アレス・オリンフォス――Boy seek girl――
時は少し遡る。
王都各地で戦いが始まった頃。
アレス・オリンフォスは一人生徒会室にいた。
ウィルたちが王城に出向していた為に、入学試験に関する作業をできる範囲で行っていたのだ。
と言っても、まだ生徒会に加入したばかりで雑用の身としてはそれほどできることもない。
書類の点検等で不備があれば、ウィルに小言を言ってやろうとも思ったが流石というべきかそのあたりは一切不備が無くて唸らざるを得なかった。
結局、やることは早々に終わり彼らの帰りを待って紅茶を淹れていた時だった。
王都の街を魔族と神の眷属たちが襲撃を開始したのだ。
その瞬間、街の人々の多くは激震によって何かの始まりを感じていた。
外周部の一部にいたものは襲って来るサンドワーム、三鬼子、龍たちに慄き、それ以外の場所でも各地から滲む出る魔族に驚き、戦い、逃げることによって混乱が始まった。
だが、アレスは違った。
声だ。
「―――待たせたのぅ」
唐突に、その主は生徒会室に現れた。
顔をベールで隠した喪服姿の女。
彼女は何の前触れもなく、生徒会室にいたのだ。
「母、さん」
カチャリと両手から音が鳴った。
いつも通りに淹れた紅茶。
習慣になってしまって、つい癖で8人分も淹れてしまってどうしようかと思っていた分の一杯目。
「ふむ。相変わらずいい香りじゃのぅ。ゆっくりと味わいたい所だが、今日はそうも行くまいか」
フェイスベールの奥、笑みの気配。
表情は見えないが、それでも彼女の視線が真っすぐに己に向けられていることが分かる。
「≪龍の都≫、あの時の話の続きをするとしようかのぉ」
●
つい二か月ほど前のことだ。
≪龍の都≫での一連の事件の最中でも彼女はアレスの前に前触れなく現れていた。
その際、躱した言葉は少ない。
話したというよりも一方的に告げられたというべきだろう。
「今一度、お主をヴィーテフロアが共に在れるようにしてやろうと、妾は言ったのぅ」
そうだ。
彼女はそう言った。
ただそれだけのことは、
「―――」
アレスの心の奥に響く。
脳裏に、幼い頃の花園の記憶が過る。
だが、
「……今、起きていることと母さんは関係あるんですか? 貴女が、ここにいるはずがないでしょう」
外の騒ぎは、意識にとっては遠い世界ことのようで耳には届いている。
そしてアレスの義母は本来ここにいるはずがないのにここにいた。
なぜなら、
「貴女は――――ロムレス共和国首相、ルキア・オクタヴィアスです」
「そうじゃのぅ」
指摘にヘラ――或いはルキア・オクタヴィアスは鷹揚に頷いた。
「王城で会議のはずでしょう?」
「それは欠席した。代わりにヴィーテフロアに行ってもらったし、この騒ぎも妾が主導だからの。共和国として、他国に宣戦布告を行っている頃じゃろう」
「―――」
言葉が、続かない。
意識して整えなければ呼吸が乱れ、手が震える。
「……何故、そんなことを」
「くふっ。それが重要かのぅ」
言うまでもない。
窓の外、遠くでは粉塵が舞い、破壊が生まれている。
かつての大戦において、この王都は人類にとっての最終防衛ラインであり、しかしそうとは使われなかった場所だ。
その王都が、攻撃を受けている。
問題しかない。
なのに。
「妾がお主の大願を叶えるための一手にすぎん。なら、何も問題はなかろ」
「―――」
ぞわりと。
胸の奥、形容しがたい何かが首をもたげた。
ルキアが言っていることは滅茶苦茶だ。
道理が通っていない。
アレス自身の願いの為に、王都におきる戦いを容認しろと言っているのだ。
そんなの。
「―――はっ」
息が漏れ、額から頬へと冷たい汗が伝うのを自覚する。
そして。
「―――――その女から離れろ、少年!」
生徒会室の壁が吹き飛んだ。
●
飛来したのは炎と雷属性による攻撃魔法。
アレスにはそう見えた。
見えたというだけで、奇妙なことに魔力は感じなかった。
だが、壁を外からぶち抜いて来た閃光はルキアを飲み込み、
「無事か、少年」
その穴から人型が現れた。
奇妙な恰好だった。
黒と青の色を持つ流線形の金属に全身を包んでいるが、しかし鎧というにはアレスの知るそれはとは違い過ぎた。
パーツ同士の繋ぎ目は無く、比喩ではなく体に張り付いているかのような黒の外装。顔面には単眼の瞳と胸の中央の核らしきものは青く輝いている。
そして右腕は大砲をそのままくっつけたような状態。
全く見たことのない様式であり、アレスの知るどんな文化体系にも存在しないような技術で作られているであろうものだが、
「……マキナ、か?」
「肯定しよう」
頷いた瞬間、顔の鎧部分が消える。
露わになったのは見慣れたマキナの顔だが、普段より険しく、
「トリウィアが王城から帰って来たら卒業式ライブのリハをやる予定だったからそれの準備をしていてな。かと思えばこの騒ぎで、生徒会室に覚えるのある魔力波形を探知した。壁は壊したが、後で修繕しておく」
口調もまた普段より硬い。
姿も相まって、アレスの知るマキナではないような。
「当然じゃのう。この男、別の世界からの来訪者じゃ。妾たちの遥か未来の世界らしいのぅ」
「……驚かせてすまないな、少年。無事か?」
「―――」
「お主の父とも同じじゃな。あれもそうだった。別の視点を持つが故に、我等この世界に生きるものを俯瞰して見ておる。箱庭の人形を愛でる様にのぅ」
