片鱗

    Δ


 私は、まだ見ぬ明日に何を願っていたのだろう。

 記憶を失った今、自分にできる事は限られていた。


  

 けれど、もともと私自身のこれまでにも、選べる道が少なかったのではないか――とも思う。

 目を閉じて何かを思い出そうとする。

 けれど、頭の中は真っ白な霧に包まれて見通すことはできない。


 ……時折、白く儚い少女の影がぎる。

 少女の赤い瞳を見つめていると不思議な感情が湧き上がって。

 不安や恐怖、哀しみや喜びまでも溶かされるような――心が真っ白に漂白されていくよう。

 

 少女は口を開く。


「リエルテンシア。死せる母から産まれた忌み子。あなたは私と境遇がとても似ています」


 透き通った白い髪の少女はまるで詩を紡ぐように言葉を続ける。


「あなたが福音派の修道院に引き取られ、大人の修道女シスターたちから酷いイジメを受けていたように……私もまた修道院の男たちに凌辱りょうじょくの限りを尽くされました」


 子供ながらにきつい畑仕事をさせられ、休めばむちで打たれた。

 食事もろくに与えられず、寒い冬でも襤褸ぼろい毛布一枚で過ごし、辛くて泣いても助けてくれる大人はいなかった――

 かたや目の前の少女……私と同い年くらいに見える彼女は大人の男性たちからどのような仕打ちを受けたのか、想像すらできない。


「私がアルビノとして生まれなければ……あなたが温かい母から生まれていれば――普通ではない生まれのために魔女の扱いを受け、心と躰に癒えぬ傷痕きずあとを刻まれてしまった」


白い制服に身を包んだ少女の赤い瞳が輝く。

  

「――けれど、私たちは神鎧アンヘルの力を手に入れました。集められた福音派の巫女神官はみな、魔女の烙印を押されし者。その神力が偽物フォニイであろうと信念を貫き通せば、いずれは本物に成り得るはず」


 彼女は手を差し伸べて、微笑む。

 しかしその笑顔は狂気を孕んでいた。


「正統派の神鎧アンヘルは宿主の祈りと人々の信仰心によって神力を振るう。私たち福音派の神鎧アンヘルは宿主の絶望と世界への呪いによって神力を振るう。運命に抗い、己の尊厳を取り戻すために……神に弓引くことさえもおそれてはいけないのです――」 

 

 彼女の姿は白い光に溶け込むように消えていく。

 輪郭が定かではなくなると、まるでクラゲのような淡く儚い……けれど容赦のない劇毒を内包している何かに見えた。

 

 そして、まばゆい光の中でただ、白い少女の赤い瞳の輝きだけが不気味に印象を残していた。 

 

    ♤


 俺は蒸気自動車の運転席でヒルドアリア、リエルテンシアが車に乗りこむのを待っていた。

 これから彼女たちを中央部都市にある巫女神官専用の保養施設へ送りに行くためだ。

 二人が後部座席に座ると、母屋の前にクランフェリアとパフィーリア、それにエリスフィーユも姿を見せる。


「道中、お気をつけて。あなた様」


 クランは車に近づいて、お弁当を手渡してくれる。


「ありがとう、クラン」


 礼を言うと彼女は優しく微笑み、俺の頬に口づけた。


「また後でね、おにいちゃん!」

 

「いってらっしゃーい、ぱぱ!」


 笑顔のパフィーリアと可愛らしく手を振るエリスに手を上げて答え、車をゆっくり動き出させる。

 景色は流れ、南東部の長閑のどかな風景が視界に広がっていく。

 後部座席に座るヒルドアリアとリエルテンシアは静かに風を受けているが、気まずいという雰囲気ではない。

 しばらく蒸気自動車を走らせていると、不意にリエルが口を開く。


「あの……」


「ん?」


 肩越しに彼女へ見やると、まっすぐな目を向けられていた。


「ありがとうございます、ヒツギさん。ヒルドアリアさんも……ご迷惑をかけてしまっているようで……」


 俺は軽く笑いつつ、言葉を返す。


「気にしなくていいさ。俺は大したことをできていないし、君はこれからのことだけを考えるんだ」


 すると、ヒルデも俺の言葉にのってくる。


「そうですよ!今のリエルさんに必要なのは時間です。保養施設に到着したら、あたしの娯楽スペースを案内してあげますね!」


 明るく振る舞うヒルデには正直助かっていた。

 しかし、この時の俺はまだ……これから先に起こる出来事に対して、楽観的に考えすぎていたことを知る由はなかったのだった――

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