地獄の沙汰も腕次第

皐月陽龍 「氷姫」電撃文庫 5月発売!

第1話 終わり

 体から血がドクドクと流れ出す。この感覚が非常に愛おしくて――堪らない。


 体が血を、酸素を欲する。本来なら冷たくなっていくはずの体が熱く昂っていく。


「ハハッ」


 右手の得物が振るわれる度に命が奪われる感触も堪らない。


『死』が隣に居ることが『生』の実感になる。


 タン、タン、と軽い破裂音がするのと同時に得物を振るわせ、死の階段へと踏み出した足を滑らせる。


「あァ、サイッコウじゃねェかよ」


 左手で腰から新しい得物を取り出し、引き金を引いた。


 鈍い音と共に遠くの人影が倒れる。

 真っ暗な闇がマズルフラッシュにより何度も何度も点滅し、どす黒い液体と肉塊が映し出された。



 その時。ザクザクと大勢の人が砂利を踏みしめる音が男の耳に入った。



「お前は包囲されている。今すぐ投降しなさい」

「ああ?」


 気がつけば、辺りは光によって照らされていた。


「今すぐその手を離し、手を頭の後ろに持っていきなさい」


「はっ!」


 青い制服を見に包んだ男がそういうも、男に一笑された。


 そして。男の手が動いた。


「う、撃て!」


 ダダダと耳が潰れそうなほどの重音が響く。



「あーあ、なってねえな」


 上から、その声が轟いた。



 瞬間、雷でも落ちたのかと思うほどの轟音。


「数撃ちゃ当たるッてもンじゃねェよ」


「ぐっ!」

 警察官は思わず耳を抑えた。


「ほら、最初はテメェだ」


 くぐもったその言葉が、警察官が最後に耳にした言葉であった。




「ふぃー。殺った殺った」


 噎せ返るような異臭を満足気に吸い込み、男は笑顔を浮かべた。


「アンタねぇ……暗殺って知ってんの?」


 鈴の様に柔らかな女性の声が響く。すると、男は面倒くさそうに頭をボリボリと掻きはじめた。


「あ? うっせぇな。依頼はやってんだろうが」


「はぁ……それだから指名手配なんてされるのよ。ま、私も人の事は言えないけど。アンタも顔は良いんだから、ハニトラやんなさいよ。ハニトラ」

「やるわけねえだろ。そんなんじゃ俺の欲は満たされねえっつの」


 はぁ、と二度目の溜息が男の耳に入る。しかし、男は素知らぬ顔をする。


「いいからお風呂行くわよ。相当酷い臭いよ、アンタ」

「ああ? っるせえな。殺した余韻ぐらい浸らせろよ」


「もー! 応援がくるじゃないの! いいから行くわよ!」


 男の手が白魚の様な手に捕まれ、強引に連れていかれた。


◆◆◆


「あ゛ー。サッパリした」

「アンタねぇ……もう良いわよ」


 ホテルの一室で、男はバスローブ一枚で牛乳を片手にベッドへと座っていた。


 体に刻み込まれた無数の傷は男の戦歴を語っており、至る所に生傷が残っている。


「んな素っ裸でてめぇは寒くねえのか?」

「いい加減名前で呼んでよ! 私にはシルヴィって名前があるんですけど!」


 そう憤慨したのは、金糸の様な鮮やかなブロンドの髪をツインテールにした少女だ。男の言う通り、豊満な肉体を惜しげも無く晒している。大人の女性らしさを醸し出しているが、歳は十八程だ。


