第6話 理不尽VS無慈悲
「……人間? いや、【死神】様? ……違うな。人間か」
「あぁ? ッるせェなァ! 俺ァ人間に決まってるだろうがッよォ!」
男は一歩後ろへ跳び、片足で床を蹴って棍棒を振り抜いた。
ガキィン、と棍棒が重なり耳を劈く音が響いた。
「……なん、で。ここに」
「あぁ? 俺が何処にいようと勝手だろうがよ」
男はちらりと振り返り、天使を見やった。
服はボロボロで、顔は涙でぐちゃぐちゃ。手足がおかしな方向に曲がっており、胸から腹が陥没している。
とてもでは無いが。生きているとは思えない状態。
「だぁッ、クソッ!」
男は二度棍棒を振るった。鬼は床を陥没させながらそれを受け止めた。
「ぬぅっ」
「オラァッ! 沈めェッ!」
男は追撃を加えながら、跳んだ。一回転し、腰の捻りと腕の捻り。そして、自身の全体重を乗せた一撃をお見舞する。
鬼は膝まで床にめり込ませた。
「ぐっ……しかし」
「これで終わりなわけあるかッ!」
ダン……と音を立てて男は踏み込み、バットのように棍棒を構える。
「はぁっ!」
「吹き飛べゴラァ!」
音速を超えたバットがフルスイングされる。キィン、と心地よい音と共に、鬼は吹き飛ばされた。
「ハッ! ざまぁみやがれ」
男はチンピラのようにペッと唾を吐いた。
「……そんじゃッ、そいつは頼んだぞ。猫」
「はいはーい、ボクにおまかせあれっ!」
気づけば、天使の横に一人の少女が立っていた。フードを被った、天使と同じ歳ぐらいの少女。その頭からは猫の耳のようなものが生えている。
「あちゃー。こっぴどくやられたね。【天使】ちゃん」
「……【
「へぇ、覚えてくれてたんだ。光栄だなぁ」
猫はイタズラをする幼子のように笑った。
「ま、言いたいことは色々あるけど、彼に免じて許してあげるよ。まずはキミを助けないとね」
そう言って、猫はポケットから瓶を一つ取り出した。
「これ、そこら辺に居た【鬼】からくすねてきたんだけどさ。なんでも、相当強力な回復薬らしいんだ」
瓶の中には半透明の青色の液体が入っている。蓋を開け、とろりとした液体を掌に垂らした。
「もちろん、相応の痛みは伴うよ。でも、それぐらいは我慢してね」
片手でぐちゅぐちゅと液体を手に染み込ませ、青い液体を置いて片方の手で天使の服を脱がせた。
「……ほんとによく生きてるね?」
「致命傷を避けるのは基本で……ぐっ」
猫が陥没した胸から腹に触れると、天使は苦悶の表情を浮かべる。
そして、次の瞬間天使の額からどっと汗が噴き出した。
「うっ……ああ、熱い」
「ちょっとだけ我慢してね。じゃないと、このまま死ぬよ。その感情、理解出来ないまま死にたくないよね?」
「なっ……んで、その事」
「これでも情報収集のプロを名乗ってるからね。当たり前さ。【プロトタイプ】君? ……君を絶望させる訳にはいかないからね」
猫は薄く笑い。またとろりとした液体を塗り込んでいく。そして、腕や足、全身に行き渡るまで塗りこんだ。
「っしゃオラァ! もっぺん吹き飛べやァ!」
「二度はさせるか!」
天使は痛みに耐えながら、人外の戦闘を見ていた。
「シルヴィ」
猫は一言、そう呟いた。
「君はどこかあの子に似てる。だから彼はこんなに怒ってるんだよ」
「……似てる? 怒ってる?」
「ああ。寂しがり屋な所とか、子供っぽい所とかね。そんな君を傷つけた世界に、そして自分に対して怒っているんだ」
ふん、と猫はつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ボクの事を気にかけた事も無いくせに。まったく、不義理なもんだよ」
「あなたは……」
天使は、改めて自分の肌に手を置いている少女を見た。
「あなたは、誰? 彼の、何なの?」
「おや? ボクを捕まえた時に君も居たと記憶してるんだけどね」
「違う。私は……あなたの事を極悪犯罪者って聞いてた。悪人に情報を与えて。間接的に人をたくさん殺してきたって」
「ふふ。別に間違ってはないよ」
猫はくすりと笑う。
事実、天使の教えられた事は勘違いではない。現世で猫は国際的な指名手配犯となっているのだから。
「でも、私を――」
「勘違いしないでね。ボクがキミを助けるのは、彼の為だからさ。キミが死ねば、彼は悲しむからね」
悔しそうに、しかし何処か慈愛の篭った視線を天使に。そして、男へと向ける。しかし、次の瞬間にはそんな視線など無かったかのように振舞った。
「まぁ、あと一つ気になる事があったから、ってのもあるし戦力の増強って意味もあるけど」
猫ははっと一つ息を吐いて、手を離した。
「はい終わり。それじゃ、キミはここで休んでてね」
「えっ……」
猫の言葉に天使は目を丸くして驚いた。
「なーに驚いてんのさ。そもそもキミ、負けたでしょ」
「ぅ……で、でも」
「キミが万全なら彼にも合わせられるんだろうけどね……ちょっと時間が足りないかな」
猫は手癖なのか、液体を付けていない方の手で自分の頭に付いている猫耳を弄った。
「ね! そろそろ応援がくるみたいだけど、手伝い欲しい!?」
「いらねェ!」
男は吼えた。その目はギラギラと輝き、肉体は強い熱を持っていて煙が上がっている。
