第30話 白夜は……
店の前でひとり立ち尽くす。
けれど、寂しかった訳ではない。
この店に不思議な魅力を感じていた。
店名の意味は分かったが、玄関口の青地に金十字が描かれる国旗が何処のものなのか思い出せない。渋谷あたりの家具屋さんで見かけたことはあるのだが……。
日頃からいかんとも勉強していないことが自明の理となり恥ずかしくなる。
店頭の花壇には淡いピンク色のバラが咲き誇っている。暫しすると女性客が扉を開け、同時に珈琲の良い香りが届き、鼻をくすぐられてしまう。
「お待たせして本当にごめんなさい。こちらのお席にどうぞ」
元気なウエルカムで迎えてくれる。
金髪でブルーの瞳の若い女性だ。白い肌をしたすごく綺麗な人でビックリ。けれど、流暢な日本語で食事の説明を聞かされて、さらに驚いてゆく。
「メニューはこちら、じゃがいもとアンチョビのグラタンがお勧めです。あとはミートボールが人気で、いずれにもクレープのようなパンケーキかシナモンロールが付きます。ランチセットなら珈琲がサービスです」
これだけ、早口な説明が続いても、彼女は笑顔を絶やすことがない。しかも、しっかりとした日本語の発音で分かりやすかった。
「じゃあ……。グラタンとシナモンロール、珈琲付でお願いします」
お勧めのまま注文する。店内を見渡すとカウンター席とテーブルが5つあり、思っていたよりもこじんまりとしていた。きっと、20人も入れば満員になってしまうだろう。奥の厨房に調理人がいる様子だが、暖簾がありどんな人かは分からない。
時計を見ると、まもなく午後2時半になるところ。先ほどまで女性客により賑わっていた店内も空いてくる。料理が届く頃には、俺ひとり寂しく取り残されていた。
その時、「ごゆっくりどうぞ」の声がする。先ほどの女性だ。どこまでも、気配りが行き届いている。ありがたいことに、温かい珈琲のお代わりまでしてくれた。
熱々出来たてのグラタンはとても美味しい。表面がカリカリ、中はホクホクのポテトにアンチョビの塩気がちょうど良く効いている。名前は、「ヤンソンの誘惑」 という。
生クリームと牛乳の何とも言えないほんわかする匂いまで届いてくる。珈琲はふだん飲むものよりも酸味が強く、浅煎りで独特な風味がするが嫌いではない。
良い気分にひたっていると……
壁に掛かる2枚の額縁が気になる。
1枚目は外国の街の絵画。もう1枚は何処かで観たアニメの絵だけど名前が思いだせない。すると、青い目のお嬢さんがひとつずつ説明してくれた。
「あれは、スウェーデンの世界遺産となっている『ヴィスビュー』」
「次は宮崎駿さんの『魔女の宅急便』ヴィスビューの街はその舞台のモデルだと言われているの。この街と似ているでしょう」
「えっ。宮崎さんの……。ありがとう」
その言葉で先ほどの謎が解けた。
あの青色に金十字は童話の世界で有名なスウェーデンの国旗だった。青は透明な湖、金十字は太陽の真っ直ぐな輝きだろうか。
と言うことは………。これは初めて食べる北欧の郷土料理。いやあ、国こそ違えど、おふくろの味みたいでとても美味しかった。
サービスでサフランの香りがするレーズンパンまで提供されてくる。何故か、猫のシッポのようなS字型をしており笑ってしまう。
客がいないのを見て、女性は何でも教えてくれる。
「ここはスウェーデンの本店の名前をそのまま譲り受けたの。それは白夜が続く国。ルミエール、ひかりは母国の人びとにとって人生の羅針盤に届く希望のあかりなの。でも、とても良いところ。一度いらしてください」
白夜など縁もゆかりもない。でも、その言葉には幻想的な響きすら感じられてくる。俺は珈琲を飲みながら、その説明にひとつずつうなずき、聞き入っていた。
いつかヴィスビューの街を訪ねてみたい。
白夜、人生の羅針盤に届くひかりを見るために……。出来ればひとりではなく……
そんな風に思いながら支払いを済ませる。ところが、もう少しで大切なことを忘れるところだった。
ひと言、沙織のことを聞いてみる。
わざわざ横浜までやって来たのは、これが目的である。けっして、散策しながらご飯を食べに来た訳ではない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます