バックレやがったんだろ

「もしもし? 玲那がいないんだけど? …はぁ? どこ行ったかなんて私が知るかよ。とにかくいないもんはいないんだよ! バックレやがったんだろ」

 相手はどうやら社長でもある父親らしい。はっきりとは聞き取れないが、電話の向こうで怒鳴っている気配も伝わってくる。

 そんな中、玲那は、息を殺して母親が諦めるのを待った。他にどうすればいいのか分からなかった彼女の精一杯の抵抗だった。

 数分間、携帯電話で父親と罵り合いを続けた後、やはりどすどすと足音をさせながら玄関の方へと向かい、ビシャンと激しく扉を叩き付けて出て行く気配があった。それでも彼女はしばらく様子を窺い、彼女の感覚で五分くらいしてからそっと板間と土間の段差のところの扉を開けて這い出してきたのだった。何とかやり過ごせたと安堵して玲那は顔を上げた。だが―――――

 玄関の方を何気なく見た彼女の顔が、みるみると血の気を失っていく。そこに、あってはいけないものを見てしまったからだ。

 母親だった。玄関の扉を少し開けた隙間から、母親が覗き込んでいたのだ。どうやら玲那が家の中に隠れているかもしれないと思ったらしい。出て行ったように装い、そっと様子を窺っていたのだ。玲那はそこにまんまと出てきてしまったということである。血の気を失った彼女を見る母親の顔が、まさに般若のように恐ろしく歪んでいくのが分かった。

「っふざけやがって、このガキぃ!!」

 立ち尽くしていた玲那が咄嗟に自分の身を庇うよりも早く、母親の平手が彼女の頭を捉えていた。顔を叩かなかったのは、<商品>をなるべく傷付けないようにというせめてのも冷静さだったのかもしれない。

 バシンと凄まじい衝撃を感じて、玲那の小さな体が壁に叩き付けられた。そのまま頭を抱えてうずくまる己の子に、もはや獣の咆哮のような母親の怒声が浴びせられた。

「お前、そんなに親を馬鹿にしたいのか!? 舐めた真似しやがって!! その歳でよくそんな腐った性根してるね!?」

 そう怒鳴りながら、母親はうずくまった娘の腹目掛けて爪先を蹴りだしていた。それが的確に腹の柔らかいところを捉える。

「うげっ! ごぼっ、ごほっっ!!」

 衝撃で胃の中のものをぶちまけながら、玲那は床をのたうった。

「きったねえ! 何吐いてんだよ、このクソが!!」

 これにはさすがに母親も驚き、幸か不幸かそれが追撃を諦めさせる結果となった。

「あーもう! 掃除は帰ってきてからでいいからさっさと顔洗って着替えな!! 時間がないんだよ。手間かけさせんな!!」

 喚き散らす母親に対し、玲那はもう完全に抵抗する気力も失われていた。その場に服を脱ぎ棄てて洗面所で口をゆすいで顔を洗い、ワンピースに着替える。取り敢えずきれいになった彼女の手を掴み、母親は引きずるようにして連れ出した。


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