いくら後悔しても時間は巻き戻せない

 なのにその日は、前日にいつも自分を買ってくれる男がいつも以上にチップを奮発してくれたことで上機嫌になり、いつものイライラした気分がかなりマシになっていた。その為か玲那に対しても態度や言葉遣いが柔らかくなり、戸惑わせたりもした。

 でもそんなこともどうでもいい。今度会う時には新しい携帯をプレゼントしてくれるという約束もしてもらって、その上、服やバッグまで買ってくれるというのだ。自分のことがそれだけ評価されたと感じて、とにかく嬉しかった。

 だから、いつも以上に注意力が散漫になっていたのだろう。いつも、赤信号になっていても自動車が近付いてさえいなければ気にせず無視して渡っていた小さな交差点に差し掛かった時、普段なら自動車が来ていないか確認してから渡るはずがそれを怠ってしまったのであった。

 そういう時にこそ、えてして間の悪いことが起こるものということか。運悪くそこに酷くスピードを出して交差点に進入してくる自動車があった。しかもその自動車の運転手も携帯電話で話すのに夢中になって、前をよく見ていなかった。

「…え?」

 気付いた時にはもう遅い。いくら後悔しても時間は巻き戻せない。小学生としては大柄で中学生にみられることもよくある彼女でも、自動車が相手では勝ち目などない。

 悲鳴を上げる暇さえなく、彼女の体は空中高く跳ね上げられ、でたらめな思考が脳内を駆け回ったその数瞬後、何もない真っ暗な世界へとその意識は呑み込まれてしまったのだった。


 敷井出しきいで莉愛りあ。享年十二歳。死因、脳挫傷及び全身打撲。


 その現場を目撃したものは、腕も足も首さえもあらぬ方向へと捩じれて折れた恐ろしい遺体を目にすることになったという。

 だが、莉愛にとっての本当の不幸はその後だったのかもしれない。

 我が子の存在を疎み、あわよくばと思ってかけていた生命保険が支払われた両親は、娘の死を悲しむどころかあぶく銭を手に入れて狂喜した。

 さらに、彼女を跳ねた自動車の運転手は、赤信号を無視した彼女に責任があるとして無罪を主張。幼い少女を死に追いやったことなど欠片も反省していなかった。

 また、運転手の主張とは無関係に、自動車の保険からも保険金が支払われ、両親はまたしてもホクホクだった。

 莉愛の同級生は、ワガママですぐに感情的になって暴力を振るってきたリもする彼女がいなくなったことをむしろ喜びさえした。

 そう、彼女は、死んでさえも誰からも本当に悲しんではもらえなかったのである。彼女を何度も買っていた客ですら、お気に入りの性の道具が失われたのを残念がっただけにすぎない。しかもすぐに、次の少女を見付けてそちらに熱を入れ始めた。

 彼女の死は、テレビのニュースにもなったものの、それさえも『赤信号を無視する奴が悪い!』『こいつを撥ねたドライバーはむしろ被害者だ』等の罵声が浴びせられる結果しか生まなかった。

 こうして、親にさえ望まれぬ生を受けた一人の少女は、その死を悼んでくれる者すらなく、すぐさま忘れ去られていったのであった。


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