「先の女は≪龍の都≫でアルマを転移させ、ここしばらくウィルたちの敵になっている女の首魁と思われている」
「おぉおぉ、詳しいのぅ。その場にもいなかったのに。おまけに良いタイミングに現れる。―――まるで、お主を監視していたようじゃ」
「―――」
「少年」
マキナが問うてくる。
「―――あの女、どこに行った?」
「なに、を」
思考がまとまらない。
マキナはルキアの所在を聞いて来た。
だが、彼女の声はずっと聞こえている。
いや、それもおかしい。
視界には確かにいない。
気配もない。
なのに。
「ほっほっほ。この男の感知能力も、万全ではないようだのぅ」
彼女の声は、すぐ耳元が聞こえてきている。
声だけが。
直接、心に囁かれるかのように。
「なんなんだよ」
「……少年?」
「簡単なことじゃよ、アレス」
囁き。
響き。
木霊する。
怪しい声は、アレスの内側、一番深い所に滲んでいく。
白い紙に、真っ黒なインクを落としたみたいに。
「アレは敵じゃ、我が子よ」
そのインクは、心の中である式を描いた。
元々アレスの為に作られたもの。
その名を与えられた意味の結実となるもの。
偽りの神々は誰も彼も、アレスが使うために進化を重ねられた。
それが今、本来の使用者の魂に刻まれていく。
だけど。
大事なのはそれでは無かった。
大事なのは言葉だ。
それが全ての引き金になりうると、ヘラは知っていた。
「排除しなければ――――もうあの子には会えんぞ?」
●
「だったら、おれは君の――――君だけの、騎士になるよ。何があっても君だけのもので、君だけの意思に応えるよ」
●
「!?」
気づいた時、マキナは生徒会室から吹き飛ばされていた。
雷撃だ。
耐熱耐雷、さらには耐魔術加工までされているマキナのナノマテリアルパワードスーツ≪デウス・エクス・ヴィータ≫の装甲でも無視できないほどの強烈な威力。
先ほど自分が開けた穴に飛ばされ、しかし大地へ激突。
何度か跳ね、体勢を立て直し、
「っ……何を!」
「―――」
自らを追って降り立ったアレスを見据える。
俯いた少年の表情は、見えなかった。
だが、腰に佩いていた直刀は手に握られ、スパークを纏っている。
感じるのは、間違いなく敵意。
刹那の間で思考が巡る。
確かに自分はいつもの外見が大きく違う。
ヘラを確認したために、急遽スーツを展開して乗り込んだのだ。
この世界の基準から見れば千年単位は未来を先取りした兵装だ。混乱させても仕方ないだろう。ならば、ちゃんとした説明が必要だと思い、
「少年―――俺だ! 脳髄だ!」
「もういい」
ばちりと弾ける火花は、明確な拒絶を示すものだった。
「アンタの戯言はうんざりだ」
「そんなことを言われてもな」
だって。
「……今なら、いつもの冗談で流すぞ?」
「もういいって言った」
言葉は無い凪いでいた。
だがそれは嵐の前の静けさだ。
マキナは感じていた。
アルマから魂魄だけを確保され、ナノマシンの集合体となった身なれど。
過去に、似た気配を得たことがある。
機械たちとの戦争の終盤、たまにいたのだ。
普段大人しい類の人間が極度に追い込まれて爆発することが。
だけど。
「――――少年、何故だ?」
分からない。
こうなる人間は知っているが、アレスがそうだとは思わなかった。
「何があった? あの女に何を言われた。仮に脅されているとしても、ウィルやアルマがいれば――」
「それがうんざりなんだよ!」
怒声が轟く。
彼は頭を振り乱し、
「アンタも! スぺイシアさんも! あの人も! 他の連中も! どいつもこいつも馴れ馴れしく俺を何にでも巻き込んで! 我慢するのも限界だ!」
直刀をマキナへと向ける。
「だから、もういい。だから、まずはアンタからだ。何もかも斬って捨てる」
「それがお前の望みか?」
「そうだ」
ぎちりと、柄を握る手が軋む。
真っすぐに、刺すような視線には怒りに染まり歪んでいた。
言葉が届かないことを悟ってしまう。
だけど、言わずにはいられなかった。
「それが……お前の意思か?」
返事は無く。
帰って来たのは稲光を伴う魔力の爆裂だった。
空気が弾け、雷光が轟く。
告げられたのは祝詞だった。
『
神への変貌。
他の世界の力、他の時代の技術を身に宿す御業。
科学に振り切ったマキナの世界とは違う、魔法と科学の融合。
『戦え――――≪
宣告は天から落ちる赤雷と共に行われた。
「……!」
発生した衝撃にマキナは数センチ背後に滑り、顔を腕で覆わざるを得ない。
瞬間的にフェイスアーマーも再展開したが、全身の計測機能が一瞬ダウンするほど。
感覚を取り戻し、認識したのは姿を変えたアレスだった。
黒の鎧武者だ。
全身を覆う重厚の科装装甲。
四肢や胴に何本もの長方形のフレームを束ねて重ねたような漆黒の鎧。
左手にはそれまでの直刀ではなく、身の丈もあるような機械作りの斬馬刀を手にしていた。さらに、腰部や肩には小型ながら砲門すらある重武装。
あらゆる色の無い
「―――望みなんて、たった一つだ」
声は静かに。
周囲に赤雷のスパークを纏い、頭部にに同色の相貌、全身にやはり同じ色のラインを巡らせたアレスは言う。
「ずっと、俺の願いは一つだ。そのためだけに生きていた」
だからと、彼は斬馬刀をマキナへと突きつける。
「その願いが叶うなら―――俺は、何を切り捨てても構わない」
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