」


 そして、鬼は乱暴にドルク・アルヴをドアの中に放り込んだ。闇の中に入った途端、悲鳴はピタリと止んだ。


「よし、終わりか」

 鬼はそう言って扉をしめようとした。その時、一陣の風が吹いた。


「……?」


 しかし、鬼の周りには当然誰もいない。その事に疑問を感じながらも、扉は閉められた。


◆◆◆


 パァンッ



 いきなり、目の前の男が弾け飛んだ。血糊が飛び、内蔵の破片が散る。


「……!」


 天使は咄嗟に上に飛ぶ。光学迷彩は起動したままだ。




 天使は思わず顔を顰めた。毒性すらあるのでは無いかと思われるほどの悪臭が立ち込めていたからだ。



「……誰だ?」


 天使は確かにそれを見た。





 暗闇の中、爛々と輝く双眸が――自分を見ている事を。


「……ッ!」

 天使は身を翻して逃げることを試みるが、闇の中に帰り道は存在しなかった。


「……羽虫。違うな。その気配は――」


 存在がバレている。そう咄嗟に判断した天使はある物を取り出し、放り投げた。



 パン!


 瞬間、辺りが真っ白に染まる。その光を全て吸収した天使の目は爛々と光る。


 次の瞬間、また暗闇へと戻るが天使には全て見えていた。



 肉食獣……その中で夜行性の物は夜に目が光る。これは網膜の後ろにタペタムと呼ばれる反射板があり、僅かな光を二倍にして返すからである。


 天使の目は特別製だ。このタペタムを応用した反射板を使い、更にその奥には光を吸収し保持する物質が組み込まれている。


 これは光の届かない深海や地下を想定した物だ。持っている閃光弾を使い、光を吸収して使う。天使の戦いでは環境が戦況を覆すことは無い。




「【天使】か。なんでこんな所に居るのか分からんが、『法則ルール』を破ったのはお前だ。潰れてもらう」


 天使の瞳が捉えたのは異形の怪物。今までの【鬼】と姿形は似通っている。違うところと言えば、その角が他の鬼より長く、太い所と肌が黄土色になっている所だろう。


 しかし、天使はそれ以外も気づいた所があった。それは、その圧。

 その体から発する圧はこれまでの鬼と別格であった。


「……『戦闘』モードへ移行します。対象は……【黄鬼】と想定します」


 しかし、逃げる事は不可能。外に出る為の扉は確認できなかった。ここはそういう空間なのだと脳に刻み、意識を切り替える。

「ん? 様子がおかしいな。【堕天】……でもないか。まあいい。潰してから考えるか」


 天使は虚空から二丁の銃を取り出した。それと同時に黄鬼は棍棒を振るう。




「かはっ」




 次の瞬間、天使の体は吹き飛んだ。天使は叩きつけられた羽虫のように墜落する。


 べチャリ。

 天使は血の水を跳ねさせる。


「う……そ、見えな……」

 上手く呼吸の出来なくなった天使の体は酸素を求めてガクガクと震える。


 天使はその風圧だけで弾け飛んだ銃の残骸を投げ捨て、自身の胸に両手を置いた。



 ドン、ドン、

 服の上から肺をポンプのように押しつぶし、無理やり呼吸を行う。何度か続けていると、呼吸は落ち着き始めた。


「……ハグレにしても弱い。天界もここまで落ちぶれたのか?」


 天使は、そんな意味の分からない事を言っている黄鬼を見た。





「勝て…………ない。でも、」


 天使は一瞬で敗北を悟った。


 今までの鬼とはレベルが違う。


 否。今までであった誰よりも強い。そう、あの男より――



 それでも、闘うしかない。


「……『せん、滅』します」


 どうやら黄鬼は様子見をしているようで、攻撃してこなかった。


 虚空から【M134】を取り出す。今の天使の最大火力がこれだ。油断している今しかチャンスは無いだろう。



 最後まで黄鬼は動かなかった。





 ダダダダダダダダ


 耳が張り裂ける音と共に、天使は上へ向かおうとするミニガンの照準を無理やり合わせる。


「はは……」

 しかし、天使は思わず笑ってしまった。



 カカカカカカカカカカ


 ――という軽い音と共に。弾は全て鬼の皮膚に弾かれていたのだから。


 ◆◆◆


 段々と音が小さくなり、ついにその音は止んだ。