「おーおー、怖い怖い。あんま怒るとシワ増えるぞ? シル」

「余計なお世話よ! それと、勝手に略さないでよね!」


 ぷんすこと擬音が鳴りそうなほど頬を膨らませて。シルと呼ばれた少女は怒った。


「ンな事より、さっさと服着ないと風邪引くぞ。先に言っとくが、俺にゃあ性欲はねえからな。ハニトラが最近ねえからって無意味なことすんな」


「人を性欲モンスターみたいに言わないで! そもそも私の体はまだ清いままだっての! ハニトラって言ってもそういう事される前に殺すに決まってるじゃない!」


 喧しいと耳を手で押しつぶす男は、血の様に真っ赤な髪を短く切りそろえている。実は切りそろえたのはシルヴィだったりもする。


 そんな彼であったが。シルヴィの最後の言葉を聞いて眉をひくつかせた。


「は? お前房中術習ったって言ってなかったか?」

「そ、それは……まだ使う機会がないってだけよ!」


 頬を赤く染めて少女は目を泳がせる。実の所、彼女の師匠からは『大切な人を骨抜きにするために』習ったのだが、男はそんな事は知らない。


「まあどうでもいいか」

「どうでもいいって何よ!」


 そうしたやり取りを続けていくうちに、次第に男の口からは欠伸が漏れ出てきた。


「そンじゃ、俺は寝る。てめェは外で寝ろ」

「鬼畜! 女の子相手にそれは無いじゃない!」

「ああもううるせえな。俺は眠いんだ」


 そうやって男が寝転がると、シルヴィはムスッとした顔で出ていこうとした。


「ああ、やっぱ前言撤回だ。一緒に寝ろ」

「なんなのよ! もう!」

 一悶着こそあったが、シルヴィは五分後には男の横に寝転がっていた。



「布団が狭いだろ。もっと近寄れ」

「ううううるさいわね! 分かったわよ!」


 男の言葉に生娘の様な反応をする。実際生娘なのだから当然だ。裸にバスローブ一枚で男性の隣に寝転がれば当然緊張するだろう。


 ……相手が意中の相手なら特に。


 高鳴る心臓を鎮めながら、シルヴィは(これって役得なのでは?)と考え始めて抱きつくように男の体に腕を回した。


「誰も抱きつけとは「うるさい」チッ」


 その言葉を聞いて男は黙ってしまう。普段なら軽口の一つでも叩くのだが、今回だけは言われた通り黙っていた。



 一分……そして、二分の静寂が過ぎる。


 既に男の意識は無く、シルヴィも信頼している男の傍に居ることもあり、段々と微睡み始めた。


 意識が混濁するシルヴィは視界の端で何かが動くのが見えたが、どうせ夢だろうと意識を手放した。





 その瞬間、視界が爆ぜた。



「……ぁえ!」

 体が抱かれ、シルヴィは強い浮遊感をおぼえた。



「……失敗。次の作戦へと移行します」


 冷たい、思わず震えてしまう機械のような少女の声。


 そこには。白髪を背中まで伸ばした……十数歳程の少女の姿があった。


 シルヴィは、その少女を見た瞬間に肌が泡立つのを感じた。


「……【天使】」

「ああ? ンだそりゃ」

「定例会議でボスが言ってたでしょ……三カ国の先進国が手を組んで開発した、殺し屋を狙う人造人間」


 ゆらり、と少女が立ち上がる。シルヴィは咄嗟に男の手を掴んで駆け出そうとした。


 しかし、男は動かなかった。それどころか、シルヴィの手を引き寄せた。


「こいつァ俺でも手に負えねぇかもしれねェ。死にたくねェなら俺の後ろにいろ」


 その時、シルヴィは見てしまった。男の顔を。



 飢えた獣が獲物を見つけた時のような、獰猛な笑み。

 シルヴィは、少女に見たのと同じような恐怖を感じて。一歩後退した。


「んじゃ、るか」

「殲滅を開始します」


 その言葉と同時に二人の姿が掻き消えた。



「はっ」


 次いで、耳を塞ぎたくなるような轟音。実際、それは腕とナイフがぶつかり合う音なのだが、ミサイルでも落ちたかと思うほどの衝撃がシルヴィへと襲いかかった。


「ハハッ、サイッコウだなァ! テメェ、一個軍隊と闘りあった以上の緊張感がありやがる」

「……私は世界に対する抑止力として開発されました。たかが軍隊などと比べないでください」


 そんな言葉を交わしながらも繰り広げられるのは、世界最高峰の闘い。


 格闘技のワールドカップなどのような縛られたものではなく、ルール無用の殺し合いだ。



 互いが当然のように銃弾を避け、ナイフを避け、拳を避ける。


「強ェ……強ェなァ! 愉しくなってきやがったァ!」

 男は少女の拳を捕まえて投げる。しかし、当然のように少女は壁に着地した。


「……理解不能。モードを【対人】から『『対動物』に移行します」


