世界は愛で満ちている

酒井恵理

第1話

癒しの世界は愛で満ちている。

「……さて、と」

俺は軽く頭を振って気合いを入れ直すと、まずは家の中を回ってチェックしていくことにした。

部屋数は多いものの、どれも作り自体はシンプルな木造住宅なので、これといって時間はかからなかった。

とはいえ、俺が借りる家は二階建てだし、風呂場やトイレも別だからな……。

現代日本で暮らしていた身としては、この世界の文化レベルに慣れるのは苦労するかもしれない。

(まぁ、いいか)

そんなことを考えながら二階の廊下を歩いていると―――不意に、ある一室の中から声をかけられた。

「……お兄ちゃん?」

「えっ?……あ!」

聞き覚えのあるその声にハッとして扉を開けると、そこにはベッドの上で上半身を起こしている少女の姿があった。

「メイリア! もう起き上がって大丈夫なのか!?」

思わず駆け寄った俺を見て、彼女は少し驚いたように目を見開いていたが、すぐに笑顔を浮かべると小さくうなずいた。

「うん……」

「そうか……良かったよ。本当に」

メイリア・ベルクフォード。

五年前に両親が亡くなり、以来ずっと屋敷に引きこもり続けていた彼女だが、今年の春から王立学院に通うことになったのだ。

そして今日は、入学初日ということで、こうして二人で一緒に登校してきたというわけだ。

「それにしても、まさかメイリアが同じクラスになるなんてね。これも女神さまのお導きかな?」

冗談めかして言うと、メイリアはくすぐったそうな顔をしながら、こくりと首を縦に振る。

「そうだといいなって思ってます。わたしだけじゃなくて……あの人たちとも」

「あの人『たち』?」

「いえ……なんでもないです」

何やら含みを持たせた言い方だったが、俺はそれ以上追及することはしなかった。

というのも、彼女の視線が部屋の隅へと向けられていることに気づいたからだ

……そこにいるのだろう、彼女が会いたいと願っている人物が。

「…………」

しかし、その人物はいつまで経っても姿を現さない。

それどころか、こちらへ近づいてくる気配すら感じられなかった。

「……ねぇ、お兄ちゃん。お願いがあるんですけど」

すると、メイリアが何事かを思いついた様子で口を開いた。

「ん? なんだい?」

「これからはわたしのことを名前で呼んでくれませんか? いつまでも『メイリア様』では他人行儀みたいじゃないですか」

君にとってはそっちの方が慣れ親しんだ呼び方なんだろう?」

「はい。でも、だからこそですよ。せっかく新しい一歩を踏み出す最初の日くらいは、『メイリア』と呼んでほしいんです」

そう言って微笑む彼女に、俺は内心苦笑しつつ、「わかったよ、メイリア」と答えた。

すると、メイリアはとても嬉しそうにはにかんでくれたのだが……しかし、結局その後いくら待っても、彼女が待ち望んでいた人物が現れることはなかったのだった。

**

***

それからおよそ一週間後――ついに、王立学院での初めての授業が始まった。

といっても、初日であるこの日はガイダンスみたいなもので、午前中いっぱいを使ってオリエンテーションが行われただけだったんだけどね。

ちなみに授業に関しては、来週から始まることになる。

そして今は昼休みの時間なのだが……。

(さすがに疲れたな……)

俺は教室を出て一人になれる場所を探して歩いていた。

というのも、先ほどからすれ違う生徒たちからの好奇の目線が凄まじかったからである。

無理もない。

この国において、貴族というのは特権階級であり、平民たちは彼らの機嫌を損ねることを恐れているのだ。

だから、基本的に貴族たちとは距離を置くようにしているのだけど……それがいきなり同じクラスの生徒になってしまったものだから、生徒たちの方も戸惑いを隠しきれなかったらしい。

中には露骨に嫌悪感を示す者もいたりして、正直かなり居心地の悪い思いをしたんだよなぁ。……まぁ、それも仕方がない話だと割り切るしかない。

実際、俺だってついこの間までは似たような立場にいたわけだしな。

ただ、そうした状況の中で唯一、話しかけてくれた女子生徒がいた。

それが目の前にいる彼女――リーゼロッテ・フォレスティエだ。

「えっと……どうしたんですか? こんなところで」

「あー……ちょっと一人で考え事をしたいと思って」

そう答えつつ、ちらりと周囲に目をやる。

すると、すぐに俺の意図を悟ったようで、彼女はわずかに眉を寄せながら言った。

「ここなら大丈夫だと思いますよ。ほら、みんな食堂に行ってるでしょうし」

「そうですね……」

確かに彼女の言う通りかもしれない。

そう考えた俺は、近くのベンチに座って弁当箱を広げた。

すると、それを見たリーゼロッテさんが意外そうに目を見開く。

「あれ? もしかしてお料理されるんですか?」

「えぇ、そうですけど……」

「すごい! 私、自分で作ってるんですよ!」

「えっ!? そうだったんですか」

……これは驚いた。

見た目からしてお嬢様な雰囲気だし、普段からメイドさんたちが身の回りのお世話をしているものだとばかり思っていたのだが……。

「実は私の家、両親ともに忙しくてなかなか家に帰ってこられないことが多くて……それで、昔からよく使用人の人に手伝ってもらっていたんですそのせいか、自然と家事全般が得意になってしまって……」

「なるほど……」

そういう事情があったのか。

ということは、貴族の令嬢でありながら一人暮らしに近い環境で育ってきたわけだ。

それは、今までの貴族のイメージからは想像できないような境遇だと思う。

「……」

あ、ごめんなさい。勝手にしゃべっちゃって。……あの、良かったら、少しだけ教えてもらえませんか?」

「教える?」

「はい。もし良ければなんですけど……お友達になっていただけませんか?」

「えっ!?」

あまりに予想外すぎる提案に、思わず驚きの声を上げてしまう。

だが、そんな反応を見て、リーゼロッテさんが慌てて弁解する。

「あっ、もちろん無理にとは言いません! でも、せっかく同年代の子と知り合えたので、できれば仲良くなりたいなって思って……。ダメでしょうか……?」

上目遣いで尋ねてくる彼女の姿に、胸が高鳴った。……かわいい。

「わ、わかりました。じゃあ、俺でよかったら」

「本当ですか? 嬉しい……ありがとうございます」

満面の笑みを浮かべて喜ぶリーゼロッテさんの姿に、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。

こうして、俺たちは友人になった。

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