File2 診察
ミスティに案内されて連れてこられたのは、ヴァルベロン郊外の田舎にある一軒の屋敷だった。
豪奢ではないものの、しっかりとした構造をしていて、庭の手入れもきちんとされている。一目見た感想としては、貴族の別荘と言ったところだろうか。
いや実際その通りなのだろう。ミスティの公爵令嬢という立場からして、友人のナダちゃんとやらも、それなりの身分をした少女なのだろう。
「その、ナダっていうのはどんな子なんですか」
黄色い薔薇の咲き誇る庭を横切り、玄関を目指して歩きながら、俺がミスティに問いかけると。
「ナダちゃんは私の通っている女学院のクラスメイトで、ダルシェマール子爵家の令嬢です」
薔薇の香りを吸い込みながら、ミスティはナダについて話してくれた。
「身分は少し離れていますけど、ナダちゃんはとってもいい子で、私たちとっても仲良しなんですよ」
「なるほど……」
確かに公爵と子爵では、身分が二つほど離れている。一般市民の俺からすれば、どちらも雲の上の存在に思えるのだが。家柄と身分がすべてな貴族の世界では、身分の差というものはとても大きな意味を持つに違いない。
そのうえで、ミスティとナダは仲が良い友人なのだという。現にミスティは潜りの悪魔祓いである俺に依頼してまでナダを救おうとしているし、彼女のナダに対する友情は本物なのだろう。
ただ……何か少し嫌な感じがする。悪魔祓いとしての勘に過ぎないため、せいぜい心にとどめておく程度だが、こう見えても俺の勘は結構当たったりするのだ。
「ごめんください、ミスティです」
玄関のしっかりした扉をノックして、ミスティが声をかけると。足音がして扉が開き、中年の痩せたメイドが顔を出した。
「いらっしゃいませ、ミスティ様……そちらのお方は?」
「悪魔祓いの方です。怪しい者ではないので、一緒に入れてください」
メイドはまじまじと俺のことを見つめてきた。一応偽造した教会の紋章や悪魔祓いの免許証は持っているが、出来ればこのまま入りたいところだ。
しばらく俺のことを見つめていたメイドは、一歩下がると扉を大きく開いた。
「ミスティ様のお知り合いなら大丈夫でしょう。どうぞ、お入りください」
「お邪魔します」
軽く頭を下げて、俺はミスティと共に屋敷の中に入る。
入ってすぐの小さなホールには、正面に感じのいい風景画が飾られており、あのメイドの手によるものかしっかりと掃除が行き届いていた。
「それでは、私は家事のほうに戻らせていただきます」
メイドがお辞儀をして去ると、ミスティは俺を一度振り向いてから、屋敷の中を歩き出す。
「ナダちゃんの部屋はこちらです。悪魔に憑かれてから、ずっと寝たきりで」
「なるほど」
手に持った道具箱を揺らしながら、俺は大人しくミスティについてゆく。この箱の中に入っている道具で、大抵の診察は済むのだが、果たして今回はどうだろうか。
ナダの部屋は二階の一番東にあった。部屋の扉の前に立ったミスティは、扉を軽くノックする。
「ナダちゃん、私です。入りますね」
ミスティが扉に手をかけて引くと、鍵はかかっていなかったようであっさりと開いた。部屋の中は薄暗く、俺は少し目を慣らしてから入ることにした。
部屋の中はいかにも貴族の少女の自室といった、豪華かつ可愛らしい内装をしていたが。腹が裂けたぬいぐるみが転がっていたり、鏡に細かなひびが入っていたり、壁紙に爪痕がついていたりと。一目見ただけではっきりと、ナダが異常をきたしていることが見て取れた。
先に部屋に入ったミスティは、中央に設置された天蓋付きのベッドに駆け寄る。
「ナダちゃん、調子はどう?」
返事はなかった。俺がミスティに近づくと、ベッドの上にネグリジェを着た一人の少女が横たわっているのが分かった。彼女が件の、ナダちゃんなのだろう。
「悪魔祓いさんを、連れてきたから……ねえ、起きてる?」
