第28話 神さまの思し召し

 秋「L’automneロートンヌ」は心がうつろう季節。


 ────自分という存在は、

 心の奥底まで覗き見ることは出来ない。

 そこには空を舞う銀杏の葉の如くまどう気持ちもある。


 沙織に会いたい。沙織に会いたい!


 そんな声なき声が頭の中をグルグルかき回し、いつでも横浜へ飛び立てるスクランブル体制に入ってゆく。一方、失敗は許されない。手がかりを探せなければ、自信を失ってゆくばかり。そんなもどかしく牽制する気持ちも浮かんでくる。

 次第にもやもやとする蜃気楼しんきろうに覆われ、手探りとなってしまう。


 そんな状態の中、思い付いたのがGグルマップであった。これは、羅針盤の如く頼りになる味方だ。スマホで住所を検索すると、調べたい付近の地図、建物や道路の写真まで見られる優れものである。


 池袋からの学校帰りに横浜の地図をスマホで検索していた。落ち着いてみると、まだ他にも参考となる情報が見受けられる。沙織の手紙によると、坂道が多く港が臨める公園近くに彼女が住んでいるはず。


 いざ、横浜へ。決行日は日曜とする。


 何故か、日にちを決めただけで肩が軽くなる気がしてくる。つくづく俺はおかしな性格の持ち主だと勝手に思っていた。神宮外苑の並木道を通り、軽い足どりでアパートに向かってゆく。


 ところが、通り沿いにこれまで気にもかけなかった一軒のケーキ屋があるのに気づく。「パティスリーL’automneロートンヌ」の前に立ち止まってしまう。


 まだ、クリスマスでもないのに、今日はお店に人だかりが出来ている。しかも、お子様連れの若いママさんばかり。店頭のガラスには、「祝七五三ケーキ承ります」の案内があり、招きネコが笑顔で「福をあげるよ」と迎えてくれる。何を思ったのか、俺も扉をくぐってみたくなる。


 久しぶりのケーキ屋さんだ。


 一瞬アートにも思える色とりどりのスイーツの美しさに魅了されてゆく。これまではじっくりとケーキ屋のショーケースなど見たことがない。


 そこには旬の葡萄や柿、林檎や無花果いちじくをふんだんに使用され、秋そのものを感じるケーキが美味しそうに並んでいる。他にも定番のケーキやお菓子があり、ひとつひとつにはフランス語で名前と値段がつけられている。


 シュー・ア・ラ・クレーム

 和栗のモンブラン

 フォンダン・オ・ショコラ

 つやつやのりんごのタルト・タタン

 貴婦人が被る帽子シャルロット

 カラフルなマカロン

 オレンジ風味のオランジェット

 焦げ茶色のカヌレ

 …………


「どれにいたしましょうか?」


 冷やかしではないけれど、白い帽子を被る店員から声を掛けられる。明るくキュートな笑顔が特徴的な女の子だ。目が合って少しばかり下を向いてしまう。


「ええーと……」


 こんなことにも、決められないもどかしさが頭をもたげてくる。可愛さに見惚れる? 違う、違う。そんなんではない。もう、20才過ぎの成人なのに照れているだけ。やっぱり、恥ずかしいのだ。


「このお勧めケーキをください」


 やむを得ず、目の前に並ぶ本日のお勧め品を指差していた。それは、安納芋と和栗のモンブラン。このケーキだけは名前が日本語で書かれていた。


 ひとつ、600円もする。

 おお……。内心、ビックリ。


「ありがとうございます。私のお勧め品を選んでいただき嬉しいです。おいくつになさいますか? おひとつからでも結構ですから」


 優しい笑顔とそのケーキのネーミングに誘われて、2つと返事をしてしまう。


 その名前は「さ・お・り」だった。

 ショーカードに平仮名が使われている。


「何故だろう?」と、突然、不思議に思ってしまう。しかも、聞いたことのある名前だ。これはきっと、「諦めてはいけない」という神様からの励ましの思し召しかもしれない。


「さおりと言うのは?」

 余計なことまで聞いていた。


「あっ、これ、私の名前なんです」


 聞くところ、彼女はパティシエの専門学校に通う学生であり、自らの考案でこのケーキを造って、初めてオーナーシェフから誉められたという。


 出身地の種子島のさつまいもと和栗で有名な恵那のものを組み合わせて、しっとりとした甘さを表現していると聞く。

 そこまで知ると、1200円の出費はかなり痛いけど、夕飯はカレーにすれば良い。彼女と、自分への応援だとしたなら安いもの。少しも後悔はしていなかった。


「さおりさん、頑張ってね」


 そうひと言残し、ケーキ箱を持ちながら店を後にする。自己満足だが、久しく感じたことのない気持ちとなっていた。アパートに帰りレトルトカレーを食べ終わると、いよいよ久しぶりのおやつの時間だ。


 たまにはこんな時があっても良い。

 なぜか、ワクワクしてくる。


 先ほどのケーキを冷蔵庫から大切そうに取り出し味わってゆく。辛いカレーと贅沢な甘いケーキ、変な組み合わせとなる。否、絶妙なコンビかも知れない。


 ところが、七五三の夜に男ひとりでケーキを食べるなんて侘しい限り。そんなことが心の中をよぎったが、「旨い」のひと言でふたつをペロリとたいらげてしまう。


 けれど、やはり甘い栗と芋の渦巻きを見ていると複雑な心境になる。


 パティシエの女の子と同じように、夢を大きく抱き、動物飼育の専門学校に通う沙織のことを思い出し、居ても立っても居られなくなる。やはり、直接訪ねていこうと決意を固めていた。

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