第3話

 走る。走る。走る。サイレンの音を背後に受けながら、私を抱えてお姉さんは走った。目的地はここから近い私のアパート。どうしてこんなことになっているんだろう。非日常感に襲われながら、私が考えていたのは一つだけ。


「あぁ、タイムカード切らずに出てきちゃったなぁ……。」


 今日の給料はどうなるんだろう。早退扱いにしてもらえるのかな。頭を過ぎるのは、そんなことばかり。そうでもしないと、この訳の分からない状況に頭がどうかしてしまいそうだったから。いや、実際どうかしてしまっているのかもしれない。普通はもっと騒ぐし、混乱するだろうから。

 一度説明しただけで、お姉さんは迷い無く私のアパートまで辿り着いた。2キロ位あったはずだけど、息一つ乱れていない。さっきまで聞こえていたサイレンの音も聞こえてこない。どうやら振り切ったみたいだ。私達は別に悪いことをしていないんだし、逃げる必要もないのでは、とも思ったけど、私達は何故か魔法少女達に追いかけられていた。パトカーには何も言われなかったのは何でだろう。

 でも、そんなことを気にしている暇はなかった。お姉さんは何かを焦っているのか、背後をよく確かめている。


「鍵はある?」

「持ってます。」


 お姉さんを連れ、コーポQの2階へ。白塗りの壁は年季が入っていて黄ばんでいる。所々軋む床を歩きながら、206号室の前に立つ。そういえば、自分の家に人を招き入れるのはこれが初めてだ。その初めてが、初対面の魔法少女お姉さん。何とも貴重な来客だ、と思いつつ鍵を回して、扉を開けた。


「汚い所ですみません。トイレはこちらで、お風呂はここです。あ、何か飲みたいものとかあったりしますか?」


 これまで暇な時に繰り返してきた、友達が来た時シュミレーションをすらすらと実践する。ただ、お姉さんは「お邪魔します。」と1言言ったきり、壁にもたれている。すぐに出て行くから、くつろぐ必要はない、と言いたげな格好だ。


「今、お茶とか入れますねっ。」

「いや、気にしないで。」


 それよりも、と言ってお姉さんは近くにあった私のリュックサックを持ち上げた。持ち手に括り付けた兎の人形がふわりと揺れる。


「ここに必要なもの、大切なものを詰めて。」

「え?」

「いいから、早く。」


 この人は何を言っているのか。問いただしたい所だったけれど、お姉さんの目はマジだった。ここで逆らえば、眉間をステッキハンドガンで撃ち抜かれかねない。私は渋々鞄に荷物を詰め始めた。

 バイト先に持っていっていたのが、どうでもいい鞄で良かった。お姉さんのゴタゴタでロッカー室に行く暇がなかったからだ。ごめんよ、私の鞄。もう迎えには行けないかもしれない。心の中で謝っておく。

 パソコン、充電器、実家から届いた手紙、お気に入りの小説、服。後は入り切らないから諦めた。暮らし始めて半年のアパートはものがいっぱいで、でも、必要な物は意外と少なかった。ようやくまとめ終わったのを、報告しようとお姉さんの方を向いた時。自分の近くに何かが飛んできた。


「くま……?」


 それは白いお餅のようなくまのぬいぐるみだった。こんなもの、部屋にあっただろうか。気になって拾おうと伸ばした手は、お姉さんに掴まれた。強い力で引かれる。耳元でお姉さんが囁いた。


「それ、爆弾だから。多分、あと五秒くらいで爆発する。」

「え!?」


 爆弾。魔法が使えるようになった世界でも、その言葉を日常生活で聞くことはなかった。あってもそれはテレビやスマホの中の話で。目の前に、くまのぬいぐるみの形をして現れるようなものじゃない、もっと曖昧な何かだった。可愛らしい見た目とその物騒な実力に動揺する私を他所に、お姉さんはくまのぬいぐるみを蹴り飛ばした。くまは、お餅のようなボディをきりもみ状に回転させながら、玄関の扉へとぶつかった。ぽて。可愛らしい音と共に扉の最底辺部分まで滑り落ちるくま。

 何だ、やっぱり人形じゃないか。安心した私の頭をお姉さんは押さえつけた。そして一言。


「伏せて。」


 もう伏せさせられてます、そう言いたかったけど遅かった。例え言っていたとしても意味がなかっただろう。次の瞬間、全ての音は爆発音に呑み込まれたのだから。鳴り響く轟音の発信源はもちろん玄関。薄い扉がひしゃげる音と、誰かの悲鳴。誰か巻き込まれた人がいるのだろうか。ごめんなさい、と謝りつつリュックサックを背負う。

 何で必要なものをまとめろ、と言われたのか分かってきた。さっきの追手が追い付いてきたのだ。何故追われているのか、何故私まで逃げないといけないのか、分からないことばかりだけど、次に何が起こるのかは大体分かっていた。


「また走るから。掴まって。」

「うわっ。」


 私はまたお姉さんに抱きかかえられた。今度は顔にジャケットをかけられて。慣れてくると適切な位置取りができるようになってきた気もする。

 お姉さんはそのまま玄関へと足を向け、途中で方向転換した。勢いをつけ、窓へと迫る。顔にかけられたジャケットの隙間から、窓を突き破る様子がスローモーションで見える。どうして先に窓を開けておかなかったのか、そんな想いは胸にしまうしかなかった。窓から落ちる恐怖に耐える方が優先だったから。


「落ちてる、落ちてる、落ちてます!!」

「静かに。舌を噛むよ。」


 慌ててお口をチャック。そのすぐ後に、顔の辺りに熱さを感じた。見れば、ジャケットが焼き切られ、一本の筋が入っていた。二つに割かれたジャケットが顔からひらりと舞い落ちる。開けた視界に映るのはメルヘンな世界。ひらひらでふわふわのドレスを着た女の子が五人。その内の一人は司令官なのか、一歩後ろに立っている。これがお茶会の誘いなら嬉しい限りだけれど、彼らから放たれる殺気がそれを許してはくれない。

 魔法少女は本来人智を超えた化け物や違法なマジックアイテムを使って暴れる人間を倒すためにいる。それが何故お姉さんを狙うのか。この中でただ一人、クエスチョンマークを浮かべる私を置いてけぼりにしたまま、お姉さんも戦闘態勢に入った。私を右手で支えたまま、左手でステッキを握るお姉さんは明らかに戦いづらそうだ。それは相手も分かっているのか、司令官っぽい人物が他の魔法少女を下がらせた。

 

「わたしたちに人質作戦が通用すると思っているなんて、お子様だな。。」


 その子は小さかった。銀色を基調にして白のフリルが付いた可愛らしいロリータドレスを着ている。中身は分からないけれど、見た目だけなら小学生で通じるレベル。極めつけは、その手に持ったテディベア。にいっと笑うくまは、この状況に不釣り合いなほどご機嫌そうだ。司令官幼女はふわふわのくまが似合うふわふわな声で告げた。


「指名手配#2【夢見鳥ゆめみどり壊錠かいじょうあおい。魔法少女殺害の罪で逮捕する。」


 初めから終わりまで危険な単語でいっぱいだった。一つでもその意味を考えれば身構えてしまうような文字の羅列の中で、唯一聞き取ったのはお姉さんの名前。

 かいじょうあおい。どんな字を書くのかな。お姉さんならきっとカッコいい字に違いない。だって、今もお姉さんはその目の闘志を絶やさない。


「嫌だ、と言ったら?」

「そのお荷物ごと消し去るだけですよ。」 


 司令官幼女が小さな手を挙げると、背後に控えていた少女たちが一斉にステッキを構える。戦闘準備オーケー、可愛いけど物騒だ。お荷物、と言われてなお、お姉さんは私を降ろそうとはしない。それどころか強く抱きしめた。お姉さんの口が耳に近づく。


「これからまた落ちるよ。」


 何を言われたのか一瞬分からなかった。聞きなおそうとした時には既にお姉さんは動き始めていた。手に握られていたのは、小さめのパイナップル。それを素早く口元に持っていくと、口でピンを引き抜いて投げた。

 放物線を描いて飛ぶ緑色のパイナップルを前に、司令官幼女がまだ気が付いていない背後の少女たちに命令を下す。


「砲撃止め、退避っ!!」

 

 おっかなびっくり少女達が飛び退いた瞬間、パイナップルは破裂した。恥ずかしながら私はその時になってようやくそれが手榴弾だと気が付いた。破裂と共に鳴る黒板を引っ掻いたような音。私の両手はお姉さんの首元に回っていて、耳を塞げない。

 このまま生き地獄を味わうのか、と絶望していた私は徐々に音から遠ざかっていることに気づかなかった。正確には、落ちている。地上よりさらに下。丸い筒の様な空間を私は落ちていた。後からすかさずお姉さんも落ちてくる。こちらに手を伸ばすお姉さんの姿を見ながら、思い出す。昔見た映画を。敵に塔から落とされたヒロインを助けるために、ヒーローは必死に後から落ちて追いかける。結果的には追いつくけれど、落下の衝撃を殺しきれずにヒロインは亡くなってしまう。そんな後味の悪い映画。

 その映画の通りなら、私は自分が巻き込まれた状況が分からないまま死ぬのだろう。ヒロインですらない、ただのモブだ。まぁ、モブなら死んでも仕方ないか、という思いと死んでたまるか、という思いが拮抗する。

 指名手配や殺害だなんだ言われていたけれど、バイト中の私を助けてくれたお姉さんはまさしくヒーローだった。どうせモブでも、ヒーローに助けられるモブがいい。だから、私は手を伸ばした。

 身体に衝撃が走り、私の身体は勝手に意識を手放した。身体にさえ私は置いてけぼりにされてしまった。


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