ガール・ティーチ・ボーイ その2
中庭に降り注ぐ秋晴れは少しづつ落ちていき、世界が黄金色に染まっていく。
建物の影が大きくなっていく中、それでもプールを背にしながら煙草を蒸かす彼女を洛陽が包み込んでいる。
そんな彼女をウィルは見つめている。
眼鏡の奥の青と黒の双眸。
目が合い、ウィルは苦笑しながら首を傾け、トリウィアは煙を吐き出した。
「……君の≪外典系統≫。凄いですけれど、ちょっと困りますね。困るというか」
「恥ずかしい、ですね」
≪我ら、七つの音階を調べ合おう≫。
それにより、戦いの中で二人の意識と想いは繋がり溶け合った。
だからお互いがお互いをどう思っているのか、どうしたいのか知っている。
一度お見合いが破綻して彼女が今の形を考えていたけれど、ヘファイストスのせいでこうして伸びてしまった。
遠回りをしてしまったけれど、それもいいかなと思う。
共鳴し、調和し合ったあの時間はあまりにも尊いものだったから。
「後輩君」
「はい」
「………………ふむ」
彼女は彼の名を呼び、少し考え、
「私の旦那は、つまり私と結婚しても帝国での権力に全く興味がない人じゃないとダメになったんですけど―――君が、適任だと思うんですが、どうですか?」
「……ごめんなさい」
答えは苦笑気味の断りだった。
トリウィアも思わず失笑する。
同じようなことを言って、一度振られた。
そりゃそうだと、今更彼女は思う。
こんな言い方で、彼が受け入れてくれるわけがない。
トリウィア・フロネシスは別に最適解を選ぶことが得意ではない。
間違えて。
学んで。
知って。
そしてやっと正解に辿りつける。
「なら――」
だから、口を開き、
「――――先輩」
ウィルがそれよりも先に動いていた。
流れるような足取りでトリウィアの目前に。
彼女に自らの右手の甲を差し出した。
「次は僕から、いいですか?」
「―――」
青と黒の瞳が見開かれる。
驚きは一瞬だった。
「……意味は理解しています?」
「えぇ、ディートさんから聞きました」
頷き、煙草を携帯灰皿に捨てる間に息を整える。
目を細め、頬の笑みは抑えきれず自らの左手の平を彼の掌に重ねながら答えた。
ウィルは自分の手と共にくるりと上下を入れ替える。
頭を下げ、額を彼女の手の甲に近づけた。
コツン、と。トリウィア自ら、ウィルの額に触れ、すぐに離れる。
ウィルは顔を上げなかったし、トリウィアはその流れを見つめていた。
左右の手のどちらを受け取るか。それが最初の選別。
そして近づけた額を触れてくれるかどうか。それが二度目の選別。
そこまで続いたのなら、
「―――んっ」
ウィルは彼女の手に恭しく口づけし、トリウィアは彼の唇の感触に小さく声を漏らした。
「先輩」
「はい」
「僕は先輩が好きです。貴女が僕にとっての幸福です。ですから、利益があって誰かと結婚するのではなくて―――僕が貴方を誰にも渡しくないから、僕と結婚してくれませんか?」
それは紛れもないプロポーズだった。
かつて舞踏会で、ウィルはその意味を知らずに行った。
けれど一週間ディートハリスに付き合わされる中でその意味を教えてもらった。
だから彼は、その名の通りに。
真っすぐな意思で想いを伝えたのだ。
「……っ」
トリウィアの手を握る力が強まった。
胸の中で暖かいものが爆発しそうだった。
それは少し前までは知らなくて、けれどウィルとの共鳴が教えてくれたもの。
だから、その底なしの温もりに彼女は逆らわず、
「はい……!」
手を引き、ウィルを立ち上がらせて抱きしめようとして、
「あっ」
「えっ」
勢いが付きすぎて、背後のプールへ二人で落ちた。
●
「――――ぷはっ!」
派手な水音を立ててプールに飛び込んだが、幸い水深はさほどでもなかった。
水底に足がついて尚、ウィルの肩下あたり程度だ。
頭を振り、水滴を飛ばしながら目を空ければ、
「あ、ちょ、後輩君! わっ、っと……!」
「おっと」
妙に慌てた動きでウィルの首に腕を回し縋り付いてきた。
「ふぅ…………うぅ……びっくりした……」
「…………先輩?」
いつも余裕がある彼女には珍しい姿。
「泳げないんですか?」
「それは」
トリウィアは表情を崩しながら説明をしようとした。けれど相手がウィルであるのならもういいかななんて思い、彼の首に回した腕の力を籠める。
「泳げない、わけではないですけれど。王国で一通り覚えましたし。ただ……その、帝国では泳ぐ習慣もなければ、常冬の国で川に落ちれば命の危機も同然、なので……その……得意ではない……というか……」
