ガール・テイク・ボーイ



 風が唸り声をフォンは聞いた。

 それは巨大なものが群れを成して空を往く音だった。

 龍だ。

 から一斉に龍たちが空へと飛び立っていく。

 全長10メートル程度の小龍から、50メートルもある大型龍まで。

 2枚翼もいれば4枚翼もおり、彼らの群れにはそれぞれ数人の龍人族が人型形態のまま背に乗っている。

 龍化した時に飛ぶことに適していない者達なのだろう。

 彼らは≪龍の都≫の上空を蜷局を巻くように旋回し、龍たちの渦を作り出していた。


「……渡りかぁ」


 それは龍族の引っ越しだった。

 かつてはフォンの鳥人族も季節ごとに住む地域を変えていたが、しかしスケールが違う。

 

「いやぁ……凄いね。ちょっと現実味が湧かないよ」


 苦笑気味の言葉は、隣に寄り添う合うように立つウィルだ。

 寄り添う合う様に、というより、フォンが彼の腕に抱き着いているのだが。

 肩に自分の頬を押し付けつつ、


「それ、どっちに対して?」


「うーん、どっちもかなぁ」






「…………………………ぐぅ」


「ははは、気持ちは分かるけどね」


 目の前の光景を見て唸るアレスにアルマは声を上げて笑ってしまった。

 スーツ姿の彼は細い指で額を覆いながら頭を振る。


「……いやだって……おかしいでしょう。見てくださいよ」


「見てる」


「…………壁、全部無くなったんですけど」


「無くなったねぇ」


「そんなことありますか?」


「君、目で見たものは受け入れたまえ」


「………………ぐうぅぅ」


 片頭痛を発動したアレスにもう一度笑い、アルマは視線を水平に向ける。

 そこにあるのは大地と、そして地平線の向こうにある空だ。

 壁が無くなったと、アレスは言った。

 正確に言えば、


「この≪龍の都≫を囲んでいた岩壁が、そのまま消えちゃうとはね。流石に僕も驚いた」


 直径一キロの盆地を囲んでいた断崖。

 斜めに切り落としたような円柱のように見える外界との境界線がまるごと消滅していた。

 結果、≪龍の都≫は山の先端を切り落とした断面に突然生えた集落になっている。

 昨日までは壁はあったが、今朝地響きと共に消失していた。

 天変地異としか思えないが、


「あの岩壁自体がエウリディーチェの体だったとはね」


 アルマたちが目にしたのは崩れて行く岩塊から姿を現した巨大な龍の姿だった。


「いまいちわかりません。人の姿をしたエウリディーチェ様は話してたでしょう。体がそれとは別にあったと」


「つまりは端末なんだろうね。人と交流するための分身としてあのエウリディーチェの姿があったんだ。流石に神格としての強度を保ったままじゃあ他の種に対しての影響が大きすぎるし、交流も困難だろう」


「…………分かる言葉でお願いできませんか?」


「神様だからそういうこともある」


「…………分かりやすいですけども」


 納得は難しいらしく、重い溜息を吐いてから空を見上げた。

 龍たちが舞う天空を。

 納得は出来なくても壮観だ。

 感じ入るように彼は見つめている。

 自分も同じように龍たちを見た。

 アルマにしてもこれだけの上位存在が群れを成し、一斉に視界に収めるのは早々あることではない。

 大体、敵として薙ぎ払うことの方が多かったし。

 しばらく眺め、


「……ねぇ、アレス」


「なんでしょうか」


「君、龍人たちの護衛してたみたいだけど――――何もなかった?」


「…………何故でしょう?」


「いや別に。得体が知れない相手だったからね。僕もやられたし、君もどうだったかなと」


「………………別に」


 空を見上げたまま彼は答えた。

 残念ながら身長的にどんな顔をしているかは見えなかった。

 だから、彼の感情の乗っていない言葉を聞いた。


「何もありませんでしたよ」

 

 





「おぉ……おぉ……! これは歴史的光景ですよ! ……うっ、酔いが……気持ち悪い……いやしかし! 見逃すわけには!」


「元気なのか元気じゃないのかどっちなんじゃお主は」


 無表情で興奮しながら体調を崩しているという器用なことをしているノースリーブ姿のトリウィアに思わずカルメンは半目を向けた。

 気持ちは分からなくもないが。

 彼女からしても同胞がこうして一斉に飛んでいるのは初めて見る光景だった。


「判断が速いなエウリディーチェ様は。―――など、向こうからしたら文字通り天地がひっくり返ったようなものでしょう」


「じゃのう」


 半狂乱しているトリウィアは放っておいて、隣の御影に頷いた。

 雪空が晴れたからか、簡素な着流し姿の彼女も空を見上げる。


「元々≪龍の都≫は隠れ里じゃったからのぅ。それがあっさりバレてしまったのならお爺様たちにしても引きこもっている必要はないし、襲われたのなら連合に参加するにも当然じゃろうて」


「大戦時代でもなかったことが起きて、その瞬間を目にするとは……先輩殿があれだけはしゃぐのも納得といえば納得ですけど」


「うんむ……それはそうと御影」


「はい?」


「お主、体は大丈夫なのか?」


 トリウィアの不調は≪龍の都≫の山の麓から転移した故の負担ではあるが、御影もまたアルテミスとの戦いで手傷を負っていた。

 それなりの重傷であり、アルマが治療したから大丈夫だとは思うものの、いつもよりテンションが低いような気もしたのだ。

 

「あぁ……ま、絶好調ではないですけどね」


 彼女は肩を竦めて、


「カルメン先輩こそ、腕は問題ないんですか?」


「ん、あぁ」


 言われ、自分の腕を見る。

 トリウィアに切り落とされた両腕は、今は左腕だけがある。


「普通に腕生やしてびっくりしましたけど……右腕の方は難しかったんでしょうか」


「いや、生やそうと思えば生やせるが」

 

 にやりとカルメンは笑い、


「片腕の状態をエスカに見せて驚かせて、目の前で生やしてさらに驚かせてやろうと思ってのぅ。サプライズというやつじゃ」


「……………………まぁ、愛情表現は人それぞれですね、はい」








「……うーむ」


 シュークェは腕を組みながら考えていた。

 回りにはウィルとフォン、アルマとアレス、トリウィアと御影にカルメンがそれぞれ固まって龍の群れを見上げている。

 戦いではいい感じに特攻をかまして見せ場を作ったはずなのだが。

 いまいちみんなから距離を置かれている気がする。

 例外はウィルだけだった。

 良い奴だなとは思うが。


「全裸で燃えて空を飛ぶの……かっこいいと思ったんだが……」


 声は風に溶けて誰にも聞こえなかった。


「…………………………番、探すかぁ」





 

 



『――――改めて礼を言おう、ウィル・ストレイト、フォン』


 低く轟く声はフォンと共に見上げたウィルの頭上に。 

 空に舞う龍たちの中央、一際大きな存在がある。

 頭から尾までは100メートル近く、広げた翼は倍近い。

 巨大すぎて距離感がおかしくなる。

 体を覆う鱗は深い紺色だ。

 まるで冥府の底のような光を吸収する暗い色。

 エウリディーチェの龍としての姿が、二人を見下ろしている。

 

『本来であれば余が守るべきこの地を、汝らは守り通してくれた。我等龍人族はそなたらの健闘を永遠に忘れぬと誓おう』


「こちらこそ、ありがとうございました。フォンを助けてくれて」


「ありがとうございました! おかげで私は自分のルーツも知ることができましたし!」


『――――』

 

 ごろごろと唸るような声はきっと笑ったのだろう。

 人の時と変わらない白と黒の日蝕目が細められ、


『フォンよ。今はせめてもの礼として其方に『比翼』の名を授けよう』


「……『比翼』」


「おぉ」


 ウィルは思わず感嘆の声を漏らした。

 二つ名だ。

 本来、国から与えられるものではあるが。

 それでも龍の神が授けるものであれば遜色のないどころか、むしろ誇るべきものであろう。

 名前という概念の重要さを、ウィルはこの地に来て改めて知ったのだから。

 彼は、或いは彼女は続け、

 

『『比翼』のフォン、フォン・フィーユィ。ジンウの後継にして、異なる道を選んだ翼よ。古き神として汝と汝の主、同胞の道行きを祝福する』


 頭を持ち上げ、


『――――――!』


 吠えた。


「わっ」


「おおっ」


 大きな、けれど優しい、遥か遠くへと伸びるような咆哮だった。

 大気の震えが天に伸び、


『――――『――――――『――――――――――!』


 空に控えていた龍たちが、声を重ねて行く。 

 誰もが天を仰ぎ、声を上げる。

 龍の姿も、人の姿も変わりなく。

 それはまるで、


「……フォンの歌みたいだ」


「似たようなものじゃ」


「あっ、カルメン先輩」


 いつの間にかウィルの隣に並んでいた彼女は空を見上げたまま、


「ワシらにとってもやはり感情の表れじゃな。戦の前の鼓舞や、死者への弔い。或いは――――恩人への感謝として。込められる想いは数あれど、その最上位のものとしてじゃ」


 それからウィルとフォンに視線を向けて破顔した。


「龍の、それも龍の群れからの咆哮。歴史を見てもこれを受けたものなどそうはいない。誇るといいぞ?」


 告げて、背後へと無駄に無駄の無い動きで去って行った。

 気を使われているようで少しくすぐったい。

 長い咆哮が終わり、もう一度エウリディーチェは自分たちを見つめ、


『――――それではまた会おう。異なる種の友人たちよ。新たな居を構えたら改めて招待しよう、今回の礼もその時にな』


 翼を広げ、天へと羽ばたいた。

 ゆっくりと、けれど速い速度で龍の群れが大空を駆けて行く。

 フォンとはまた違う飛び方だなと思った。

 風が巻き起こり、南へ流れて行く光景を見上げていたら腕に力を感じた。


「ねぇ主」


 彼女もやはり去って行く龍の群れを見上げながら、ウィルの腕を抱きしめている。


「『比翼』だってさ、私」


「うん、いいね。とても素敵だ。君にぴったりだよ」


「だよね」


 笑みの気配を感じ、ウィルは彼女を見た。

 フォンもまた優しい笑みでこちらを見つめている。


「比翼ってさ、1人では飛べない鳥ってことでしょ。なら、私にぴったりだ。だって―――」


「君の翼は、僕と飛ぶ為に――だからね」


「―――へへっ、流石」


 自分で言うのは恥ずかしいけれど。

 なんなら頬が赤くなっているの自覚はあるし、フォンも同じように顔が赤いけれど。

 それでも、そのことを疑うつもりはない。

 フォンは翼も、愛も選んだ。

 だったら、その選択が間違いではなかったと思わせるのが自分の義務なのだから。

 義務であり。

 ウィル自身がやりたいと思うことだ。


「あー……あとさ、主」


「うん? ……まだ、ペリドットのこと? あれは……その、属性のイメージ的に……」


「いや、それはいいよ。冗談だよ冗談」


「あ、うん」


 地味に気にしていたことをサクッと切り捨てられた。

 トリウィアとか御影には見せる一面を、自分にも見せてくれたのはちょっと嬉しい気もするが。

 フォンは背後、まだ半分発狂しながら空を眺めているトリウィアや静かに粛々と見上げている御影たちを一瞥し、


「ほら……その、御影もトリウィアも主の呼び方、変えてたじゃん? ……だから、ね? 私も……とか思ったりして」


「…………な、なるほど。ちなみにどんな?」


「……………………ウィルさん、とか?」


「――――」


 思えば。

 アルマは最初『>1』から『ウィル』だ。

 御影は『婿殿』から『ウィル』だし、トリウィアは『後輩君』から『ウィル君』だ。

 そういう意味ではウィルは恋人から呼び方を変えられるプロだと言っていいだろう。

 その上で。

 普段快活な少女がしおらしく上目遣いの『さん』付けで呼ぶのはかなりウィルの琴線を揺るがした。

 ウィル・ストレイト、萌えという概念を初めて知るのであった。


「………………良いと思います」


「なんで敬語」


 彼女は苦笑し、ウィルの腕を抱きしめながら。

 晴れ渡る様な空の笑顔を浮かべた。


「じゃあ改めて。私を離さないでね、ウィルさん?」


「勿論」


 ウィルもまた抱きしめられた自分の手を、彼女の指に絡めて応えた。


「離さないよ。君は僕の翼だから」



―――≪ウィル・ストレイト&フォン・フィーユィ―――ボーイ・ホールド・ガール―――≫―――


 


 

 









 アクシオス王国首都、王都アクシオス。

 中央にそびえる王城フルリヴィス城。

 その城の地下に、牢獄がある。

 犯罪者を捕らえて収監する監獄は別にあるが、王城の地下には選ばれた囚人のみに対する特別牢獄があった。

 主に国際的な問題に関する犯罪かつ、危険度が低いないし、能力を封印できた者に対してだ。

 即ち、ヘファイストス・ヴァルカンもそれにあたる。

 アルマ・スぺイシアにより異能を封印された彼女は秋から収監され、今に至ってもなお牢獄に閉じ込められていた。


「…………ふわぁ」


 深夜、貫頭衣の囚人服を着こみ、簡素な造りのベッドでぼうっとしている。

 アクシオス王国では他の国に比べて囚人の扱いが人道的なので、彼女は五体満足で欠伸さえできていた。

 これが帝国や聖国であれば、また話は違っただろう。

 尤も、それもあと数か月でどうなるか分からないのだが。


「――――ん」


 ふと、彼女は人の気配を感じた。

 この監獄に訪れるのは看守か事情聴取に来る役人であるが、牢の前に立ったのはどちらでもなかった。看守であるならば鎧の音がするし、役人ならばこんな時間に来ることはない。

 牢の前に立ったのはどちらでもなかった。

 少女だ。

 足首まで伸びるロングスカートと黒のセーラー服にシスターらしいフードを合わせたような独特の服装。

 フードから零れる髪は夜明けの光に蜂蜜を溶かしたような黄金。

 瞳は海のような深い青。

 胸には七主教のシンボルである七芒星のペンダント。

 全身の露出は一切なく、身長も低い。それでも体のラインは丸みを帯び、まだ幼いながらもこれから絶世の美女として花開く蕾のような、無垢と色気が混在している。

 

「あら」


 少女の存在を見て、ヘファイストスは体を起こした。

 


「失礼しました。それなりに大変なんですよ、此処に来るのは」


「あなたでも?」


「私だからこそ、でしょうか」


 囁くような、鈴が鳴る様な声。

 声量は大きくないのに、なぜか耳によく届く。

 その声にむずがゆさを感じながらも、無視をしてヘファイストスは笑った。


「大変ねぇ――――


 アクシオス王国王女ヴィーテフロア・アクシオスへと。

 

「くすくす」


 彼女は控えめに、けれど華やかに。

 小さな、けれど良く届く声で。

 無垢な子供のような笑顔で、大人のようにしっかりとした礼節を。

 相反するものを、けれどそのまま秘めながら。

 ヘファイストスへと、告げた。


「――――からの伝言があります」



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