返事はない。代わりに横たわったナダから、獣のものと思えるような悍ましい唸り声が聞こえてきた。
「ミスティ、離れろ!」
俺が素早く道具箱を開き、中から小型のチャームを取り出したのと。跳ねるように起き上がったナダが、ミスティの首に手を伸ばしたのは、ほぼ同時だった。
「ナダちゃ―――かはっ」
「う、うるるるぅぅぅ、るるるるぅぅぅぅ!」
狂ったように叫びながら、飛び掛かったナダはミスティの首を掴むと、彼女を床の上に押し倒す。動かないようにしっかりと体重を掛けながら、ナダは首を掴んだ手に力を込めた。
目を見張り、首を絞められたことによって、酸欠でパクパクと口を動かすミスティ。この状況で、手段を選んでいる余裕はない。
俺は迷わず、ミスティに覆い被さるナダの顔を蹴り上げた。
「ウラガッ」
呻き仰け反ったナダの背後に回り、脇の下に両腕を突っ込んで引きはがす。同時に口で悪魔祓いの文言を唱えながら、チャームをナダの体に食い込ませた。
悪魔の取り憑いた人間の力は強く、引きはがすのは難しいのだが。チャームで一時的に力を弱めることによって、何とか引き剥がすことに成功した。
「ウガアッ、ガアアアァァァ!」
ナダは暴れるものの、チャームを食い込ませているおかげで、今は普通の少女に毛が生えた程度の力しかない。つまり俺一人の力でも、押さえつけることが出来るということだ。
「けほっ、な、ナダちゃん……」
暴れるナダを必死に押さえつける俺の横で、ミスティが喉を押さえながら起き上がった。震える彼女に、俺は腕に力を込めながら叫ぶ。
「ミスティ、俺の道具箱から、ハンマーと釘を出してくれ!」
俺の指示を聞いて、ミスティはまだ震えながらも、弾かれたように道具箱へ手を伸ばす。
ミスティが反応したのを見て、俺はナダをベッドの上へと投げ飛ばす。同時に食い込ませていた、チャームを抜きながら。
「釘とハンマーを!」
「は、はい、これどうぞっ」
チャームを抜いたことによって憑依した悪魔が力を取り戻す前に、ナダを抑えつけなければならない。俺はミスティから手渡された釘を、手早くベッドの四隅に打ち付ける。
これで準備は完了。俺はチャームを手に絡めると封印の印を作り、呻くナダに向けて文言を唱えた。
「―――、―――」
訓練を積んだ悪魔祓いにしか唱えることのできない、特殊な音声で構成された文言。唱え終わると同時に、ナダの体が青白く光る結界に包まれる。
「ウ、ウガッ、ウルルル……」
結界に触れようとしたナダが、慌てた様子で手を引っ込めるのが分かった。どうやら本能的に、自分にとって害のあるものだと気が付いたようだ。
俺は指を組み替えると、静かに言った。
「―――眠れ」
結界を通して下された命令によって、ナダの動きは少しずつ鈍くなって行き、やがて静かな寝息が聞こえ始めた。
どうやら効いたようだ。俺は手を下ろしてチャームを外すと、額の汗を拭って息を吐き出す。
「シェ、シェーマスさん……」
一息ついた俺に、首を押さえたミスティが、恐る恐ると言った様子で声をかけてきた。俺はそんなミスティを安心させるように、軽く微笑んで見せる。
「ひとまずはこれで大丈夫です」
「よ、よかった……」
安堵のため息を吐きだしながら、ミスティはその場に座り込んだ。恐怖と緊張の糸が切れたのだろう。
「しばらくそこで休んでいるといいでしょう。その間に、俺は『診察』をします」
道具箱にハンマーを戻し、代わりに鏡を取り出しながら、俺は眠るナダに視線を向ける。
「といっても……彼女に悪魔が憑いているのは、もう確定的ですが」
立ち上がって、腕まくりをして。ナダに向かって鏡を向ける。鏡は両面になっていて、片面には判別の為の魔法陣が描き込まれている。
文言を唱え魔法陣を起動すると、俺は鏡を覗き込む。最初は俺の見慣れた顔が映っていたが、次第に顔が変化していって、すぐに黄色いもやのようなものに変わる。
「なるほど……やはり、悪魔の煙か」