 ガチャン、と音を立ててM134は落ちた。


「……痒いな」


 黄鬼はボリボリと音を立てながら腕や脚を掻いた。ダメージは無い。


「……ッ」

 対して、天使は絶望の表情を浮かべて崩れ落ちた。翼は仕舞われ、膝をぺたりと地面に着けて。


 その姿はとてもでは無いが【天使】とは思えなかった。


 否。その通りだった。黄鬼からすれば、この【天使】もただ一人の女の子でしかない。


「これで……終わり」

 黄鬼はズン、ズンと歩み寄ってくる。


 一歩一歩は遅い。しかし、それがより天使の絶望感を煽る。


 確実に、一歩ずつ死は歩み寄ってくる。



「ぁ……」


 ひゅん、と風を切る音と共に棍棒が振り下ろされる。


 バギィ



「……あ?」


 黄鬼の手に手応えは無かった。その代わりに頭に衝撃が走る。



「ぬ……ぉ、」

 鬼は自分の顎が蹴られたのだと遅れて気づいた。よろけ、棍棒を杖にして座り込む。


「そういう事……だったんだ」


 足を引き摺りながら、天使は口にする。


「『セーブ』と『恐怖心』を外せばッ……」


 ――彼のように戦える。




 その考えにたどり着くには少しだけ遅かった。



 天使の目の前には金棒が迫っていた。


「ッ!?」


 それは、天使に『直撃』した。


「セーブ、だとか恐怖心がどうのこうの言ってるがな。俺らにはそんな概念もねえんだ。かと言って、常に本気を出してりゃ罪人に恐怖を与えることなく殺してしまう。そんなんじゃ『鬼』失格だ」


 先程までの乱暴な口調とは少し異なる。いや、異なるのは口調だけでは無い。


 先程までの粗雑な態度が変わった。その瞳も獲物を見るものでは無く、『敵』を見るものへと変わった。



 鬼の中の油断が消えた。



 一方、天使は絶望の淵へと立たされていた。


――肋骨……胸骨、全壊。幸い、内蔵に傷は無いけど……動けない。動いたら刺さる。脚も腕も力が入らない。


 最早、足掻く手段すら残されていなかった。




(私……今度こそ死ぬ?)


 今までの『死ぬかもしれない』では無く、『確実に死ぬ』という実感が天使に訪れる。



 瞬間、天使の胸の奥から信じられない思いが湧き上がってきた。


「死にたく……ない」


 そう言葉にして天使は疑問を抱いた。


 ――なんで……? 任務に失敗したから……違う。あの時だって、こんな気持ちにはならなかった。


 天使の脳裏に浮かんだのは現世での『死』の記憶。任務に失敗したという屈辱感こそあったが、油断した自分が悪いのだと理解もしていた。


 じわり、と暖かいものが滲み出して来た。


 ――ああ……そうだ。あの人との旅が終わってしまう?


 天使は、あの男と一緒ならどこへでも行ける、と確信めいたものをもっていた。


 ――粗雑で、怒りっぽくて。……でも、絶対に。私を一人にしなかった。


 ……そして、彼との旅に少し。本当に少しずつ、『楽しみ』すら見出していた。


 その感情は久しいもので……その中に。自分の知らない感情まであった。


 だから、天使は戸惑った。


(どうして……あの人との旅が終わったら寂しいの?)


 天使は死が孤独と捉えていない。魂はいずれ天に昇り、神に救済される事を信じている。例え地獄に落ちたとしても、その信奉は捨てなかった。



 だからこそ、天使は困惑していた。


 しかし、すぐに納得したかのように長く、深く息を吐いた。


「……新しい『感情』」


 ……それを知りたい。この楽しいとは違う感情について。





 また一つ人間に近づけた。天使はそう気づいてしまったからこそ、より深く絶望した。


 自然と、その瞳から涙が零れてくる。


「しにたく……ない」


 幼子のように顔を歪め、泣きじゃくる。


「しにたくないよ……」



 そんな天使を見て、鬼は無慈悲に棍棒を振りかざした。




 その棍棒は、振り切られる寸前で止まった。止められた。


「俺の『仇』に何手ェ出そうとしてんだァ? あぁ?」



『理不尽』が、『無慈悲』を打ち破りに来た。

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