第3話 天使の秘策
「ああ、クソ。不便ったらありゃしねェ」
男は苛立ちを隠そうともせずに、一つ舌打ちをした。
その手に掴まれているのは石を削って作られたと思われるスプーン。そして、地面には何かを煮込んで作られたと思われるスープがおかれていた。
「ちゃんと食べないと栄養素が足りない」
「わァってるよ。だからこうやって食ってンじゃねェか」
具が少ないならば飲むことも可能なのだが、中には何かの肉や野菜やらが大量に入っていた。
「でも美味ェんだよなこれ」
急いでこそいるが、男は決して零さないよう丁寧に食べている。
すると、一足先に食べ終えたらしい白髪の天使が近づいてきた。
「食べるの手伝う」
「あ? いらねェよ。んなの」
男はそれを拒否しようとしたが、天使はむっとした顔で近づいてきた。
「だめ。食べないと倒れる」
そして、天使は男の器とスプーンをひったくった。
「あ? なにすん……っむぐ」
そして、事もあろうにスプーンで掬った具を口に突っ込んだのである。
もし、ここに彼を知っている人物が居たら震えが止まらなかっただろう。
見ての通り、男は短気だ。流石に相手が女子供だと……と思われるが、そんな事ない。ブチギレる。手は出さないが。
「んぐっ、てめぇ、なにしやがる!」
「……人間はご飯食べないと死ぬ。……やっぱり人間じゃない?」
「人間だわボケ! んぐっ」
「怒鳴らなくても聞こえる」
その時。男の中で何かがぶちんとちぎれた。
「テメェ! 調子に乗ってんじゃねえぞ!」
「……なに? やるの? 折角食べさせてあげたのに」
「ありがた迷惑ってやつだこのヤロウ」
「野郎じゃなくて女の子。美少女」
「うるせえ!」
男は棍棒を手に持ち、立ち上がる。対して天使は男を見て口角を上げた。
「ぶっ殺す」「次は負けない」
瞬間、天使と男の体の輪郭がブレ、残像を残して消えた。
「――ッシャオラァ!」
「――ふっ」
天使の蹴りを男は腕で受け止めると、爆撃が落ちたような轟音が生じる。決して肉体のぶつかり合う音ではない。
「……やっぱり人間じゃない」
「ハッ、ありがとよ!」
「褒めてない」
拳が交わり、肉体がぶつかり合う度に衝撃が洞窟を揺らす。常人ならばそこに立ち続ける事は出来ないだろう。
二人は追われている身である。そんな中でこれだけ音を立て続けているのだ。
「……あ? 誰だ? こんな所で何やって」
不幸な事に、そこに一人の鬼が入り込んでしまった。そして……更に不幸なことに。その鬼が出てきた洞穴は二人が戦っていた中心になっていた。
「あァ? ぶっ殺すぞ!」
「……邪魔」
「ぶべらっ!」
男の拳が鬼の面を陥没させ、天使の蹴りが後頭部を抉りとった。
不幸な鬼はあっさりと死んだ。それに対する二人の反応も無く、何事も無かったかのように戦闘を再開しようとした。
……が、二人とも急に得物を下げた。片方は残念そうに。もう片方はイラつきを全面に押し出して。
「……チッ」
「……良いところだったのに」
そう言って、二人とも忌々しげに同じ方向を見やった。
そこから微かに聞こえるのは、怒号と無数の足音。
「……ん、行くよ」
そう言って、天使は手を差し出した。
◆◆◆
「っんで、こンな事してんだよ!」
「ご飯……食べないと死ぬ」
「だから今じゃなくても良いダロぐむっ……」
男は片手で天使にぶら下がっていた。それを天使は満足気に見て、片手で持っていたスープをすくい、男の口に突っ込んだ。
「あっっつ! なんでこんな熱いんだよ!」
「天使の機能」
「俗すぎんだろ! 確実に要らねェだろうが! その機能!」
「暴れないで、落ちる。あと食べさせれない」
「だああああああああ!」
この光景をシルヴィが見ればどう思っただろうか。少なくとも、嫉妬に苦しみながら天使を敵対視するに違いない。
そんなこんなでスープを食べ終わり、元の場所からかなり離れた所まで飛んだ。
その時である。
「……見えた」
「クソッ……やっとかよ」
遥か遠く。豆粒ほどにしか見えないが、二人にはそれがなんなのか理解していた。
「村?」
「村落って感じじゃねーな。発展してやがる」
二人の認識は、町寄りの村といったところだ。家は木製のように見えるが、大きい建物も存在していた。
「分かってんな?」
「ん、もうちょっと近づいたら下りる」
数分ほど飛んだ。後に、天使はゆっくりと高度を下げ始めた。地上との距離がおよそ十メートルになった時、男は手を離した。
トン
耳をすまさなければ聞こえないような、静かな着地であった。
「……人間?」
「ああ? こんなん義務教育のうちだろ」
その言葉を聞いて天使は呆れたような視線を向けた。
「……種『人間』の情報を再確認……整合性不一致。やっぱり人間ではありません」
「目の前にいンのが現実だ。認めろ」
砂埃一つ巻き上げることなく着地した天使は男の肩を叩き、座るよう促した。
「ンだよ」
「もう朝ごはんの時間」
「さっき食っただろうが!」
男がそう怒鳴っても、天使はきょとんとした顔で男を見ていた。……そして、何も言わずにご飯の準備を始めた。
「……ああ、クソ。食ったらすぐ行くからな!」
その後、また天使が男に食べさせようとして一悶着あったのだが、ここでは割愛する。
◆◆◆
「それで、この先どうするのか話したい」
「あァ? どうするッてあの町から食料と情報を奪うに決まってんだろ」
「方法は?」
「テメェなら気配消して中に入る事も出来んだろ。それか、外から情報を集めてから入るか? 時間がかかりそうだからやりたくはねぇけどな」
男の言葉に天使はどこか驚いたような表情を見せた。男はそれを訝しげに見た。
「ンだよ」
「……脳筋の戦闘狂だと思ってたから」
「あァ!? ぶち殺すぞ!」
男が血管をはち切れんばかりに声を上げるが、天使はそれをみてくすりと笑う。
「冗談は置いておく。情報が足りないのは確か。だからさっき言ってたように私が情報収集をする。ここに仮拠点を作って」
「待て。ンな事したらすぐあのクソ化け物達に追いつかれるだろうが」
「そこは任せて。これでも三大国が開発した人造人間だから」
そう言って、天使は不敵に笑った。
……まるで、誰かを意識するように。
◆◆◆
天使は男が穴を掘っている間、空を見上げていた。それには理由がある。というか、ただサボっていたのなら男が怒鳴り込みに来ただろう。
「空気の中に含まれている元素に不可解な物質を発見。これは私の脳にインプットされていません」
天使は呼吸すると共に入ってきた『原子』の解析をする。
「……人体に影響はありません。しかし、ここ。――推定【地獄】特有の物である事は明らかです」
天使は一度目を瞑り、情報の精査をする。
「種族名【鬼(仮)】らはこれを頼りに私達を追跡していると推測。妨害を行います」
天使はそう言って虚空からとある物を取り出した。ペットボトルのような形と大きさをしているが、その材質は金属製だ。
天使はその物質を暫く弄んでいたかと思うと、そのペットボトルのようなものを放り投げた。
ポン、とコミカルな音と共に煙が生じる。それが晴れるのを天使は見届けた。
「……成功」
そこには、天使と男が立っていた。
……いや、その体はどこか青白く、人間味がない。死体や幽鬼のようにも見える。
「このまま西南方向に進め。出来るだけ遠くまで。何と出会っても闘うな。逃げろ」
天使が平坦な声でそう言うと、偽天使と偽男がこくりと頷いて走り出した。その速度は天使や男の動きに劣る。しかし、仕方ないと天使はため息を吐いた。
「ンだよ、アレ」
「……見てたの?」
すると、背後からそう声をかけられた。振り向くと、手を泥まみれにした男が立っていた。
「あれは【泥人形】細かいことは理解できないと思うから簡単に言う。私達を模した動く人形」
「……それが妨害になンのか?」
「なる。でも、これだけじゃ足りない」
また天使が虚空へと手を伸ばし、四角い箱のような物を取り出した。
「なんだそりゃ」
「簡単に言えば、一定範囲に空気を送り込んで人が住める環境にするもの……なんだけど、これをちょっと弄る」
そう言うや否や、天使は箱を開けて中身を弄り始めた。中身は精密機械のようで、その辺に疎い男はただじっと見ていた。
「……完成」
「 随分はえーなオイ」
天使は箱を閉じ、その底部に取り付けられていたスイッチを押した。
……しかし、何も起きない。
「あ? 壊れてんじゃねえか?」
「……ん、大丈夫。これでいい」
天使はその箱を持って穴の中に入った。それに男も続く。
「この空気の中に私の知らない物質が混じってた。恐らく、相手は気体の濃度から私達を補足してるはず。これは元々空気を生み出す機械だったんだけど、弄って周りの空気の濃度を一定にするものにした」
「ンな簡単に変えられんのかよ」
「……割と大変だった」
洞穴の中はかなり広い空洞になっていた。天使はその中心に箱を置いた。
「それじゃ、ご飯にする」
「またかよ!」
実の所、正しいのは天使である。最新鋭の技術で作られた彼女は、人と同じ時間に、同じ回数エネルギー補給をしなければならないのだ。対して男は、生きていた時も食に関しても無頓着だったため、よくシルヴィ達に怒られていた過去がある。
◆◆◆
そうしてご飯を食べ終えた二人は、真面目な顔で向かい合った。
「さて、具体的な方針を決めるぞ。テメェの意見は?」
「ん、私は耳が良いからあの村……町? の内情をを探れる。……二日……早くて一日あれば中に入る事は可能」
「へェ……強く出やがったな」
「元々諜報員としても重宝されてたから」
ドヤ顔でそう伝える天使を男は無視して、顎に手を当てて思案する。
「……よし、それでいくか。その後はカチコミに行くぞ」
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