もやのような姿をしたこの悪魔は、悪魔の煙という。これはどちらかというと呪いに近い存在で、呪詛をベースに生み出された寄生生命体と言ったところだろうか。
召喚するには正しい知識と、ある程度の金銭。そして対象に対する莫大な憎悪のエネルギーが必要であり、召喚に成功すると対象に憑依して内外問わず害を与え続ける。
つまりナダは何者かに恨まれ、悪魔の煙を憑依させられたことになるだろうが。それにしては少し、気になることがある。
さらに詳しく調べるため、俺が一度鏡を下ろすと。いつの間にかミスティが立ち上がって、俺のことを真っ直ぐ見つめていた。
「何か気になることでも?」
俺がミスティに顔を向けると、ミスティは心配そうに、ナダへと顔を向ける。
「あ、あの……ナダちゃんに取り憑いた悪魔は、無事に祓えそうですか」
首を絞められかけても、友達が心配ということだろう。俺は悪魔の煙が映った鏡を下ろして、ミスティにまた微笑みを投げかけた。
「大丈夫です。彼女に憑いている悪魔を祓うのは簡単です。ただもう少しだけ、診察させてください」
「本当ですか?」
俺の言葉に、ミスティは嬉しさ半分、驚き半分と言ったような顔をして見せた。その表情が、俺は少し気になった。
「あ、あの、実は……」
疑問が顔に出てしまったのだろう。ミスティは少し申し訳なさそうに目を伏せた。
「シェーマスさんの前に、ある人物にミスティを見てもらったんです」
「ある人物?」
「ユスフ、ユスフ・フルスコという、ナダの元婚約者の青年です。彼、王立術師団に所属する魔術師で……」
王立術師団といえば、この国の最高峰の魔術師が所属する機関である。戦闘部隊と研究機関が中心だが、中には魔法障害の治癒を生業とする魔術師もいるため、ナダを診察してもらうこと自体は何らおかしくないのだが。
問題はそのユスフという青年の身分ではなく、その前に付けられた一言の方だった。
「元婚約者?」
「はい。ユスフはナダの元婚約者でした。二人はとっても仲が良かったんですが、ある日突然、ユスフはナダとの婚約を破棄したんです」
「理由に思い当たることは?」
「いえ、特には。ユスフはとても優しい人で……って、何でこんなこと聞くんですか。今は関係ないことでしょう」
質問に答えかけてから、やや不機嫌そうに頬を膨らませたミスティを、俺は片手で宥めながら言った。
「単なる、参考ですよ。悪魔憑きと人間関係は、切っても切れない関係にあるもので」
「そう、なんですか?」
これは本当のことだ。憑依している悪魔が、黄色い悪魔の煙だった場合はなおさらのこと。
「ちなみに、ユスフという青年は、ナダに対してどんな診断を下しましたか?」
鏡を片付けて、スプーンに似た測定器具を取り出しながら。俺は何気ない感じを装って、ミスティに聞いて見ることにした。
ミスティは俺の問いを受けて、目を伏せて胸の前でぎゅっと手を握りしめた。
「ナダちゃんには、強力な悪魔が憑依していると言っていました。自分はもちろん、国内最高峰の悪魔祓いですら、祓うのは難しいんじゃないかと」
予想通りの答えだ。俺は測定器でナダに憑依した悪魔の煙の力を測りながら、微かに笑って見せた。
「……そんなことはまったくありません。ナダちゃんに憑依している悪魔の煙は、ミラ内の悪魔祓いでも容易く祓えるものですよ」
「そう、なんですね。あのユスフにも、間違うことがあるなんて……」
ユスフがナダの悪魔について誤診した理由は。憑依している悪魔について何も分からないことが恥ずかしく、口から出まかせを言ったか、あるいは―――
ミスティは釈然としていないようだったが、測定器の方は絶好調で、これまた予想通りの数値を叩き出していた。
測定器を下ろすと、俺は道具箱から再び鏡を取り出して、俺はくるりとミスティに向き直った。
「そうだ。念のため、あなたも診察しておきましょう」
