ノイズ・コンツェルト
一塚 保
∵混沌調律∴
この世はうるさすぎて敵わない。僕はその中でも、聴覚過敏と言われる耳で、騒音を全てキャッチして、必要な音と余計な音を分けられないタイプの人間だった。風の音、車の音、信号の音、広告の音。店に入ればいらっしゃいませの声……音楽が流れ、機械の操作音がいたる所から聞こえてくる。
ザワザワザワザワザワザワ……
ぱっぽーぱっぽープープープー……
パパパーパッパーヴヴー……
たたたたた、たたんたたん……
ノイズキャンセリング機能のヘッドフォンを付けなくては日常生活もできない。父さん、母さんの声が耳に痛くて、小さい頃はずっと泣いていた。泣いていたなんてもんじゃない。自分の泣き声で体調を崩し、気絶してしまう程に迷惑な子どもだった。当然、学校だってまともに通えない。将来だって真っ暗。そんな、社会不適合者だった。
――そう、昨日までは。
僕は目を閉じ、耳が捉える全ての音たちを”見る”。
そして、風の色を”指先でそっと押さえた”。
――風の音が消えた。
続いて、店から聞こえるうるさい声、けたたましい広告の音を消す。
残ったのはリズム、ベース、メロディーライン。
タン、タン、タン、タン、
人々の足音をリズムにして、
ヴーーーーーー
車の走る音をベースラインに据える。
ぱっぽーぱっぽー
信号の音をメロディーに、聞きやすい音楽へと変えることができた。
余計な”ノイズ”を消去して、世に溢れる音を調律する。
僕ができるようになった、余計な音を止めるミュートの力。
『混沌調律』
騒音に溢れた道路は嫌いな場所の一つだったが、静かに選ばれた音で構成された一曲を聴く、あの至福の時間のように、道路の騒音から不要な音をミュートすることで、一つの楽曲ができあがったようだった。
”公共曲 D-060番”とでも呼ぼう。
タイトルが決まったところで、右肩の上に重い何かが乗った。渋く、低く、おっさんを煮詰めたような声で喋りかけられた。
「なかなか上手いじゃないか」
妖精のような毛玉。それが僕の肩に乗っている。まるで日曜朝の子ども番組に出てくるような、そんな妖精だった。僕はその毛玉に声を掛けた。
「ミュート、君には感謝しているよ」
妖精の名前はミュート。任意の音をシャットダウンする妖精。僕に分けてくれた力、そのものの名前だ。
「タクト、お前才能あるぜ」
そして僕の名前はユスリタクト。この世界の調和を作り出す存在だ。
*********
遡ること23時間前。発端は、月に一度の定期健診で、いつもの精神科を受診した時のこと。”ノイズ”と言う悪魔に襲われ、”ミュート”を顕現させたのがきっかけだ。
”ノイズ”は、世の中に存在する雑音そのものであり、雑音を認識した人間の意識に滑り込んで侵蝕している存在だ。頭がぼうっとしたり、集中力が切れるのは僕以外の誰にでもあることだろう? それは大体”ノイズ”のせいで、普通の人には認識されないらしい。さながら、伝染病のような存在だった。
とは言え、”ミュート”も悪魔だ。僕の周りにノイズが大量発生することに気づき、ただの聴覚過敏ではなく、”ノイズを見る”ことができる可能性に気付き、能力を開花させてくれたのだと言う。それは結局、”ミュート”が”ノイズ”を食らう悪魔だからだったのだが……ご相伴に預かろうとする、こすい悪魔なのだ。
だが、僕はそのおかげで、ノイズに溢れる世界から解放されたのだ。
*********
”公共曲 D-060番”ができた所で、通学路の待ち合わせ場所に、幼馴染のイロハが待っている。驚いた顔でこちらを見ていた。
「タクトくん? ヘッドフォンはどうしたの?」
それもそうだ。いきなりヘッドフォンを付けずに、涼しい顔で歩いてきたのだ。重度の聴覚障害に悩まされている僕に、ずっと付き添ってくれていたのは、イロハだけだった。
