セルフィッシュ・ジレンマ




 ≪龍の都≫は標高五千mほどの山の頂点、そのカルデラ状の直径1kmほどの盆地を指す。

 周囲の山は最大数十m近く、東側が高く西が低い。

 遠くから見れば円柱を斜めに切り落としたようにも見えた。

 盆地の外は氷点下の吹雪が吹きすさび、おおよ生物の生存に適しているとは言えない。

 だが、その中に確かに営みがある。

 盆地の中には湖があり、家があり、広場も、畑もある。それらの空間には雪は降っているが、


「不思議ですね」


 畑の畦道に、薄く積もった雪を踏みしめながらトリウィアは白い息を吐いた。


「寒いですが、この高度を考えればむしろ暖かい。標高的にも空気が薄いはずですが、地上と変わらない」


「≪龍の都≫全体にそのあたりの環境保全の結界が張られているね。気圧室温湿度……その他もろもろ。雪自体があるのは季節感の為にある程度は通してるのかな」


 隣のアルマも周囲を見回しながら小さく顎を上げる。


「都市単位の大規模結界……王都のそれが有名ですが、それよりも高度ですね」


「そのあたりは流石神様という感じだ……ん」


 ふとアルマが足を止めた。

 視線の先、数人の龍人が畑を耕し、おそらく野菜の種を植えている

 

「…………腕をぐるぐる回して衝撃波で土を耕していますね。種まきは空を飛んで空から投球フォームで、地面にぶち込んでますが」


「うーむ、子供向けアニメみたいな光景だ。おまけにあれ、土地の活性魔法も同時に掛けているな」


 なるほどと、彼女は頷き、


「生活様式は原始的だが、龍人種故の魔法や身体能力なら十分なんだろう。外界から途絶されているから数百年単位で同じ技術のようだね。用意してもらった家も、綺麗で頑丈だがやはり数百年前に作られたものだったし」