「え、私もですか?」
「一応悪魔に取り憑かれた人間に襲われましたからね。多分大丈夫だとは思いますが、万が一何かあってはいけない」
「そうですね……お願いします」
頷くミスティに対して、俺は鏡をかざすと、ある特定の文言を唱えた。
文言に反応して魔法陣が起動し、鏡に写る俺の顔が変化していく。やはりこれも予想していた通りの結果が出てくれた。
「終わりました、特に問題はないようです」
「良かった……ありがとうございます」
「いえ……」
鏡を仕舞うと道具箱を閉じ、俺は改めて結界の中で眠るナダへと視線を向ける。
「さて。後は彼女に憑いた悪魔の煙を祓うだけですが……ある程度、準備が必要です」
「と、いうと……新月の夜を待ったり、清めの魔法陣を床に描いたり、といったことですか?」
不安げな顔をするミスティに、俺は頭を振ってからにやりと笑う。
「いえ。いくつかの道具を用意して、夜を待てば今日にでも悪魔祓いを決行できますよ」
新月を待って大仰な魔法陣を用意して儀式に挑むのは、三流悪魔祓いのやることである。俺ぐらいのベテラン悪魔祓いになれば、月齢なんぞに左右されなくても、より簡単で確実な方法を使うものである。
「本当ですか?!」
打って変わって目を輝かせるミスティに、俺は頷いて見せた。
「ええ。今晩このままやっちゃいましょうか。善は急げ、とも言いますしね」
「はい、お願いします!」
胸に手を当てて、ミスティは頭を下げる。一刻も早く友人を救いたくて、仕方がないのだろう。
だが悪魔祓いを行う前に、俺はミスティに確認しておかなければならないことがあった。
「……一つ、お聞きします」
床の上に置かれていた道具箱を持ち上げながら、俺は真剣な眼差しをミスティに向ける。
「なんでしょうか?大抵のものならば、すぐに用意できると思いますが―――」
「本当に、祓ってしまって大丈夫なんですね?」
俺の質問に、ミスティはきょとんとした様子で首を傾げた。
「どういう、ことでしょう」
「ナダちゃんに取り憑いた悪魔の煙を祓ってしまって、あなたは本当に後悔しないのですね?」
「おっしゃってる意味が分かりません」
俺は真面目に話しているのだが、ミスティはどうやら質の悪い冗談だと受け取ったらしい。小さく笑って、力強い口調で断言した。
「そもそも私が依頼したんじゃないですか。私がナダちゃんを、友人を救うことに、何の異論や後悔があるというのです?」
「そうですか……分かりました」
冗談と思われてしまったなら仕方ない。一応警告はしたのだ、後でどれほど悔やんでも俺は知らない。
近くにあったドレッサーに置かれた、メモ用紙とペンを拝借して、俺は悪魔祓いの儀式に必要な物のリストを書き込んだ。
「今日の零時までにこれらの品を、この部屋まで用意させてください。俺の方でも準備をしておくんで」
ミスティにメモを手渡すと、彼女は力強く頷いた。
「もちろんです。シェーマスさん、ナダちゃんをよろしくお願いします」
「……」
メモを持ったミスティが部屋から出て行くと、俺は結界の中で眠るナダに視線を向ける。
ミスティから引き離すときに俺が蹴りを入れてしまったせいで、ナダの鼻は赤くなって腫れていて。長いこと寝たきりだったせいか、髪も素肌も乱れた酷い状態だったが。
きちんと身なりを整えて、にっこりと笑いさえすれば、ナダはそれなりの美人であることが分かる。
もっとも。彼女の友人であるミスティの、陶器の人形のような儚い美しさには遠く及ばないのだが。
「身分の違う二人の令嬢が、友人ね……」
顎を撫でながら呟いてから、俺はベッドにくるりと背を向けた。
たとえどんな結果になろうと、仕事はきっちり果たさなければ。俺はドレッサーの上に道具箱を置くと、儀式の為に部屋の家具を整理し始めた。
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