「実はね……神様が突然直してくれてさ」
いきなりノイズとミュートについて説明してもわかってもらうのは難しいだろう。僕だって、昨日の今日ですべて理解しているとも言いづらい。冗談めいた調子で茶化して答えた。
「え、本当に?! 良かったね~」
しかし、イロハはメガネの奥で、涙ぐむくらい本気で喜んでくれた。そんな調子だから、少しだけバツが悪かった。正直に説明してみても良かったかもしれない。
結果的に、初めてヘッドフォンもなく無事に一日過ごした。
授業を聞き取る為に、先生の声以外をミュートにすることもできた。お昼休みだって、できるだけ静かな場所へと移動することなく、教室の中で過ごすことだってできた。
クラスメイトの喋る音は四方八方から聞こえ、廊下を走っていく足音、怒る声、グラウンドから鳴る騒音も、それぞれを一つずつ聞けば大した騒音では無かった。楽し気に喋る声をメロディーに、躍動感あるみんなの動きをリズムに、マーチのような音楽だった。
学校とはこんなにも楽しい場所だと、初めて気持ちよく一日を過ごした。
*********
下校の時間になる。
「良い日だった!」
これで僕も人並みに過ごすことができると思うと、それだけで気持ちが違っていた。
「良かったね、タクトくん……」
ところが、一緒に帰るイロハの様子が、少し違う様子だった。
「どうしたんだい? イロハ」
「え、ううん。何でもないよ? どうしたの急に」
「いや、しかし……」
イロハからは、ミュートしていないのにミュートしているような、そんな様子が感じられた。それ以上イロハは特に話す様子もなく、僕は首を傾げながら横を歩く。
「力の代償だな」
そこに、ミュートが声を掛けてくる。ちなみに、イロハにはミュートが見えないようだ。
「力の代償って?」
「お前さんは俺様を通して”ノイズ”が見えるようになった。だからこそ、ノイズを抱えながら隠している人間の暗部に気づけるようになってしまったんだ」
どうやら、人間はノイズが憑りついていても、抵抗力が残っている限り共存ができてしまうらしい。”ノイズ”とは、実際にただの雑音だけでなく、人間の心の邪念にも影響を与えているらしい。
「と言うことは、イロハは僕に何か隠しているのか?」
「そういうこった。まあ、隠されている以上、俺たちからは何もできないがな」
それだけ言って、ミュートは去ってしまう。
僕は少し悩んでから、イロハにもう一度声を掛けた。
「イロハ、良かったら少し話していかないか?」
「え? ごめんなさい。私帰らないと……」
しかし、イロハは全く取り付く島もなく帰ろうとしていた。
イロハの背中を見送る。
「どうするんだ、相棒」
「あんな顔をして放っておけない。調べるさ」
ミュートの言葉に、心強く返事をするのだった。
こっそりと後ろを付けていくと、イロハは家へ到着する。入るまでにかなりの時間を使って、ためらっている様子だった。イロハは何度か大きく肩を落とし、ため息をついてから家の中に入っていった。少しして、すぐに家の中からとんでもない怒声が聞こえる。野太い男性の声と、甲高い女性の声。そして、小さな女の子の震える声……イロハの声だ。
僕は思い出した。彼女がいつも、傷を負っていたことを。
(「えへへ、私どんくさくて。また転んじゃったよ……」)
その言葉に、僕は疑うこともなく彼女がどんくさくて、ドジっ娘のようなものだと思い込んでいた。それは大きく違ったようだ。
僕はノイズを捉える。怒声、奇声、ここには大量の”ノイズ”が溢れていた。ただでさえ気分が悪くなるその音たちを、僕は捉え、一つずつミュートしていく。
しかし……。
「音をミュートしただけでは、イロハを助けてやれない……」
