追慕

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 それは今から4年前の話です。

 

 宗教国家の南部都市、郊外にある小さな町には十四歳になったばかりの少女がいました。

 彼女は勉学や信仰を深めるために自ら修道院へ入ることを望みます。

 修道院というと孤児や貧困の方々が駆け込む場所と思われることがありますが、そうではありません。

 実際には、貴族やそれに準ずる裕福な家庭の若者が多く門をくぐりました。

 というのも、修道院で生活する修道士または修道女になるためには、多額の持参金が必要だったからです。

 そのお金は金額にして、十年はゆうに過ごせるほどだといえば理解していただけるでしょうか。

 では、なぜそれだけのお金を払ってまで修道院に入るのか。

 家庭により事情は様々でありますが、一番の理由は『安全』だからです。

 


 修道院は一般的に高い壁で囲まれた広大な敷地を有し、他者と共同生活をしながら祈りと労働の日々を送る場所です。

 礼拝所はもちろん、寝泊まりする宿舎に仕事の作業場、自給自足の畑や果樹園、病院や墓地まであり、生活全てが院内で完結できるものでした。

 安定した生活が約束されている一方、基本として男女が分けられていて、共に過ごすことはありません。

 わたしが入った先も女子修道院でした。


 修道女になるには一年ほどの体験期間を経て、見習いとして何年も過ごします。

 そして、いくつかの段階を踏まえたのちに、神に貞淑、従順、清貧の3つの誓願せいがんを立てて、ようやく修道生活が認められるのです。



 ともあれ、少女は修道女となってしばらくは静かな生活を送ります。

 共同体コミュニティとして修道院ごとに決まり事があり、その場所では孤独と沈黙が重要視されていました。

 しかし、一定の閉鎖された空間で共同生活を続けていれば、行動を共にする相手が現れるのは当然です。


 少女は歳も近い女の子と友達となり、周囲の目を気にしつつ中庭で談笑を楽しむようになりました。

 日常の何気ない会話から仕事や作業の愚痴、院内での噂話まで色んな事を情報交換したのです。


 ある昼下がりの中庭で女の子が少女へ話します。

 

「今、写本の作業で面白い本を写しているの」


 女の子は教典や文学書などの写本作りを仕事としているようでした。

 畑仕事や裁縫が主な仕事だった少女は興味津々で訊き返します。


「そうなんですか?わたしもぜひ読んでみたいです!」


 すると、女の子は懐から一枚の羊皮紙を取り出しました。

 それはまさに彼女が書き写している本の一部で、丁寧な文字に壮麗な挿絵まで書かれています。

 戦場の前線に立った女騎士が軍旗を持って兵士たちを先導する――そんな様子が描かれた絵を手にして、少女は目を輝かせました。


「わぁ、これは叙事詩でしょうか?女の身でありながら大勢の兵士を指揮し、故郷のために奮闘して英雄となる……憧れますね!」


 少女と女の子は笑いあって話に花を咲かせます。



 その後も二人は一緒にいる時間が増え、やがて少女にある感情が芽生えました。

 

 女の子の見せる微笑み。

 透き通った美しい声。

 柔らかくしとやかな仕草。


 彼女の存在は少女にとって太陽のように眩しかったのです。

 嗚呼、わたしが男性であれば女の子と結ばれることも出来たはず。

 しかし、もはや女同士でも関係ありません。

 この世界の夜空に浮かぶ2つの月みたいに寄り添っていきたい。

 少女は自分の心に燃え上がる情動を抑え切れず、女の子に語りかけます。


「わたし、貴女のことを心から大切だと想っているんです。にいてくれますか?」


 女の子は一瞬の間、首を傾げてからにっこりと微笑みました。


「ええ。こちらこそ、してね」


 その返答に、少女の心は舞い上がります。

 謙虚で簡潔な言葉は女の子の奥ゆかしさと恥ずかしさの表れだと思い込みながら。

 修道院という隔絶された環境の中でも、少女の瞳には薔薇色の楽園に映りました。

 二人の関係は永遠に続くのだと、信じて疑いませんでした。



 

 ――けれども、それは少女の幻想に過ぎなかったのでしょうか。

 ある時、彼女は見てしまったのです。


 修道院の外からやってきた貴族の若い男性と親しげに話をする女の子の姿を。

 女の子は少女が見たこともない照れた表情で男性を見つめているのを。

 あろうことか彼の頬へ口づけまでしてしまう姿を。



 少女は衝撃のあまり、目眩めまいがして足元がふらつきました。

 いえ、これは何かの間違いです。

 あれはただの挨拶代わりであって、深い意味などありません。


 

 数日後、少女は修道院の中庭で女の子といつものように一緒に過ごそうとして、耳を疑う言葉を聞いてしまいます。


「私、修道院を出ることにしたの」


「えっ!何故ですか!?ご両親が病気になられたのですか?また、修道院へ戻ってこられるんですよね!?」


 わずかな期待も虚しく、女の子は首を横に振ります。


「結婚をするんです。愛する方が私のために大金を修道院へ収め、還俗げんぞくすることを院長から認めてもらえたの」

  ※ 聖職者が一般人の暮らしに戻ること

 女の子はどこか幸せそうな表情で想いに馳せて。

 対照的に少女は呆然として、何が起こっているのか理解できない様子でした。

 

「どうして……わたしたちはずっと一緒だと約束したではありませんか!?あの時の誓いは何だったのですか!?」


 自分の知らないところで話が進行し、大事にしていたものを奪い去られていく。

 新たな未来へ羽ばたいていこうとする女の子と、鳥籠とりかごの世界に残される少女。

 

「……ごめんなさい。あなたはだから、最後に挨拶をしたかったの」


 世界がぐらつき、少女は地面に膝をついていました。

 愛しい女の子のいない修道院。

 楽園のように感じていたものは、一瞬にして牢獄へと様変わりして――

 自分の無力と世界の無常さに打ちひしがれながら、女の子の後ろ姿を見送り続けました。

 

 

 嗚呼、神様。何故このような試練をお与えになるのですか。

 わたしが神への祈りをおろそかにして、愛しい人との逢瀬おうせうつつを抜かした罰なのですか。



 いいえ……わたしは諦めません。

 これが神様からの試練ならば立ち向かいましょう。

 困難を恐れず、戦場に立つ女旗手のように運命にあらがいましょう。


 そして、少女はその夜のうちに修道院を脱走しました。



 

 申し遅れましたが、わたしの名はイベリスニール。

 福音派の七位巫女神官を任されています。

 少しばかり思い出話をしてしまいましたね。


 

 その後、少女だったわたしは修道院の外で運命的な巡り合いをします。

 

 赤い目を持つ真っ白な少女との出会い。

 

 大きな家柄の貴族へと嫁いでいった愛しい女の子との再会。


 わたしの神鎧アンヘル、旗持ちの青い騎士『ラストラエール』の発現。

 

 補佐官となって仕えることになる正統派七位巫女神官ラクリマリア様との対面。

 

 それらの話はまた、次にいたしましょう――

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