「もー! 時間が無いんだってば!」
猫は耳をピンと逆立て、ふしゃーと本物の猫のように怒りを顕にした。
「あァ? わァーったよ」
「ちょこまかと……!」
男は片足で鬼を蹴り上げ、後ろへと下がった。未だダメージは受けていないようだが、鬼に対しても大きなダメージを与えられていない。
男は、そのギラギラとした瞳を天使へと向けた。
「見とけよォ! 天使ィ! テメェがやろうとしてた『セーブを外す』ってのはこういう事なんだよォ!」
狂気を滲ませた声と共に、男は貫手のように手を鋭くし――
「ガッ……」
自身の腹を貫いた。
「……え?」
天使はその光景に目を丸くし、
「はぁ」
猫は不快そうにため息を吐き、
「なに?」
鬼は不可思議そうにそれを見つめた。
ズバシュ、と男は貫手を抜いた。ダバッと血液が溢れ、真っ黒な床を紅く染め上げる。
常人なら――人間なら、とっくに死んでいるであろう傷。
「十秒だ」
そんな傷を負って尚、男は笑っていた。
「十秒でぶっ殺してやるよ」
獲物を追う獣では無い。そんな獰猛な笑みを浮かべていない。その顔に浮かんでいたものは――
人生の何もかもを捨てた、諦念の笑みであった。
次の瞬間、鬼は床に膝をつけた。
「……は?」
音はしなかった。
「死ね」
一瞬だけ、天使は男の姿を視認することが出来た。
その動きは、あの時と一緒だった。
男の拳が、鬼の背中を貫く。
男の拳が、鬼の脚をへし折る。
男の頭蓋が、鬼の頭蓋を砕く。
「凄い……」
天使は呼吸すら忘れてそれを見つめた。もしかしたら、あの後複数の天使からも逃げおおせたのかもしれないとすら考え始めていた。
実際、その考えはほぼ正解である。……ただ一つ、違う事があるとすれば。あの時は『今以上』に速かった。
「トドメだ」
反撃の隙すら与えず、男は潰れた鬼の頭を掴んだ。
そして、片手のみでねじ切った。
ドスン、と鬼が鈍い音を立てて崩れ落ちる。
「……ああ、クソ」
そして、それに重なるように男も倒れ込みそうになる。それを猫が受け止めた。
「よっと。ボクはやっぱソレ、嫌いだな。キミが傷つくのは心臓に悪い」
「……るせぇよ」
「ああもう、喋らないで。ほら、キミも手伝って」
猫が天使へとそう言うと、天使はふらつきながらも駆け足で来た。
「キミは彼の胴体にこれを塗って。傷の中に指を突っ込まないでよ。表面に薄く伸ばすようにして」
「わ、分かった」
天使は猫から受け取った瓶から液体を垂らし、手のひらに擦り付ける。
「あ、服もう使い物にならないはず。ちぎっちゃっていいから」
猫の言葉を聞いて、天使は躊躇うことなく服を裂いた。真っ赤な血に染った肉体がむき出しになる。
「……すごい、傷」
そして、その血に染った肉体は余すこと無く傷が付けられていた。何百……何千の死線を潜り抜ければこうなるのだろうかと天使は驚嘆の息を漏らす。
「早くやって、死んじゃうから」
猫に催促され、天使は薄く引き伸ばしながら液体を塗りこんだ。
「……痛く、ないの?」
「ニンゲン、死にかけが一番ラクなんだよ。なんつーか、このフワフワした感じがよ。だから、痛くなんざ無ぇな。なんならキモチイイぜ?」
「キミさぁ。他に方法は無かったの? 本当に心臓に悪いんだけど」
猫が不機嫌そうに引きちぎれた右足と左手の先っちょに液体を塗りたくっている。
「カカッ。バカ言うんじゃねぇ。殺し屋の技が一つしか無いなんてバカじゃねぇかよ」
「バカバカうるさい。じゃあ別の技使えば良かったのにさ」
「テメェなら知ってんだろ、猫。時間が無ェならアレが一番早ェ」
「……分かってるけどさ。不満ぐらいは言わせてくれよ。君だって、君の戦い方をシルとか天使が真似したら嫌だろ?」
「ハッ! させる前に敵を俺が殺すに決まってるだろうが」
「でもキミ、死んじゃったじゃん」
猫は静かに現実を叩きつけた。
「……俺がいつ死んでも良いように色々やってきたから問題無ェよ」
「へぇ。それって【天使】の軍勢がシルを狙ってても大丈夫なの?」
一瞬、男は黙った。その隙を付いて、猫はまた口を開く。
「囚われてた時に散々聞かされたんだよ。キミと、シルを抹殺する計画をね。それでボクを引き込もうとしてたらしい。……ただ、ボクも天使を見誤ってたね。まさかキミが死ぬだなんて思ってもなかった。ごめん」
「ハッ」
猫の謝罪を男は一笑した。
「その判断は間違って無ェ。殺し屋が死ぬのはテメェの実力が無かったってこった。……だから、謝るんじゃ無ェ。俺だって謝らねェからな」
その言葉に天使は違和感を覚えた。
まるで、この男も猫の死を悔いているのじゃないか、と。
しかし、この男は極悪犯罪者だ。数え切れなくなるくらい人を殺してきた。
天使はそんな考えで打ち消した。男の傍にいる時に感じる安心感には目を瞑って。
「傷口が塞がったからこんなもんかな。キミ、私と彼連れて飛べる?」
「……余裕」
天使は猫を見て、ニヤリと笑った。
その笑い顔は、誰かによく似ていた。
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