 少女がそう言った瞬間、雰囲気が変わった。


 獲物を殺す狩猟者の如く、冷たく静かな眼。しかし、殺意は消え去ったようにシルヴィの目には写った。


「動物、か。良いじゃねえか。俺にピッタリだ」


 男は目を吊らせながら男は歯を鳴らして嗤う。すると、少女はどこからか銃を取り出し、発砲した。


「あァ? はえェな、オイ」

 拳銃ほどの大きさから、対物ライフルを超える速さの弾が射出される。


 しかし、男はそれをナイフで切り落とした。


「……理解不能。本当に貴方は人間ですか?」

「人間でもねェアンドロイドには言われたくねぇなぁ」


 たん、たんと静かな発砲と共に音速を軽々と超える速さの弾が連続で射出される。


「弾幕を貼れるようになって出直してきやがれ!」


 しかし、それも通用しないと考えた少女は銃をしまった。


「……失敗。次の作戦に移行します」


「へぇ。次は一体どんな……ッ!」


 少女が視線を向けた先。




 そこにはシルヴィが居た。


「……え?」


「対象を暗殺者【知の花:シルヴィ】に設定。殲滅します」


 そして、少女が次に取り出したのは小型のガトリングガン。


 M134。


 またの名を、『ミニガン』


 持ち運びがしやすいように軽量化を施された。――しかし、性能は全く落ちていない。寧ろ強化をされている。


「チッ」


 男は銃とナイフを投げ捨て、壁に立てかけていたライオットシールドを取った。


 ――背中を向けるのは悪手だ。他にコイツの仲間が居ない訳がねェ。


 男は一度ふうと息を吐いて。熱を持っていた頭を冷やし、思考を整理する。


「そんなもンで俺とシルを殺すだなんて百年早ェんだよ!」


 耳を塞ぎたくなる音と共に、最大で秒間百発以上もの弾が押し寄せてくる。


 ミニガンは痛みを感じる前に死ぬという意味を持つことから、無痛ガンとも呼ばれる代物だ。


 たかが一人の人間に使うには明らかにオーバーキルとも言える。




 しかし、男は『たかが一人の人間』とはとても思えない程の強さを誇っていた。


「うおおおおおおおォォォォォ!」


 盾にものすごい衝撃が走る。常人ならば簡単に体を潰されていただろう。そもそも、普通の盾ならば簡単に貫かれていた。


 しかし、この男も――盾も特別であった。


「ぐっ……ぅうがああああああああああ」


 弾幕を全力で押しのけようとするも、盾が凹みはじめる。男は銃弾を当たる箇所を調節するが、やがて限界を迎えた。


 穴が空いた。


 いくつもの弾が体を抉る。しかし、それと同時に男は穴の周辺をすぐに動かして急所を外した。


 そんな時間がどれだけ続いただろうか。部屋は煙でもうもうと立ち込め、人影すら見当たらない。



 しかし、少女はさすがに死んだと考えたのだろう。


「目標の排除を確認します。【Air風よ】」


 少女が呟くと同時に突風が巻き起こった。煙が窓から飛び出していく。



「おーおー。いい風だぜ、全くよぉ」


 ガシャンと音を立てて蜂の巣となった盾が崩れた。


 そして――そこには。




 体中を血濡れにした男が立ち尽くしていた。盾の位置を調節して、どうにか致命傷となる心臓や頭を防いだのだ。


 それでも、致死量をはるかに超える血の量を流しているのは確かだが。



「作戦は成功」

「あぁ? 俺もシルも生きて――」


 ひゅん、と風を切る音が聞こえた。そして、ぐさりと男の胸にそれが刺さる。


「ガッ……」

「――!」


 シルヴィは男の名前を叫び、駆け寄った。しかし、既に男の耳は使い物にならなくなっていた。


「それは僅か0.1gで象を死に至らせる薬を10g以上使った、特別な弾です。どんな化け物であろうと死は逃れられません」

「――!!」


 少女は何度も男の名前を呼ぶが、男には聞こえない。意識を天使に向けており、ほとんど読唇術で少女の言葉を読み取っていたのだ。


「ハハッ! イイネェ! 俺をここまで追い詰めたのはテメェが初めてだ。毒だか何だか知らねェが、テメェだけは絶対に道連れにしてやるよ」


 その瞳の奥に燃え広がっていた炎は消える気配がない。

 それどころか、男の笑みはより深くなった。


「シル。俺の背中に捕まっとけ。コイツを殺して包囲を突破する」


 そう言って男はシルヴィを掴み、背中に載せた。


 シルヴィは何事かを口にしたが、男の耳には何も入らない。


「最後のあがき、ですか」

「テメェに一つだけ教えてやるよ」


 そう言って男は踏み込んだ。





