ウィングマン その2



 ウィルには掲示板を見ている余裕はなかった。

 普段の彼が怒ることなんてまずない。

 絵に書いたような温厚な性格であるし、基本的にはお人好しだ。

 だからこそ灰汁と個性の強い住人しかいない掲示板やアクシア魔法学園の中心にいるとも言える。

 彼の怒りのトリガーは自分にはない。

 生前の経験のせいか、自身に対して何をされても感情が波立つことはほとんどない。

 苦難も苦痛も、最大限のものを一度経験してしまったから。

 それ故に一年次においては大事なものを得ることを恐れ、失うくらいなら自分が失えばいいという強迫観念にも囚われていた。

 そしてそれは解消されたものの。

 代わりに生まれたのは逆鱗だ。

 彼にとって幸福が傷つけられるのは許せない。

 天津院御影が彼女らしさを縛られたのなら誰にだって拳を向けるし。

 トリウィア・フロネシスがその彼女らしさを自ら封じるというなら、彼女自身だろうと止めずにはいられない。

 そして今。

 彼は怒っていた。

 怒り狂っていると言ってもいい。

 

「…………」


 黒の衣から、握った大戦斧から溢れる炎がその具現化だ。

 爆裂斬撃を叩き込み、アルテミスを吹き飛ばした先には燃え焦げた轍がある。

 十数メートルぶっ飛ばしたが、それで終わるとも思っていない。

 真紅になった紋様が刻まれた斧の柄を強く握りながら一歩踏み出し、


「落ち着けぇーいウィル・ストレイト!」


 目の前で腕と翼と足を広げたシュークェが飛び出した。


「………………えっと」


 大の字、というには二画ほど追加されたポーズに少し気が抜ける。

 

「すみませんシュークェさん、今は僕あまり余裕がないんですけど」


「理解しよう、ウィル・ストレイト。だが、周りを見ろ」


 彼は両手両足両翼を広げた姿を崩さす、視線で周囲を促した。


「怒りに燃えているが、ここは森だ。その怒りでこの自然ごと焼き払う気か?」


「――――――」


 言われ、はっとする。

 そうだ。

 どうしてそんなことに気が付かなかったんだろうかと思うくらいには単純な話だ。

 視野がどれだけ狭くなっていたかを自覚する。

 フォンの選択のこと、アルマと連絡がつかないことも含めて思った以上に余裕がなくなっていた。

 周りを見れば自分が走った跡も、アルテミスが吹き飛ばした跡も燃え焦げている。

 雪が降っていたから火事にはなっていないが、それでも燻った匂いがある。


「……すみません」


「このシュークェに対して言われてもな」


「ですね。…………ふぅ」


 大きく息を吐きだし、斧を握っていない左手を横に振るう。

 それによって周囲の火種はあっという間に消滅した。

 続けて、腕に魔法陣を展開し、


「―――≪ペリドット≫」


 鬼人から鳥人へと姿を変えた。

 それに伴い≪ビフレスト≫も実体を持った七つのリングになる。

 右腕に三つ、左腕に四つ。

 それぞれの環には若草色の紋様が刻まれていた。

 ≪ペリドット≫に合わせた形態変化、≪光彩流転カレイドスコープ羽黄エアリアル≫。

 ウィルが近接戦で用いる戦輪を再現し、飛行の邪魔にならないものだ。


「ありがとうございます、シュークェさん」


「いや、このシュークェこそ礼を言わねばならん。お前のおかげで拘束が解かれたからな、やっと自由に動けるというものだ。あぁ、それと」


 真紅の髪をかき上げながら彼は純粋に笑う。


「良い翼だな、ウィル・ストレイト。流石はフォンが認めただけはある」


 釣られてウィルも苦笑してしまった。

 何かと騒がしかったりリアクションが大きいが、いつだってそこには他意がない。


「……やっぱりありがとうございます、シュークェさん」


「うむ! このシュークェ、感謝の言葉は大好きだ! ……だが、何に対してだ?」


「さて」


 もう一度苦笑し、


「手を――翼を合わせましょう、シュークェさん」


「良いだろう」


 ウィルは若草色の翼を、シュークェさんもまた黄色混じりの赤翼を広げる。

 熱を含む風が二人を中心に巻き起こり、振る雪を舞わせ、溶かして行く。


「どうにもアレはフォンの方へ向かっているようだ」


「えぇ、彼女の下に向かう途中で御影たちに気づきましたから。……場所を移しましょう」


 横目で、まだ結界の中で休んでいる御影に視線を送る。

 意識を失ったのかぐったりとしているが、胸の動きから呼吸は規則的だ。

 今すぐにでも安全な場所に運んで、治療をしたいがその余裕はなさそうだ。

 

「どこで戦う?」


「決まっています」


 視線をずらす。

 正面には宙に浮くアルテミスが健在のまま宙で弾んでいた。

 周囲の木々に張り巡らした弦糸でバウンドしているのだろう。

 物々しい脚甲からも、彼女がどう戦うかが想像できる。

 それから空を見上げた。

 今だ雪が降る天上。

 木々と高い岸壁の先に広がる世界。

 アルテミスが空中を駆け、ウィルとシュークェに翼があるのなら。

 移る舞台は一つしかない。


「―――空です」








 フォンはそれらの光景を全て感じていた。

 森から飛び上がる二つの翼とそれに対して中空を跳ねる兎。

 ≪龍の都≫の反対側から飛び出した叡智と日輪。

 街のあちこちに隠れ、潜んでいる龍人たち。

 その全てをフォンは同時に知覚していた。

 見ているわけではない。

 風が、≪龍の都≫で起きてることを教えてくれた。

 

「――――」


 ≪龍の都≫を一望できる一枚岩で彼女は息を飲んだ。

 こんなこと、これまでできなかった。

 彼女にとって知らない感覚。

 多すぎる情報が押し寄せ、溢れ出す。


「……っ」


 頭痛に思わず膝をつく。

 体が、胸の奥が、背中が熱い。

 こんな所で何をしているのだろうと思う。

 行かないといけない。

 敵の1人はトリウィアが引き離してくれた。

 もう1人は何故か自分を狙っている。

 なら、戦わないと。

 なのに戦えない。

 なのに飛べない。


「……ある、じ」


 誰よりも大事な人が自分のために戦ってくれているのに。

 今の自分は飛ぶことができない。


「それは違うよ」


「!」


 聞こえた声に顔を上げる。

 視線の先。

 断崖の一歩外側。

 

「――――君は飛べるはずだ」


 そこに、自分がいた。

 違う。

 外見は自分だが、二つだけ違う。

 一房黄色いはずの髪が、全て黒い。

 鳶色の目が、金色だ。

 フォンは悟る。

 自分ではない。

 自分に限りなく近いが、それでも違う。

 彼女は、


「――――≪ジンウ≫?」

 

 己のルーツ。

 鳥人族の始まりの神。

 そのことを彼女は理屈抜きに直感した。

 ただの幻影ではない。

 自分の内側に眠っていたものを、フォンは見ているのだ。

 問いかけにジンウはニコリと笑った。


「さぁ、フォン」


 優しい声で彼女は両手を広げる。

 まるで、翼みたいに。


「愛か空か――――選ぶ時が来たよ」



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