天蓋輪廻の幻想曲〜ファンタジア

黒乃羽衣

プロローグ

    ▱


 世界は幻想に満ちていました。


 たとえ最悪の厄災をもたらすとしても、人々がそれをいだくのを止めることはできません。

 畏敬を以て捧げられるべき信仰は、曲解された敷衍ふえんよって歪められ、悪意を孕んだ大義名分の下に正しき信仰をも迫害していきます。

 ※ 意味のわかりにくい所を、やさしく言い変えたり詳しく述べたりして説明すること

 汚染された人々の祈りはどこへ向かうのか……それを知る者が下すは救済か神罰か――


    ☆


 わたしは列車の車窓から流れる風景を眺めていた。

 雲一つない晴れやかな青空。

 高速で後ろへと過ぎ去る景色を漫然と見つめる。



 広大な大陸の中心にある、この国は宗教国家都市。

 それは文字通りに宗教の教義ドグマを中心として、教会が国政を執り行う国家だ。


 国教である『聖なる教』には頂点に立つ者として、教皇と並ぶ七人の巫女神官のシスターが存在していた。

 かくいうわたしも巫女神官の一人であり、序列は五位を冠している。

 


 『聖なる教』については基本的かつ大事なことが二つあった。

 まずは一つ目。

 この宗教は神の実体を一つ、神の位格が三つの三位一体、主と神鎧アンヘルと聖霊を神として信仰することから始まる。

 主とは父なる神、神鎧アンヘルとは天使をかたどる子なる神、聖霊とは守護霊なる神だとされている。


 次に二つ目。

 巫女神官には特別な力があって、『神鎧アンヘル』と呼ばれる子なる神を顕現させることが出来るということ。

 巫女神官は全部で七人。

 当然ながら神鎧アンヘルは七体であり、みなそれぞれ多様な姿形と強大なを備えていた。

 それはまさに街一つ、いや国一つを丸々滅ぼしてしまいかねないほどの、強力な機動兵器だと言えた。



 そんな巫女神官は、宗教国家都市という国の各所に配置されている。

 宗教国家中央部の街にある大聖堂を中心に、七芒星に結んだ各都市で巫女神官専用の聖堂を管理していた。 

 


 挨拶が遅れたけれど、わたしの名前はパフィーリア。

 南西部の街が管轄区域で、今年十六歳を迎えたばかりの五位巫女神官だよ。よろしくね。


 そして、わたしは今、南東部の街へと蒸気列車を利用して向かっている最中だった。

 南東部を管轄している三位巫女神官で六歳年上のクランフェリア、その補佐官であるヒツギおにいちゃんの二人に会いに行くために――


    ♤


 ある休日の事だ。


 俺は早朝に目を覚ますと、ベッドから起き出して大きく伸びをする。

 寝ぼけた頭を振ってから、手早く着替えを済まし部屋の外へと足を運ぶ。

 平日はもちろん、休みの日でもトレーニングは欠かせない。


 ここ南東部の朝は夏でも肌寒く、冷ややかな空気が肌に触れるとわずかに身震いをしてしまう。

 何気なく周囲を見渡すと、母屋の近くに小規模ながら年季のある厳かな聖堂が目に入った。

 俺が仕える三位巫女神官であり、恋人でもあるクランフェリアの管理する聖堂だ。

 母屋と隣り合う聖堂――教会敷地は高い外壁に囲まれ、南東部の民衆と隔離された環境にある。

 それは巫女神官という特別なシスターの立場をより強く感じさせるものだった。



 毎朝の運動メニューを淡々とこなし終えると、そのまま愛用している蒸気自動車の点検を始める。

 南東部の街は農業や牧畜で成り立つ地域で道幅や区画が広く、移動には車が欠かせない。

 とはいえ、蒸気自動車は誰でも所有できるわけではない。

 この国では教会の関係者もしくは教会の運営する公共機関のみに許されていて、一般市民は馬車や馬を利用している。

 

 車の動作の無事を確認すると、不意に背後で人の気配を感じ取った。

 息を整えてからゆっくりと振り向くと、そこには小柄な女性と小さな少女の姿。


「おはようございます、あなた様。お邪魔してしまいましたか?」


 亜麻色の長い髪に紅い瞳、白と濃紺の修道服を纏ったクランは微笑みながら口を開く。

 今年で二十二歳となった彼女は、出会った頃より美しさに磨きがかかっていた。

 傍らにいる少女はそんなクランを五歳まで幼くしたような可憐さを漂わせる。


「……ぱぱ、ご飯の支度ができたよ。一緒に食べよう?」


 俺は駆け寄ってくるその小さな頭を撫でつつ、自然と頬が緩むのを自覚していた。

 少女の名前はエリスフィーユ。

 この子はクランとの間に出来た俺達の娘なのだった。

 

「……わかった。すぐに行くからママと待っていてくれ」


 そうしてクランへと目を向けると、彼女は優しい笑顔で頷きエリスの手を引いていく。


「フィーユ。今日はお客様が来るから、おうちで良い子にしていましょうね?」


 母子揃って母屋へ入っていくのを見守りながら、ふと思い出す。


「――そういえば、パフィーリアが南東部に来るんだったか。九つの鐘が鳴る頃に列車が到着するらしいが……後で迎えに行かないとな」


 俺のことを兄のように慕う無邪気な少女の顔が脳裏に浮かぶ。

 宗教行事以外で他の街に行くことはないので、会うのは半年ぶりくらいか。

 快活で素直なパフィーリアは、エリスの教育にとって良い刺激となるだろう。

 そう呑気なことを、この時はまだ考えていた。


 この日を境に、再び大きな騒動へ巻き込まれていくことも知らずに――

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