「……意外です、先輩にもできないことあるんですね」
「泳げないわけではないですから。そこは勘違いしないように。ただ、可能な限り腰から上の水深の水場に入りたくないだけです。それだけですよ? いいですか?」
「ははっ。えぇ……はい。大丈夫です。先輩は、いつだってかっこいい先輩ですから」
「むぅ」
初めて見るような様子にウィルは笑ってしまい、揶揄うような言い方に少しだけ頬を膨らませた。
それからお互い、額がくっつきそうな距離で密着していることに今更気づいた。
「……あはは」
「ふふっ」
ウィルは首を傾げながら笑い、トリウィアは小さく笑みをこぼした。
「先輩の知らない一面を見れて、嬉しいですよ」
「……うん」
彼女ははにかみながら頷く。
縋り付くのではなく、ちゃんと抱きしめて。
「…………私も。誰かに知ってもらって嬉しいと思うなんて、思わなかったな」
濡れた頬と頬が重なる。
晴れているとはいえ秋の終わりに水の中にいれば当然寒い。
魔法を使えばいいけれど、今はただお互いの体温を感じたかった。
「…………もう、私がやり直そうと思ったのに」
「あぁいうのは、僕から言った方がいいかなって」
「うーん……私はどっちでもいいけど。でも、確かにすごく嬉しかった」
くすくすと、彼女は笑う。
いつもの冷静で無表情な彼女とは違う。
ウィルにだけしか見せないような言葉遣いと雰囲気で。
「ねっ、ウィル君」
「はい」
「トリィ」
「はい?」
「私の旦那さんになるなら、トリィって呼んで欲しいな。家族はそう呼ぶんだよ」
「へぇ……」
「あと、君と御影さんが呼び方変わったの見て羨ましいなーなんて思ってた。ついでに敬語も止めてみよう?」
「…………そんなこと思ってたんで……思ってたんだ」
「実は凄く」
「なるほど――――トリィ」
「―――――――」
「トリィ?」
「………………いや、ごめんね。御影さんが凄く興奮するって言ってたの理解した」
「あはは……」
「私もウィル君でいい?」
「勿論だよ、トリィ。昨日、何度か呼ばれてたからそれで通すのかと思ってた」
「あれは……ほら。感情が高ぶっちゃった、みたいな感じ」
「そっかぁ」
「うん、そうだよ」
くすくすと笑い、ずぶ濡れの体を重ね合わせて体温を分かち合う。
胸に溢れるこの温もりまで相手に届いて欲しいと思いながら。
「……」
額を重ね、見つめ合い、
「――――ん」
唇を重ねた。
触れ合うような口づけ。
すぐに離れて、
「……これは、凄い」
「うん」
「次は御影さんとしているようなやつがいい」
「もしかして御影から根掘り葉掘り聞いたりしてる?」
「うん」
トリウィア・フロネシスが聞かないわけがなかった。
頷き、すぐに再び唇を押し付け、啄むようなキスを。
「ぁむ……ん……」
唇同士を食み合い、
「んっ」
「ぇろ……ちゅ――ふぅ……っ」
口が開いた瞬間に、トリウィアが舌をねじ込み、絡め合う。
そのまま彼女の舌は貪るように、初めての感触と快感に震えていた。
「ふぐっ……ちょ、んん……トリィ……!? 待っ……」
「ふゅ……ちゅ、ちゅっ……んれぇぉ――」
ウィルの静止も聞こえていなかった。
彼女の貪る様なキスはたっぷり一分近く続いた。
やっと唇が離れ、銀色の端が掛かる。
「………………ふわぁ」
「はぁ……はぁっ……」
「…………これは、凄い。今、御影さんへの解像度が滅茶苦茶上がった」
「………………」
ウィルは思わず頬を引きつらせた。
冷静に考えると。
性欲のお化けの御影とあらゆる知識欲の権化であるトリウィアの組み合わせは色々拙いような気がしてきた。
脳内で、やっと舌を少しふれ合うようなキスができるかなというアルマが手を振っているような気がした。
どういう感情なんだ?
「……ねぇ、ウィル君」
トリウィアが体を擦りつける様に寄せ、水面下で自らの足をウィルのそれに絡めた。
そして、彼の耳に口元を寄せて囁いた。
間違いなくこれも御影から学んだことだと、冷や汗を掻いた。
「ここのお店ね。帝国貴族御用達で色々融通も効くし、レストランだけど元々御屋敷を改造したものだから宿泊も頼めばできるんだ」
くすりと、彼女は笑い、吐息が耳元を撫でる。
その瞬間。
ウィルには本当に―――――彼女が悪魔に見えた。
「だから今から、私の知らないことを―――いっぱい教えてね?」
―――≪ウィル・ストレイト&トリウィア・フロネシス―――ボーイ・リーズ・ガール―――≫―――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます