巡礼の地

    ▱


 宗教国家都市中央部、南東部側の外壁にあたしたちを乗せた蒸気自動車が到着しました。

 ヒツギさんは車から降りると検問所へと歩いていきます。

 後ろからついていくあたしとリエルテンシアさん。

 検問所には兵士の方が駐在していますが、中央部は宗教国家を構成する7つの街でも中立の立場であるため、そこまで厳しい検問はされません。

 兵士の方と話をしたヒツギさんはこちらへ向いて口を開きます。


「ヒルデ、リエル。問題なく通れそうだ。ここからは歩きになってしまうけどな」


 そう言って苦笑する彼に、あたしは答えます。


「いいですよ、ご主人様。久しぶりの中央部ですから、お散歩ついでに街を観光しましょう!」


 隣にはリエルさんもいましたが、あたしはすっかりデート気分です!

 小走りでヒツギさんに近づいて並び立ちます。


「この大きな壁の中が中央部の街……」


 何十メートルもの高さがある堅牢な壁を見上げて呟くリエルさん。

 記憶を失った彼女はここで何かを思い出すのでしょうか?


「中央部の街自体は他のどの地域より範囲が狭い。だが、千年を超える歴史的な街並みに加えて、中心部には宗教国家を象徴する大聖堂がある。そして、その近くには今回の目的地である巫女神官専用の保養施設があるんだ」


 どこか郷愁を感じさせる石畳の通りを歩きながら話をするヒツギさん。

 中央部の街を見渡すと、まず目に入るのは高くそびえ立つ立派な時計塔です。

 五年前、ヒツギさんとあたしはこの中央部の街で大きな戦いに挑みました。

 それは正統派の巫女神官同士の争いであり、『魂の解放の儀』という儀式を巡るものでした。

 詳しく話すと長くなってしまいますが、その際にこの街も少なからず損害が出たんです。もちろん、時計塔も。

 今はもう綺麗に修復されていますけどね。


「ずいぶんと多くの人が大聖堂の方へ進んでいますね。何か催し物があるんですか?」


 コツコツとブーツが石畳を叩く音は楽器の音色のようであり、列をなして歩く人々を眺めるリエルさんは訊いてきます。

 大聖堂へ続く通りには観光客の姿も多く、内部には立ち入れませんが庭園や広場は回れますし、壮大な外観を楽しみにしている様子が見て取れました。


「いえ、特にないですよ。道行く人々は大聖堂へ『巡礼』に訪れたのでしょう。もちろん観光目的の方々もいますけどね」


 あたしはリエルさんを見やりながら続けます。


「そもそも巡礼とは、日常的な生活から一時的に離れ、宗教の聖地や聖域へ参詣することによって、霊的な浄化を求めたり、聖なるものに近づこうとする宗教的行動のことです。特定の地域や文化圏を超えて広域に布教された宗教においては重要な宗教儀礼と言えるでしょう。ちなみに、巡礼の根本には『遠方の聖地に赴く』というところが肝要で、信者たちの居住地に存在する宗教施設へ赴く行為は『巡礼』とは呼びません」


 周囲の人の流れに合わせて歩きながら話を続け、やがて視界に大きな大聖堂がはっきりと見えてきました。

 

「この地へ巡礼をした人々の祈りは『天使をかたどる子なる神』……あたしたち巫女神官の神鎧アンヘルへ捧げられます。そして、神鎧アンヘルは信仰の対価として加護を与え、人々の背負う罪を糧にするのです。リエルさん、ここでいう人々の罪とはなんだか分かりますか?」


 彼女は困惑した表情であたしを見返します。


「い、いえ……わかりません……」


 返答の有無に関わらず話しをしようと思っていましたが、リエルさんは根が真面目ですねぇ。


「人の根幹を司る大罪――傲慢・嫉妬・貪欲・暴食・憤怒・怠惰・情欲の七つ。これらはあらゆる罪の源とされ、同時に神鎧アンヘルの強大な神力の源です。とはいえ、この罪は必ずしも現世の罪と同じではありません。人が神様に与えられた約束を背くことによる罪と人間同士で犯してしまう罪。けれども、それらが同一視されてしまう背景には、本来『救い』を願う気持ちがあるからです。混乱した社会、あるいは排他的な環境の中では己の正しさを求めるあまり、他者を傷つけ罪を犯すことさえも救済への道標みちしるべだと曲解してしまいます。そうして、あるべき意義は都合のよい解釈とともに少しずつ乖離かいりし、新たな形へと変異していくのです」


    Δ


 ヒルドアリアさんは難しい話をちょっとした話題のように語ります。

 小柄な身体に白い装束と朱のスカートという風変わりな衣装と相まって不思議な感覚を覚えていると、今度はヒツギさんが口を挟みます。


「街や技術の発展とともに思想や神学も高度化し、時に原初的な神への祈りを愚鈍で怠惰なものと見なす例もある。カルト的な教団が勢力を拡大した結果、先住民族の自然信仰を排撃してしまうように。単純明快で純粋な祈りを、築き上げた知識や経験が受け入れられなくなって旧教的な信仰を拒絶するんだ」


 ヒツギさんは不意に私を見てから前を向き、続けます。

 

「――『聖なる教』の福音派はおそらく、宗教国家の南西部都市が2度も神鎧アンヘルの暴走によって壊滅したことで深い心的外傷トラウマを負っている。心の傷を信仰で癒やそうとした末に、神鎧アンヘルの暴走は既存の概念に囚われない新たな恩寵おんちょうだと主張した。だが、いっときの心の安寧は自分たちが置かれた状況を明瞭めいりょうにしてしまう。彼らは苦境にあらがって組み立てた教理の正当性を確かなものにするために、力を示そうとしているのかもしれない」

 ※教義(ドグマ)は宗派をまたがって真理とされる もの、教理は宗派内の信徒が共有する事実 

 彼の言葉は慎重に選ばれているのが分かります。

 パフィーリアさんを襲ったのは記憶を失う前の私なのですから。

 そして、なぜか私の頭の中で浮かんだものがありました。


『生きていることが罪なのだ』と。


 それはいつ、どこで聞いたものなのか。

 私の属していた福音派は何を目的として活動しているのか。

 記憶の欠片以外にも取り戻さなくてはならないものは何でしょうか。

 思わず目を閉じて、白い制服風の神官衣装の胸元へ手を当てます。 

 けれど、私の神鎧アンヘルは語りかけてはくれません。

 

 今もまだ、自分の頭の中は白いもやがかかったままで――

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