「手負いの獣が一番おっかねぇんだよ」




 男の姿が掻き消えた。最先端技術を持ってして産まれた人造人間であっても、感知出来ないほどのスピード。


 男は死の淵に近づくほどにタガが外れ、人外の力を手にする。ピンチに追い込めば追い込むほどに、その力を発揮する。


 故に、男は組織から――そして、世界各国からはこう呼ばれていた。



【起死回生】



 と。



 次の瞬間、男は少女の喉元を食い破っていた。


「ぺっ! 硬ぇな」


 少女はそれに反応して蹴りを喰らわせようとするが。男は少女が反応するよりも早く、頭と心臓を潰した。


 天使は各国が協力して作った人造人間と言われる。しかし、当然弱点があった。



 それは、人としての知能を授けるためにAIを搭載したこと。実際、彼女のコアである頭と心臓を潰されれば『死ぬ』と、シルヴィは組織から伝えられていた。彼はその事を知らなかったが……殺し屋の本能として、分かっていたのだ。


 しかし当然、それらは対策され。頭と胸の装甲は銃や爆弾で壊れないほど硬い……はずだった。



「俺ァ自分が死にかけるほどブレーキが効かなくなんだよ。地獄で待ってろ」


 既に潰れた足を窓にかけた。すると、無数のライトが当てられた。


「おォおォ。やっぱ居るねェ。シル、振り落とされんなよ」


 そこには、無数に浮かぶ少女の姿があった。その背中には真っ白な翼が生えている。




 一瞬だけ――本当に一瞬だけ、男の中に闘りあいたい気持ちが芽生えたが、シルヴィまで巻き込む訳にはいかないと自制する。



「一個体【天使:プロトタイプ】の破損を確認。標的の殲滅を開始します」

 そう言って少女達は小銃を取り出した。


「ンなもんに当たるかよ!」


 窓を蹴って男は十五階の高さから飛び降りる。甲高い悲鳴が骨を通して聞こえるが聞こえないふりをした。


 男はぶつかる直前、手に仕込んでいたアンカーを射出し、壁に引っ掛けて勢いを殺す。そのままほかの建物の天井へと着地した。天井を伝い、路地裏に落ち、それでも走り続けた。



 致死量を遥かに超える血液を流し、毒にやられ、内蔵が傷つきボロボロになっても。全身の感覚が喪失しつつある中、男は走り続けた。


 たとえ、シルヴィが涙を流しながら背中を叩いて止めようとしても。男は止まらない。降りようとすれば腕を掴まれる。


 シルヴィを守るために、男は一夜走り続けた。



 ――そして、約五十キロ離れた副本部に辿り着いた時にやっと、男は力尽きた。


◆◆◆


「ああ、くそ、寝みィ」

 男は気を抜けばそのまま死にかねない状況の中、根性だけでそれを耐えていた。


「待ってて、今医者を……」

「オイ待てコラ」


 シルヴィは副本部に走り出そうとしたが、男は足首を掴んで止めた。


「ああ、クソ。俺はもう助からねェ。そんぐらい自分で分かる」

「で、でも!」

「最期ぐらい看取ってくれ、シルヴィ」



 その言葉を聞いて、シルヴィは少しの間逡巡した後に――腰を下ろした。そして、男の頭を自身の膝に乗せる。


「言いたいことは死ぬほどあるが、まず最初だ。ボスにあのバカみてぇに強ぇ奴のことを伝えろ。ボスなら一人や二人ぐれぇならどうにかできるかもしれねェが、あのレベルが三人以上居るとしたら無理だ」

 男は既に働かなくなりつつある頭を必死に動かす。


「分かった」

 シルヴィは、涙を堪えながらそう言った。


「あぁ……くそ…………次に、てめェ……シルの事だ。ボスに言って俺の金庫を開けろ。そうすりゃ分かる」


 気を抜けば意識を持っていかれる。瞼をこじ開けて、男は話し続けた。


「……うん、分かっ……たよ」



「…………シル達に遺書は残したが、最期にシルに伝えねぇといけねえな」


 シルヴィは既に限界を迎えていた。それでも、涙を零しながら、男の話に耳を傾けた。


「俺は闘うことが一番好きだ。命の賭け合う殺り取りがな。だが、その次にシルといる時間が楽しかった。ありがとな」


 いつもの粗暴な声ではない。父が子に話しかけるような、優しい声。


「私は……私は、アンタの事がずっと好きだったわよ」


 酷く掠れた、涙混じりの声。シルヴィは酷く憔悴していたが、それでも男から目を話さなかった。


「……そうか」

 聞こえていたのかいないのか、男はゆっくりと目を瞑った。


「あぁ、クソ。折角これから面白……く、なりそう…………だったんだが……な…………」



 そして、男は死んだ。実に淡白に。

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