第19話 父親からの命令
「父ちゃんが首を長くして待ってるよ」
バスを降りるなり、久しぶりに会う妹が後ろから抱きついてきた。しかも、俺の顔を覗き込むと、そこには好奇心に溢れた笑みが浮かんでいる。
たいてい、こんな時は悪い知らせだ。
実家に到着すると、予想どおりに父親から言い訳出来ないほど叱られてしまう。彼の口から熊本弁が飛び出す際は、機嫌が悪い兆しと以前から知っていた。
「そん長か髪ん毛なんや。都会かぶれしやがってだらしがなか。早う散髪に行って坊主にして来え」
疲れ果ててやっと帰ってきたというのに、お茶も飲まず追い出されている。ああーついてねぇ。
「大切な話はそん後や」
その顔は青鬼のように迫ってくる。
「早う行っておいで」
母親もその剣幕に驚いている。父は久しく里帰りしなかったのを怒っているのだろうか? 仕方無く、馴染みの床屋で高校球児以来の髪型、少し短めのスポーツ刈りに切ってくるとさらに驚くことになる。────
自分の部屋に見たことのないジャケットとパンツ、オシャレなシャツが置かれている。しかも、ピンクのネクタイまである。
俺は大学の入学式でもそんな服は着たことがない。何だろうと思っていると、親父がつかつかとやって来た。
「浩介、明日、これば着てお見合いや」
「見合い? 冗談だろうよ」
「本当や。もう、会場も予約しとる」
「だから、誰とや」
そこで、母親が口を挟んでくる。
「お前の知っとる3つ下の女性や」
「思い当たる
「幼なじみの典子しゃん知っとるやろう。この町一番の美人で評判な娘や。先方は両親含めて、お前さえ良かれば全て良しとたいぎゃ乗り気や。20歳までには結婚しよごたるて言うとる」
「母さんまで……。冗談だろう。俺は嫁さんぐらい自分で見つけるよ」
「なら、誰か好きな女性がおるんかいな」
「いやぁ、今は決まったひとはおらん」
「ほらぁ。何処で仕事ばしようとも、男は早う身ば固めた方が良か。彼女は東京へ行くとも構わんて言いよるそうや」
「見合いなんて時代錯誤で好かん」
まして、俺は未だ学生だ。いい加減にしてくれ。ついに母さんまで恐ろしい姿、赤鬼に見えてくる。
「あた、何ば言うとる。熊本では普通やね。最近は婚活パーティだって、お役所の仕事でやっとる。しかも、典子しゃんの家柄は素晴らしか。何よりもベッピンしゃんやろう」
嫌いだから言っている訳ではない。
確かに若くて可愛い娘や。
しかも、だ。
彼女が中学生の時に、俺のファンだったことも知っている。けれど、今の頭の中は、別な女性でいっぱいである。とても、他の女のことなど考える余裕は、これっぽっちもないのがはっきりしていた。
「とにかく、俺は見合いなんてやらん」
その言葉に、父親は言葉を荒げてくる。
「長男なんやけん農業ばやっとかやらんとかここで決めろ。いつも優柔不断や。やらんなら、実妹ん百合子に婿ばもろうて継がせるけん。もう勝手なことは許しゃん。決めんなら、仕送りもやらん」
また、母親が間に入ってきた。
「会うだけして断ったっちゃかまわんけん。先方も承知しとるそうや。こればっかりは浩介がまだ若かけん、反対したっちゃしょうがなかと」
「最初から断るならしない方がましやろ」
「ばってん、典子さんとこは手広く商売をやっている。やけん、不知火の出荷の兼ね合いで、母さんもこの見合いは断れんかったんや。会うだけなら構わんやろう」
おいおい、ばってんなんて云うなよ。恥ずかしくなる。そこで、青鬼がいよいよ本性を現してきた。角を伸ばし、
「見合いだけでんしたら、あと3年は東京に残りわがまま許してやる。将来んことはそん間に決めて構わん」
「ああ…分かった。ただ、会うだけなら」
昭和の時代じゃあるまいし、今時、見合いなんてくだらん。けれど、これ以上2人の鬼と喧嘩するより、豪華な飯と酒を飲んで2時間の我慢。引き替えのご褒美は大きい。そう考えれば良いだけのこと。
しかも、相手は仲の良い幼なじみ。先輩として旧交を温めるのも悪くはない。少しだけ典子にも会いたくなってくる。そこまで両親に言われては、お見合いをもう断れなくなっていた。
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