僕は自分が救われたように、イロハも助けてやりたかった。しかし、僕にとってのミュートは、マイナスからゼロ、聴覚過敏に悩まされていた状態から、ようやく普通になっただけのこと。言葉をミュートしているのは、あくまでも僕の中だけにすぎない。
「くそっ……」
僕がチャイムを鳴らす前にためらうと、再び肩の上から声がかかる。
「タクト、それは違う。お前はまだこれからだ。その手を伸ばして、より強く願うんだ」
ミュートはそう言って、僕にまた寄り添い、初めて力を開花させた時のように力を籠める。すると、僕の中に生じていた感覚にさらなる変化をもたらせた。”ノイズを見る”力が変わり、家の中から溢れてくるノイズ……そのノイズが音だけではなく、悪魔”ノイズ”が生じさせている苛立ちや怒りなどの感情そのものをも見えるようになったのだ。
「これは……もしかして」
「気付いたか。ノイズはその能力で、集中力や、意識を乱れさせていく。人間同士の不和も、ノイズにとってはご馳走だ。お前さんがそれを止めれば。もしかしたら人間同士の不和自体が止まるかもしれない」
ミュートはそう言って、僕の肩を叩いた。
「僕にできるなら……」
僕は勇気をもって、調律していく。
イロハのお父さん、イロハのお母さん、家の外から二人をイメージすることで、ノイズがまとわりついている違和感を感じ取れた。苛立ち、焦り、怒り、感情の高ぶりを、音のゲージを確認するように見ることができた。音量を下げるように、ゆっくりと、感情を一つずつ”ミュート”していく。
家の中が静まり返っていく。だが、すぐに新しい感情が沸き上がってくるのが見える。戸惑い、混乱の感情がノイズに侵蝕され始める。湧き上がる感情が多様になっていく。人の感情は様々な色相をしていて、ビープ音のように、”ノイズ”が聞こえてくるようだった。
根気よく、必要のないノイズをミュートしていく。徐々に慣れてきたのだが、全てのノイズを一律にミュートしてしまうと、新しいノイズが生まれやすいようだ。ミュートの力を調整して、次の感情を生みやすい焦りや怒りを抑え、次の感情を冷静なものに繋げていける、戸惑いや疲れをわずかだけ残させてもらう。すると、感情の振幅が緩やかになってきて、押さえていく感情の数が減っていく。
初めは激しいミニマルテクノのような音楽から、終わりにはヒーリングミュージックのような音楽に変わっていく。人間に備わっている感情の音色の豊かさを感じる。
周囲を見れば、すっかり日が落ちている。帰宅前でまだ日のあったはずなのに暗くなっていた。しばらくすると、家の中にあかりが点り、静かに夜の時間を迎えたようだ。僕はしばらく外から眺めることになるが、再び怒声が聞こえてくることは無かった。
*********
「おはよう!」
翌朝、イロハの表情は明るくなっていた。笑顔の勢いが違った。
「おはよう。イロハ、何かいいことでもあったかい?」
そう僕が聞くと、イロハはゆっくりと話してくれた。いつも喧嘩ばかりだった両親が、急に言葉が詰まったこと。そして、いつもイライラしていた二人が、少しずつ冷静に話しをし始めた様子を伝えてくれた。その笑顔は、いままで見てきたイロハの表情の中では、一番晴れやかな表情だった。
そして、僕はいままで自分の聴覚障害に悩まされ、他の人は全て恵まれていると思い込んでいることにも気づいたのだった。
「自分は苦しいのだから、助けてくれるはず」
そんな風に思っていた自分を恥じる。
それとともに、自分が手に入れた新しい力で、人の助けになることが楽しみでもあった。いままで枷でしかなかった、聴覚過敏が、これから人の心までをも助ける、そんな気持ちに、ワクワクするのであった。
ノイズ・コンツェルト 一塚 保 @itituka_tamotu
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