第44話 償い
「予想以上に早かったですね」
王子と王女、そして複数の兵士とともに現れたアレクセイは余裕の表情を浮かべている。
「それにしても本当に聖女様にご執心のようだ。おかげで簡単に事が進みましたが」
(やっぱり私はノアをおびき寄せるための餌か……)
そんな風に利用されることは嫌だが、そのせいで大切な人が傷つく可能性を実感して胸が苦しくなる。不意に肩に回された手に力が込められて、隣を見上げるとノアベルトはリアを安心させるかのように口角を僅かに上げた。
(ノアは嘘を吐かない。大丈夫だと言ったなら本当にそうなんだ)
そう思うと苦しさが治まり、リアの心は軽くなった。
一方、アレクセイはノアベルトが何も反応を見せないことに不満気な様子だ。
「もういいでしょう。結界の一部と祭具を壊したことで魔力を大量に消費していますし、聖女の加護を得た結界内では十分な力を発揮できないはずです。最期に何か言い残すことはありますか?」
「……結局はその程度か。もういい」
その言葉に兵士たちが動き、アレクセイと王子を中心に半円状に広がった。場が緊張感に包まれ、アレクセイが指示をする前に、ノアベルトが一言告げた。
「控えろ」
そこにいた兵士全員がその場に崩れ落ちる。何が起きたのか分からないが、全員意識を失っているようだ。
「なっ!?」
アレクセイは驚愕に目を見開いて唖然としており、ルカ王子はイブリン王女を背中に庇いつつも蒼白な顔で必死に耐えているようだ。
「何故、魔力が増えているんだ……」
呆然と呟く声は先ほどと打って変わって弱々しくその瞳に怯えの色が見える。そんなアレクセイを見向きもせず、ノアベルトはリアに話しかけた。
「リア、こいつらに何をされたんだ?全部教えてほしい」
優しい口調だが目が笑っていない。
(これは……完全に怒っているな)
どこまで正直に話すべきかリアは少し迷ってしまった。物扱いされたと知ったら怒りのあまり何をするか分からないのだ。リアも自分への扱いに腹を立ててはいたし、同情する気はないがノアベルトは魔王である。国同士の戦争の引き金など話が大きくなってしまうのもまずいだろう。
「あー、ちょっと力を使われたみたい?」
「ほう、強制的に力を奪ったのか」
極限までに冷え切った声にリアは思わず身震いした。怒りの矛先に目を向けるとルカ王子は蒼白を通り越して死人のような土気色の表情で、イブリン王女は恐怖のあまり声を出さずに涙を流しながら震えている。
「せ、聖女としての役目を果たしてもらっただけ――ひっ」
必死に言葉を振り絞ったルカ王子だったが、怒りに満ちた鋭い眼差しを向けられ、口を噤んだ。
「聖女ではなく、私の婚約者だ。エメルド国王には通達済で、王族であるお前が知らなかったとは言わせない」
「か…はっ?!」
ルカ王子とアレクセイが同時に床に崩れ落ち、喉を押さえ苦しげな表情を浮かべて悶え始めた。
「殿下?!しっかりなさってください!!」
イブリン王女は王子に縋りつくが、それに気づく余裕もないようで乱暴に払い除けられている。いくら嫌な相手であっても、呼吸ができず苦しむ姿を見ると流石に良心が咎めた。
「ノア、もう許してあげて」
まるで虫けらでも見るかのように不快そうな表情を浮かべていたノアベルトだが、リアを見ると困ったような顔に変わる。
「許しはしない。だがこれ以上醜悪なものをリアに見せたくはないな」
無造作に腕を振ると、荒い息づかいと咳き込む声が室内に響く。
その時廊下から大勢の足音が聞こえてきて、貴族らしい恰好をした中年の男性たちが入ってきた。
「魔王陛下、大変申し訳ございません!此度の件については、私どもの不徳の致すところで何の言い訳もできませんが、我が王の意思ではございません。どうかそれだけはご理解くださいませ。もちろんこの者らは厳重に処罰いたします!」
先頭にいた男性はノアベルトを見るなり、身を投げ出して必死で許しを請う。
「ニール宰相……何故、魔王などに許しを請う必要が…」
「黙りなさい!あなた方の愚かな行為でどれだけ民を危険に晒したと思っているのですか!」
その剣幕にルカ王子は呆気に取られた顔をしている。
「魔王陛下、私の弟子のしでかした愚行に何と詫びてよいか分かりません。私と弟子の命では足りないでしょうが、どうか贖わせていただきたい」
沈痛な表情で声を震わせている男性は、エメルド国の大魔導士だった。
「お師匠様、俺はただ女神ディアを……」
「まだそんな夢物語を信じていたのか!魔王陛下のおかげで平穏が保たれているというのに、何と情けない……」
幼少の頃アレクセイの才能を見抜き、王子付きの魔導士になるまで育てた大魔導士は己の弟子の愚かさに言葉を失った。
「協定を違え、私から大切な者を奪い、無理を強いた。それだけで償えると思っているのか」
冷ややかな声にリアを除く全員が身体を震わせる。
「滅相もございません!!然るべき賠償はもちろんさせていただきます。何なりとお申し付けください!」
さらに頭を擦り付けて懇願するニール宰相を一瞥して、ノアベルトはリアに尋ねた。
「リア、欲しいものはないか?詫びの品として何でもねだればいい。宝石でも領地でもでも命でも、リアが望めばいくらでも差し出すだろう」
(いや、もらえないよ?)
さらりと物騒な言葉も含まれていたが、規模が大きすぎて断りたいぐらいだ。とはいえ被害者であるリアが何も望まなければ、それは償いを拒否しているようでもある。
欲しいものを考えていると、頭に浮かんだものがあった。
「あの、じゃあ私が身に付けていたドレスや宝石を返してほしいです」
宰相とノアベルトは揃って困惑した表情を浮かべている。
「それは当然の権利だろう。欲しいものがないのか?」
「だってノア……陛下がくれたものですし、他の方からのプレゼントは要らないです」
迂闊な物をねだってトラブルになるのも嫌だし、こういえばノアベルトも気を悪くしないはずだという多少の打算もあったが、その効果は覿面だった。
嬉しそうにリアを抱きしめ髪に口づけを落とすノアベルトからは、険しさが消えて上機嫌な様子を見せる。
「私の婚約者の慈悲に感謝するといい。それらの処分は任せる。だがもし今後同じようなことがあれば――分かるな?」
「「はい」」
宰相と大魔導士は同時に答え、ドレスや宝石を大至急返すよう指示を出した。
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