「ふむふむ……興味深い……」


 遠く龍人族がこちらに手を振ったり曲芸飛びを見せててくれたのに手を振り返してから再び歩きだす。


「それで、どう思う?」


「ウィル君とフォンさんのことですね」


「あぁ」


「ふむ」


 彼女がジャケットの内ポケットから取り出し、煙草を吸い始める。


「アルマさん……というか掲示板の方はなんと?」


「君とのごたごた経験を活かしてウィルがフォンの気持ちを受け入れれば解決じゃね? とか言ってるのが一名」


「なるほど」


 トリウィアは長く息を吐きだし、


「その人、恋愛経験なさそうですね」


「くっ……!」


 数十秒、アルマが肩を震わせた。


「……いや、流石の切れ味。掲示板も大喜びだ。該当人物の恋愛遍歴は置いておいて。君がどう思うかは、僕も知りたいところだね」


「難しいですね」


 吐きだした煙は深々と降る雪に解けて消えていく。

 穏やかな空だ。

 冷たい空気が自らの輪郭を浮きだたせていくのを感じる。


「私の時はヘファイストスに対する駆け引きでウィル君に何も言わなず、彼を誘導しましたけど、今回はエウリディーチェ様がぬるっと全部バラしてくれたわけで」


「あぁ……アレは歴史的な好きバレだった……」


「フォンさんがウィル君を好きなことはみんな知ってることですけどね」


 それは見ていれば分かるというものだ。

 ウィルに対してはいつものテンションが高い元気な女の子という感じだが、彼がいない彼女は結構理性的だ。かなり厳しく鋭い言動もする。

 その落差は結構大きい。

 だから彼女の思いは、きっと彼女以外誰もが分かっていた。

 きっとウィルも。


「ウィル君はタイミングを見計らっていたでしょうけどね。フォンさんもまだ1年生だったわけですし」


「君や御影のついでで関係を変えるのはちょっと、みたいなことを言っていた」


「彼らしいですね」


 苦笑しながら紫煙をゆっくりと吐き出す。


「……確かに、単純といえば単純かもしれません。フォンさんの葛藤をウィル君が受け入れればそれで解決。話も早いですが……」


 雪空に消えていく煙を見上げながら彼女はその言葉を口にした。

 こんなこと、少し前までは想像もしていなった。

 知りたくもなかった。


「――――フォンさんは、翼を失うことになります」







 アルマはトリウィアにつられて空を見た。

 粉雪が降り積もる白味が強い灰の空だ。

 曇っているけれど、美しい。

 美しいけれど、晴れているわけではない。


「私はフォンさんが飛んでいる姿が好きなんですよね」


「僕もだよ」


「御影さんもカルメンさんもパールさんもアレス君も、学園のみんな―――いうまでも無くウィル君もそうでしょう」


 きっと彼女を知る誰もがそうだ。

 アルマにしても彼女ほど空を愛し、空に愛された存在は他に知らない。

 マルチバースを1000年見守って来て尚、そう思う。

 そんな彼女から翼が奪われるなんて。

 

「ウィル君は……なんというか、私たちの意思を尊重してくれます。けれど同時に彼の思う私たちみたいなのがあるんですよね。別にそこは私たちも乖離していないですし、そこをちょっとつついたのが秋の一件でしたけど……滅茶苦茶ウィル君に説教されましたけど……」


「アレはまぁ君が悪いよ」


 悪いというかやり過ぎたというか。

 結果的に見れば上手くいったのだけれど。

 それはいいとして、


「フォンの場合はまた特殊だ。彼女自身のルーツの話。彼女であって、彼女ではないものの意思。その混在と葛藤は……やはり難しいね。外野が口出す話でもない。……ただ、ウィルが言ったらそのまま受け入れそうだけど」

 

 例えばウィルがフォンの気持ちを受け入れたらのなら。

 それも勿論あり得る。

 彼女の気持ちを彼は気づいているし、彼にとって彼女は幸福の一部だ。

 だから掲示板でソウジが言ったように、終わらせようと思えば簡単だ。

 ウィルが今のフォンを肯定すれば、フォンはそのまま地に降りるだろう。

 でも。


「それが、良いことなのか、という話ですね」


「何とも言えないな。鳥人族にとって翼は命よりも重く……けれどそれ以上の想いがあるんだから」


 或いはフォンが翼を選んだとしたら。

 それはもしかしたらウィルに対する想いを、自分の心を否定するということかもしれない。

 愛を選んで魂を失うか。

 魂を失っても愛を選ぶか。


「それを本能の奴隷と見るのか遺伝子の継承とするのか……こればかりは、本人次第だ」


「ウィル君はこういう問題には迷いそうです」


「僕もそう思う」


 だから、彼はきっと動けないのだ。

 彼女に対する言葉は彼女の根幹を変えてしまう。

 人生の岐路における選択を、彼女自身ではなくウィルが決めてしまえる。

 ウィルはそれを望まないだろう。


「難しい問題ですね」


 空を見上げたままトリウィアは息を吐いた。


「フォンさんに飛んでいて欲しいというのは私たちの我がままでしょうか」


「……かもね。僕らにはフォンの答えを受け入れることしかできない」


「御影さんは」


「うん?」


「御影さんなら、良いアドバイスができると思います」


「あぁ、確かに。彼女は面倒見がいいしね。今はフォンと仙術の訓練だっけ」


「えぇ」


「ふむ……なら、御影がいい感じのアドバイスを送ることを期待しようか」


「ですかねぇ。どうにも、私は考えすぎて何と言えばいいか困ります」


「僕もだ。……ウィルの背中を押すのは、彼が望んでいることが分かりやすいんだけどね。今回はそうもいかないし」


 溜息を吐いた。

 アルマは思う。

 遥か遠い過去から訪れた運命に対面するクラスメイトを。

 それは追い風なのか向かい風なのか。

 

「アルマさんならどうしますか?」


「ん?」


「もしもフォンさんのように、自分の心に板挟みにされたらどうやって対処します?」


「君は?」


「―――自らの叡智を以て総取りします」


「ほんとにそれでウィルとの婚約もぎ取ったから何も言えないな……」


 アルマは視線を空から降ろした。

 白い雪の道。

 振り返れば自分とトリウィアの足跡。

 心の板挟み。

 ウィルとの関係は愛に従った。

 或いは、それより前は?

 そんなことを思って、思わず自嘲した。


「さぁ―――どうだったかな」

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