商人の我輩、タマゴを噴水に入れる。
オロボ46
厄介な出来事を引き起こすのはいつも好奇心だ。だけど、抑えることは出来ぬ。
扉を開いた先にあったものを見て、時が止まった感触に陥る。
その目で見た物に対する、あるいはこれからの自分に対する不安の、恐怖で。
そんな妄想を、扉のノブを握る度に頭で行い、本当に起きないものかと楽しんでいる。
我輩も、先ほどまではそうだった。
我輩がそのログハウスの玄関を開いた先に存在したのは……
首つり死体だ。
女性の長い髪を垂らして、遠心力を頼りにぐるぐると回っている。
その後ろにあったのは、赤い血液だらけのベビーベッド。
足元の倒れたイスが、自ら命を手放す決意を表わしていた。
「あ」
顔を流れる汗と胸を打つ心臓を鼓動を押さえながら、あの首つり死体を眺めて気づいた。
この恐怖は心理的なものではなく、あの死体を見たことによる科学的なものによると。
我輩は手にしているビジネスバッグから、ゴーグルを取り出し、装着した。
そして改めてその死体を見ることで、我輩は心を落ち着かせることができた。
その死体の下半身は……黒い大蛇の尻尾になっていた。
人間のままの姿を保っている上半身と、その首にかけられたロープとともに振り子のように揺れている。
そしてその腹は、大きな穴が空いていた。
彼女……我輩の商談相手だったはずのその死体は、変異体と呼ばれる化け物である。
突然変異症によって、化け物の姿になった元人間。その変異した箇所を普通の人間が見ると、恐怖という感情がわき上がってしまう。これは、変異した箇所を構成する肉体の科学的な反応らしい。
そんな変異体、あるいは変異体と関わりのある人間を対象とした商品を売るのが、我輩の仕事である。
今、装着したこのゴーグルは、変異体を見た時に起きる恐怖を遮断する効果がある。希少な素材を使っているため、この星の全ての人間に普及させるのは絶望的だが。
普段なら相手がどのぐらい変異が進んでいるのかを確認してから、商談に向かうのだが……
今回の相手は、我輩のスマホに住所とただ一文のメッセージを送っただけだった。
“運んでほしいものが、あります”
その一文だけというメッセージに、警戒心が好奇心に屈してしまい、我輩はこのログハウスに訪れてしまった。
「……商談内容は、この遺書に書いてあるのか?」
我輩はイスの近くに投げ出された封筒を手にとって、もう語ることのないであろう変異体の死体に語りかけた。
そして、その封筒を開いてみる……
内容は……報酬と思われる小切手をのぞけば、スマホの依頼文と同じく住所と一文だけ。
“私の一部を、そこに運んでください”
それとともに、死体の方からなにかが落ちる音がした。
宙に浮く死体の足元には、巨大なタマゴが落ちていた。
……タマゴにしては少し平べったい形だが。大きさは500mlのペットボトルといったところか。
この変異体の腹から出てきたということは……今回の商談となる運ぶ物は……
「……代金は、ちゃんといただいた」
封筒の中に一緒に入っていた小切手を首つり変異体に見せると、我輩はそのタマゴを拾ってログハウスの出口へと向かった。
そのタマゴは、大きさよりもはるかに軽かった。
あれから、数日立ったころ、
我輩は、目的地にたどり着くことができた。
空には模様のない満月が浮かんでおり、その下にたたずむ公園は、静かだった。
その公園に入って、設置された街灯よりも目を引く光。
公園の目の前にそびえ立つ……巨大なタワーマンションだ。背を逸らさないと最上階が見えないほどの高さ……部屋を借りるとすれば、家賃だけで何億もかかるだろう。
「まあ、さすらい者には縁のない話か」
公園の中にある、噴水。
これが昼だったら、奇麗な水の流れを眺めることができたのだろう。今は人のこない時間帯なのか、水が止まっているが。
我輩はその噴水の前に立つと、両手の荷物を1度噴水の縁に置く。
先ほどまで右手に持っていたのは普段は商品や旅の荷物を持ち運ぶためのビジネスバッグ。
左手に持っていたのは折りたたみバッグだ。その折りたたみバッグには、巾着袋が頭を出している
その巾着袋から、例のタマゴを取り出した。
このタマゴはあの変異体の体の一部というのだから、おそらくこのタマゴも見た者を恐怖で襲うだろう。この時のために巾着袋、そして荷物が増えたときに用意していた折りたたみバッグを携帯していて、本当によかった。
我輩はそのタマゴを抱えると、
噴水の中に、沈めた。
住所が書かれた手紙の裏に、水の中に入れるよう、指示があったからだ。
「これで、商談は成立……か」
暗闇に向かってそんなことをつぶやきながら、我輩はこれからのことを考えた。
せっかく来たのだから、今日はホテルに泊まるとするか……思ったよりも、報酬に対する今回の商談のコストは少なかったからな。
公園の中を歩いていると、ふと、街灯に照らされるベンチが目に入った。
人がベンチに腰掛け、新聞紙を広げていたからだ。
真夜中だと、いうのに。
遠くから見るだけでもわかる、かっぷくのよさ。
横を通る際、気づかれないように観察してみる……
ハウンチング帽子に黒いスーツ。顔はちょびひげの生えた中年男性といったところか。
ベンチに腰掛け、この時代では珍しい新聞紙を広げているその姿は、どこかオーラを感じさせるものがあった。
「……お兄さん、私に興味があるのかね?」
……少々興味深そうに見すぎてしまったか。
その男性から恵比寿顔を向けられたので、我輩はそっぽを向くことにした。
「まあ、私は有名人だからなあ。他の大量なファンがいる場所ならともかく、いざ1対1の対面になると言葉が出てこなくなるものだ。うんうん」
「……」
この時間帯で絡むとなると、酔っ払いを連想してしまう。
しかし、見たところこの男性の頬は赤く染まっていない。それにしゃべり形もハキハキしている。その冗談も、普段から言っているようだ。
それに、この男性の言っている通り……どこかで見た顔だ。
この男性が酔っ払いではないという、なによりの証拠が……今、彼の目付きとして提示された。
「お兄さん、商人さんかな? それも、訳ありの」
「……!!」
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